*つづき
「コメントまとめ 10」のつづきです。
(見出しは太字に、大事だと思った箇所には、下線をひいてます)


□■ 「信者・アンチのブログを読む 11」のコメント欄より ■□


*ギャップ
ガンさんは教えと実践のギャップに悩んでいるというけど、私から見ると、教え自体に矛盾があるのだからそれは仕方ないように思えます。
ガンさん本人が書いているように、HSの仏性論はこうでしょう。
「すべての人間に仏性、神性が宿っている」
「確信犯的に悪意がある人や宇宙人がいる」
この二つを同時に受け入れろというのは、ある種のダブルバインドみたいなものだろうし、無理です。もし受け入れるとしたら、〝すべて〟を〝ほとんど〟に改変して、「ほとんどの人には仏性があるが、一部、仏性のない人もいる」とするしかなさそうです。
>仏の教えには、すべての人間に仏性、神性が宿っていると説かれています。
しかし、嘘をついて人を貶めようとする人、相手に対しての不満、怒り等、なかなかすべての人の仏性を信じることができず、教えと実践のギャップに私は悩んでしまいます。
[省略]
>もちろん、確信犯的に悪意がある人や宇宙人がいるので、注意深く用心する必要はあると思いますが。
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/427195216.html
2015/10/7(水) 午後 7:33[ 自由 ]


*信じるほど、信じられなくなる
ところで、信者さんを見ていて思うのは、信仰心が強い人ほど、疑も強いということです。アンチを疑うならまだしも、同じ信者同士でも疑い合っているのだから妙です。
とはいえ、HSを信じるということは、HS信者を誘惑しようとしている存在……悪霊悪魔……をも信じることなのだから、何かあるたびに疑心暗鬼に陥ってしまうのは仕方ないかもしれません。
でも、エルカンターレ信仰を深めるほどに、他者を信じられなくなるというのは、変だなあという気はします。
*信仰の方向性
信仰の中には、神を信じるほどに、人を信じ、世を信じるようになるものもあれば、その逆に、神を信じるほどに、人を疑い、世を疑うようになるものもあるようです。
案外、宗教の正しさは、どういう神を信じるかよりも、人や世を信じるようになるかか、疑うようになるかによって判断可能かもしれません。
2015/10/7(水) 午後 7:36[ 自由 ]


*宇宙人いろいろ
レオさんは、下の記事によれば、宇宙人ものは玉石混交であり、信頼できるものもあれば、そうでないものもあると考えているようです。
レオさんは、自称宇宙人のピア健さんを猛批判していたのに、宇宙人関連記事を連発しているのは妙だなあと思ってましたが、そういう考えであれば、大川総裁や手塚治虫の宇宙人関連の話には肯定的で、ピア健さんには批判的であったとしても矛盾はないかもしれません。
◇LEO幸福人生のすすめ|幸福の科学の宇宙人リーディング、再掲&プラスアルファ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12080908040.html
2015/10/7(水) 午後 7:40[ 自由 ]


*日蓮聖人の霊言
レオさんが、潮文社版『日蓮の霊言』について、「わたしは何かことあるごとに、初心に還るべく、この「日蓮の霊言」を読み返す」と書いていました。記事の雰囲気からすると、初期の教えと、現在のHSとの間に、さして矛盾を感じているわけではなさそうです。どのような思考、論理でそのような結論に至っているのかなあと興味がわいたけど、残念ながらその点については触れられていないようです。
◆LEO幸福人生のすすめ|日蓮聖人の霊言~日蓮の新霊言を読んで
http://ameblo.jp/space-people/entry-12080411752.html
2015/10/7(水) 午後 7:41[ 自由 ]


*新旧・日蓮の霊言の比較
ちなみに、サンポールさんのブログの記事には、日蓮の霊言いついて、旧版と新版とを比較したものがあります。
潮文社や土屋書店から出版されていた霊言集を読んでいた信者であれば、新旧の教えの矛盾を乗り越えた経験があるのだろうと推測しますけど、そのことについて詳細に論じた文章を書いている人は見当たらないみたいです。古株で、理知派の信者さんには、このテーマにぜひチャレンジしてみてほしいなあと思います。
・続 『旧版・日蓮聖人の霊言』 ~ 『法子の部屋』はんによる検証
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-242.html
・『旧版・日蓮聖人の霊言』~幸福の科学・初期の教え
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-241.html
2015/10/7(水) 午後 7:42[ 自由 ]


