自己責任論は、「これは私の責任だ」として反省に用いるものであって、「それはあなたの自己責任だ」と相手を責めるためにつかってはならないという。
 
これは懐疑についても言えそうだ。「あなたは本当に信用できるのか」「あなたは嘘を言っているのではないか」「あなたは間違っているのではないか」などというように、むやみに相手を疑い、裁いてばかりでは疲れてしまう。
 
けれども、「わたしは本当に分かっているのだろうか」「わたしは本当に信じているのだろうか」「わたしは自分を偽ってはいないだろうか」という姿勢であれば、人は謙虚になり、精進することができる。懐疑の価値はこの辺りにあるのかもしれない。
 
懐疑について、「ダメなものはダメ!」とヒステリックに全否定するのではなく、一口に懐疑といってもさまざまあり、その一つ一つについてじっくり考察し、是非を判断してゆくことは大切であると思う。