ずいぶん前に……多分10年以上前……ヤコブの手紙を読んで感動した覚えがあるので、久方ぶりに読み返してみた。内容はすっかり忘れていたので新鮮な気持ちで読めたけど、下の文章にはハッとさせられた。

御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
(ヤコブの手紙 1.22)

人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
(同上 2.24)

魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。
(同上 2.26)

前記事のようなものを書いた後、何気なく手に取った書物に、こんな文章があるとは……なんという偶然だろう。不思議だ。

でも、どこまでもぐうたらにできてる自分は、こういう文章を読んだ瞬間だけは、「そうだ。その通りだ。教えはきちんと実践しないといけないんだ」と素直に反省するものの、本を閉じた時には次のように考え始めるのだから、どーしようもない。

「教えをそのままに行うのは、やっぱ無理だな。ここで言ってるのは〝行え〟ではなくて、〝行おうと努力せよ〟ということじゃないかな。〝行えるようになりたい〟という気持ちを持ってさえいれば、それだけでもまあいいんじゃないかな」

ほんと自分に甘く、都合のいい解釈だ。教会的にはどういう解釈が正しいとされてるのかは分からないけど、それでもそんな風に感じる。他人に優しく、自分に厳しくというのは難しいなあとつくづく思う。