楽山日記

ヤフーブログから引っ越してきました。特にテーマは決めずに書いてますが、スピ系の文章が多めです。若気の至りでハマってしまった宗教についても書いてます。よろしくお願いします。ヤフーブログの楽山日記と区別するために、ブログタイトルの末尾にLDとつけていましたが、ヤフーブログはなくなったので、末尾のLDも削除することにしました。

『宣戦大詔謹解』朝日新聞社刊(昭和十七年三月)

13

*大意
 本書の前半は詔書の解説、後半はその感想といった構成になっている。より細かく書くとこうなる。

「大詔謹解」高須芳次郎(日本大学教授)
「大御稜威をいただき奉る」山田孝雄(神宮皇學館大学学長)
「御答へ申し上げる道」平泉澄(東京帝国大学教授)
「世界の穢を清める戦」澤瀉久孝(京都帝国大学教授)
「大君のへにこそ死なめ」久松潜一(東京帝国大学教授)
「肇国の精神に基く世界歴史の転換」大串兎代夫(文部省教学官、国学院大学教授)

 大意としては、どの文章も大体同じであり、日本は東亜の平和を願うがゆえに、それを乱す蒋介石を放置することはできず、やむをえず膺懲を試みてきたのであるが、米英は己の利を貪りたいがためにこれを妨害し続けている、日本はこれまで米英の亜細亜に対する侵略、横暴に対して隠忍自重を心掛けてきたが、もはやことここに至ってはそれも困難となり開戦に踏み切った、幸いに緒戦の勝利を飾ることができたのは陛下の御稜威と皇軍の奮励努力の賜物であろう、しかしながら米英がこのまま引き下がることはなかろうから、長期戦を覚悟し、軍官民が一体となり、米英を完全に屈服させるまで気を抜くこと無く、努力を続けねばならない云々というものになっている。

続きを読む

「小学」(新釈漢文大系 第3巻)


 「小学」という書名は聞いたことはあっても、内容はまったく知らなかったので、試しに現代語訳と解説の部分を中心にざっと眺めてみた。
 序盤は日常の決め事が並べられていて、聖書の細かな規定が並べられている箇所を読むときと似た気分になってしまったが、先に進むに従ってさまざまな逸話や教訓が語られるようになってきてからは興味深く読むことができた。
 また「孝」というものは、いわゆる毒親ではなく、まともな親を前提としているという解説は説得力があった。孝の大切さは承知しつつも、随分と理不尽な面もあるように思っていたが、これなら理解できる。

DSCN9953 新釈漢文大系 第3巻 小学/宇野精一
(『新釈漢文大系 第3巻 小学』宇野精一著、明治書院、昭和51年)

DSCN9954 新釈漢文大系 第3巻 小学/宇野精一
(同上)

 もしかしたらこれは封建道徳に批判的な戦後の風潮に迎合した考え方ではないかという気はするが、おそらくこれが現代ではもっとも穏当な解釈であり、多くに理解しやすいものなのだろう。


『人類の物語 ヒトはこうして地球の支配者になった』ユヴァル・ノア・ハラリ著

『人類の物語 ヒトはこうして地球の支配者になった』ユヴァル・ノア・ハラリ著 80

*概要
 本書のテーマはおよそ二つあるようで、まず一つはサピエンスはこれまでに多くの生物を絶滅に追いやってきたということである。サピエンスが生息域を拡大するにつれて、ネアンデルタール人、デニソウ人、フローレンス島の小型の人、マンモス、モア、プロコプトドン、ディプロトドン、グリプトドンなど、多くの生物が地上から姿を消したという。現代でもこの傾向は変わらないので、同じ悲劇を繰り返さないためには、捕鯨反対などの保護活動が期待されるそうだ。
 もう一つは、サピエンスが他の生物より優位に立つことが出来たのは、物語によって大勢で協力することができたためだろうということである。たとえば、「偉大なるライオンの霊は、『ネアンデルタール人と戦え!』と仰せだ」と言ってみたり、「神殿にバナナを捧げよ。さすれば死後にバナナをたらふく食べることができるだろう」などと言うことで、一定の目的のために多数を動員することが可能になったのだと。
 こういう考え方には様々な異論があるかもしれないが、著者の宗教観がよく分かるたとえ話ではあると思う。


*神さまは、いつ生まれたのだろうか?
 本書の中で、自分にとってもっとも興味をひかれたのはこの箇所だった。
ラスコーの壁画に、動物がたくさん描かれているのに神さまが描かれていない、少なくとも私たちにとって神さまと思えるような姿はどこにもないのは、興味深いことだ。だから、当時の人々は力のある神さまの存在を信じていなかったのかもしれない。

(『人類の物語』ユヴァル・ノア・ハラリ著、西田美緒子訳、河出書房新社、2022年、p.117)
 そう言われてみれば、たしかにその通りだ。当時はまだ、自然や動物を崇拝することはあっても、人の形をした神さまはまだ生まれていなかったのかもしれない。
 とすれば、人の形をした神さまが生まれたのは、一体いつなのだろうか。唯一神のモデルは専制君主だという話からすれば、人の形の神さまが生まれたのは国家や王様が生まれて以降なのだろうか? これは答えのない問いだろうけれども、だからこそ興味は尽きない。


ギャラリー
  • 『ブッダという男』清水俊史著
  • 『光る国神霊物語 大悟徹底の手引書』門田博治、花井陽三郎著
  • 『易と人生哲学』安岡正篤著
  • 『ほくろの呼び鈴 父 実篤回想』武者小路辰子著
  • 『『涅槃経』を読む』高崎直道著
  • 『魔女狩り』森島恒雄著
  • 『国史総論』内田銀蔵著(昭和17年)
  • 『私の記録』東久邇宮稔彦著(昭和22年)
  • 『私の記録』東久邇宮稔彦著(昭和22年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『皇国体の真髄』松永材著(昭和15年)
  • 『韓国 堕落の2000年史』崔基鎬著
  • 『宣戦大詔謹解』朝日新聞社刊(昭和十七年三月)
  • 「小学」(新釈漢文大系 第3巻)
  • 「小学」(新釈漢文大系 第3巻)
  • 『人類の物語 ヒトはこうして地球の支配者になった』ユヴァル・ノア・ハラリ著
アーカイブ
メッセージ
記事検索
最新コメント
  • ライブドアブログ