スティーヴン・キングの新作が出ていたので読んでみた。その中で、ハッとする言葉があったのでメモしておく。

「世の中は苦しみだらけだっていうのに、どうして人間は宗教を使って傷つけあったりするのかしら」とショップロウ夫人が言った。「宗教は安らぎのためにあるはずよ」 
(『ジョイランド』スティーヴン・キング著、土屋晃訳、文藝春秋(文春文庫)、2016年、p.211)

これは、ある伝道師の発言に対する感想である。伝道師は、無神論者となった実の娘が生んだ子に、重い障害があるとわかったとき、それは神による罰だとした上で、やがて娘は「息子の受けた試練によって神の道にもどるだろう」と言ったという。
これに対する感想が上の言葉である。
本当に、ショップロウ夫人の言う通りだなあと思う。世の中には、つらいこと、苦しいことがたくさんある。本来なら、宗教は、苦しんでいる人たちに、安らぎを与えるべきものだ。
でも実際には、宗教者はそういう人たちに対して、神罰だ、裁きだ、地獄に墜ちるぞ、カルマだ、自業自得だ、心掛けが悪いからそうなるんだ、祟りだ、悪いものに憑りつかれているんだ等と言ったりする。必ずしも悪意でなく、善意で言うこともあるから余計に始末に悪い。
実を言えば、自分も宗教を信じていた頃は、そういうタイプの信者だった。信仰熱心になるほど、人の気持ちが分からなくなり、無慈悲になっていた。ひょっとしたら信仰は、人を無慈悲にするのかもしれない。こういう自分が言うのもなんだけど、この辺りのこと、どうにかならないものかなあと思う。 〈了〉