近ごろ、
信者とアンチのやり取りが盛んのようですが、
その様子は、自分には次のように見えています。
 

信者「アンチは幸福の科学に嫉妬している」
アンチ「なぜカルトに嫉妬しなければならないのか。意味が分からない」
 
信者「アンチは幸福の科学に責任転嫁している」
アンチ「なにを、カルトに責任転嫁するというのだ。意味が分からない」
 
信者「アンチは幸福の科学に執着、依存している」
アンチ「カルトに執着、依存しているのは信者だろう。アンチは単にカルトを批判、監視しているだけ。これは執着でも、依存でもなく、社会正義の実践だろう」
 
信者「幸福の科学に執着せず、他のことをしたらどうか」
アンチ「カルトが新たな犠牲者を出すのを放置できるわけなかろう」
 
信者「アンチが幸福の科学の悪口をいうのは、別れた元恋人の悪口を言うのと同じだ」
アンチ「別れた元恋人の悪口を言いふらすべきでないというのは私人の間の恋愛倫理。カルト問題は社会問題。両者はまったく別の次元の話」
 
信者「アンチは自己責任を自覚すべきだ」
アンチ「幸福の科学が教育や政治に乗り出してからは、主な論点は、〈私と幸福の科学〉から、〈社会と幸福の科学〉へ移ってきている。前者の私的問題ならまだしも、後者の社会問題に、自己責任論を持ち出すのは見当違い」
 
信者「アンチは魔の手先、傀儡だ」
アンチ「こういう発言こそ、幸福の科学がカルトであることの証明」
 
信者「アンチは認識力が低いために、真理が分からない」
アンチ「こういう発言こそ、幸福の科学がカルトであることの証明。カルトは、外部には理解できない特殊な価値観を持っている」
 
 
以上。
 
こんなことを言うのも何ですが、
信者さんは、アンチ批判をするときは、
教団内の論理によるのではなく、
世間一般に通用する論理をつかう方がいいと思います。
 
また、
幸福の科学が本当にカルトであるかどうかは別として、
アンチは、幸福の科学はカルトとみなしている
ということは念頭においておくべきです。
 
この辺のことを無視して、
幸福の科学は、絶対に正しいとしつつ、
教団内の特殊な論理によって
アンチ批判をするのは得策ではありません。
 
そういう意見は、
一般人の常識との乖離がはなはだしく、
そこはかとなくカルト臭が漂ってしまうからです。

信者さんはこのことを、
もう少しだけでも気をつけた方がいいのではないかと思います。
老婆心ながら……。