*新旧の教えのちがい
サンポールさんの記事を読めば、一目瞭然ですが、新旧の教えのちがいは、進度のちがいというよりも、方向性のちがいになってます。古い教えよりも新しい教えの方が先に進んでいるというよりは、古い教えと新しい教えは目指す方向が正反対になってます。
これはどういうことかというと、新旧の教えのちがいは、方便だとか、悟りの進歩では説明できないことを意味しています。
新旧のちがいが、進度のちがいであれば、「旧い教えは方便だった」「悟りがより進んだから、新しい教えを説いた」というのは一理あります。
けれども、新旧のちがいが、方向性のちがいであれば、それでは説明できません。「方便として、とりあえず正しくない方向に導いた」「悟りがすすんだので、前とは違う方向に導くことにした」というのは変ですから。
2015/10/7(水) 午後 7:44[ 自由 ]


*理屈をいえば
教えの方向性の変化について、理屈の上では、「進行方向に大きな障害物があったため、それを迂回させたのだ。だから教えの方向性が変わったのだ」「寄り道しなければならないところがあったから、方向が変わったのだ」ということも言えなくもないかもしれません。
でもこれだと、「ただただ直く進むなり」に合わないし、世紀末大天変地異を直前に控えた緊急を要する状況とも合わないのが難点ではあります。ざっくりいえば、いかにも後付けの言い訳っぽすぎるということ。
2015/10/7(水) 午後 7:46[ 自由 ]


*最近の仮説
最近、アンチ連の間では、新旧のちがいについて次のような説があります。
「初期の教えは、富山誠の主導でつくられた。『太陽の法』など初期代表作の著者は、富山誠である。HSの教えは、富山誠の影響力が薄れるにしたがって、大川隆法色が濃厚になっていった。初期の教えは富山誠により、その後の教えは大川隆法による」
もっと極端なのになると、富山仏陀説というのもあります。
「もともとは富山誠を仏陀としてデビューさせる予定だったが、大川隆法が自分こそが仏陀であると主張しはじめたことで、予定が変わった」という風に。
以前から、初期の代表作の真の著者は、善川三朗ではないかという説はありましたが、最近は富山誠の存在感が増しているわけです。
2015/10/7(水) 午後 7:50[ 自由 ]


*真相は藪の中だけど
初期本の著者は誰なのか、本当のところは分からないですけど、富山誠、善川三朗らが表舞台から消えた時期と、大川隆法の書き下ろし本が出なくなった時期、月刊誌の論考が講演録のようなものに変わった時期、「愛は風の如く」が中断された時期などは、ほぼ同じ頃のことではないでしょうか。
こういうことを考えると、富山仏陀説のような極端な見方さえも、そう簡単には否定できなくなりそうではあります。
*疑念を払拭するには
結局、「初期本は本当は誰が書いたのか?」という議論を終わらせるには、大川隆法本人が、再び『太陽の法』のような書き下ろし本を出版し、「愛は風の如く」の連載を再開し、『愛の原点』『幸福の原点』等に収録されているような論考を毎月発表するくらいのことをしないと無理なのかもしれないなあと思います。
2015/10/7(水) 午後 7:56[ 自由 ]


> 自由さん
*日蓮聖人の霊言 潮文社の本には光が一切、流れておりません。ですから、霊言全集が出たのです。
また、HSの新たな流れが明らかになりましたので、旧いものに囚われる人々は消えてゆきます。
サンガから遠退いている会員たちのブログを読むのは、お止めになられた方がよいでしょう。
ピント外れのことばかり言っております。
「宗教者」は、HSに付いて来れません。
HSは、宗教の枠を超えているからです。
2015/10/8(木) 午前 11:35[ 何処野独逸 ]


こんにちは!
そういえば
霊言全集が出た頃に
「霊言全集になったら、より光がすごくなった」
と、知り合いの信者が言ってました
でも
新旧の比較を見ると
私が共感できる部分ばかり
ザックリ削除されてるんだよね
どうも
私が共感できる部分は
光を弱める、よくない部分である
と判断されているようです(笑)
2015/10/11(日) 午後 2:46[ 自由 ]


