キリスト・イエスを信ずる者とは誰かということが問題です。見える教会に属し、あからさまに信仰を告白する人々は、たしかにそのかぎりにおいてキリストを信ずる者といってよいでしょう。しかしわれわれの見えない所で、キリスト・イエスにつながり、イエス自身からみれば、キリスト・イエスを信ずる者に属する人々、また魂が、存在しないと、われわれは決して断言できません。
(山田晶『アウグスティヌス講話』新地書房、1987年、p.56)

自分にとって、これはすごく共感できる考え方である。
特定の宗教の信者でないからといって、また、「神よ、神よ」と祈らないからといって、その人は神とつながっていないとは言い切れないのだろうと思う。
この世界のことだけをみていると、A教の信者はA教に属していて、B教の信者はB教に属しているようにみえる。また無宗教者や無神論者は、どの宗教にも属していないようにみえる。
でも神の視点からみたならば、表向きはA教の信者であっても実際はそうでない者もあるかもしれない。B教の信者であっても、そうは認められないかもしれない。無宗教者、無神論者であっても神とつながっていないとも限らない。
こうして考えると、信仰というものは神が判断することであって、人がどうこう言えることではないのだろうと思う。