*『UFO学園の秘密』の感想
ブログ村の信者ブログをみると、『UFO学園の秘密』について大方は肯定的なことを書いています。ただ、コウさんだけは批判的なことも書いていました。う~ん。一般や、アンチならともかく、信者がこんなことを書いていいんでしょうか? 上映終了後ならかまわないでしょうけど、今はまだ上映中ですからね。しかも公開後一週間も経ってない。この時期にケチつけるのはまずいでしょう。
そういえば、記憶はおぼろげですが、レオさんもこの点を批判していたことがあったような……。この点は、レオさんの方が理がありそうです。
◆救国と愛国と幸福実現ブログ|映画『UFO学園の秘密』の感想
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12083587911.html
2015/10/14(水) 午後 9:01[ 自由 ]


*殺害予告!?
今回の事件から、過去の殺害予告騒動を思い出したので貼っておきます。
・やや日刊カルト新聞|幸福の科学信者(?)が批判者に異常な殺害予告=5日間で1700件
http://dailycult.blogspot.jp/2010/08/blog-post_19.html
●HSログ倉庫番|幸福の科学・ネット信者よしもんの語る正当防衛論-死なばもろとも-
http://blog.livedoor.jp/warehouse_2chlog/archives/51284414.html
2015/10/19(月) 午後 7:34[ 自由 ]


*舞さん、よしもんさん
下のスレッドの、450、460、560、604、616辺りでも、よしもんさんの「死なばもろとも」発言で、ちょっと騒ぎになってます
★★『幸福の科学』統合スレッドpart502★★
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1304055027/
2015/10/19(月) 午後 7:35[ 自由 ]


*すごい暴言
関谷さんの『虚業教団』には、次のような一節がありました。
>去っていく 阿南のために、中原と私、そして彼を兄弟子として慕っていた伊藤博樹で別れのテーブルを囲むことにした。私は残務があり欠席したが、食卓に料理が並ぶ前に、昨日まで尊敬してやまなかった兄弟子を、伊藤が口汚く罵り始めたという。
> 中原もただあっけにとられた。
>「目ン玉をくり抜いてやろうか」
> そんな暴言まで飛び出した。思いがけない成り行きに、阿南はジッと耐えるふうだった。
http://oklucky.blog.shinobi.jp/Entry/224/
*これも読みやすいかも
関谷さんの『虚業教団』は、こっちも読みやすいかもしれません。異なる様式のページがあると、用途に合わせてどちらを使うか選べるので便利です。
・虚業教団 もくじ
http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-537.html
2015/10/19(月) 午後 7:42[ 自由 ]


*HS信者にとっての戦い
信者さんが、戦いについて書いてました。愛のため、正義のために、悪者と戦うのは、神の御心にかなうということのようです。悪に対しては徹底的に戦うという感じです。
ブログ村騒動をみていて、やり過ぎじゃないかと思ったりしましたが、こういう信念が背景にあったということでしょうか。今のHSではこれが普通なのでしょうか。なんといったらいいか、HS信者から、いったん悪者認定されたら、全面降伏でもしない限りは、えらいことになりそうです。怖い。
◇HSガンちゃんとレオのブログ|【レオ】戦いの遺伝子も必要 ~ 地球を守るために戦った主人公たち「UFO学園の秘密」感想2
http://gunleo.seesaa.net/article/428089108.html
2015/10/19(月) 午後 7:45[ 自由 ]


*その気持ちには覚えがあります
健太郎さんは、「アンチにならぬよう必死でこらえています」と書いています。この気持ちは、私にも覚えがあります。「エルカンターレ信仰を失いませんように。どうか私に、強い信仰を与えてください」と、祈ったりしていたことがあるので……。
健太郎さんの心情を想像すると、辛いだろうなあと泣けてきます。
◆ガチムチ健太郎の魔法・異世界・パラレルワールド研究所|カミングアウトはしない方がいい
http://ameblo.jp/pianist-kentaro/entry-12085200458.html
2015/10/19(月) 午後 7:50[ 自由 ]


*戦いの話
レオさんが戦いの話を書いてます。「やはり、悪を打ち破るために戦うべし!の考えは、自分も強いですね」とのことです。
正義と悪については、「主なる神の側に立っている、真の信仰者こそが正義であり、神の願いを阻害する者が悪である」とのことです。
レオさんは具体的にはどういうことを念頭において、このような発言をしているのでしょうか。国家と国家、悪質な宇宙人と地球人などを想定しているのでしょうか。
「まぁ、ここでも小さな戦いがありましたけれど」云々などとあることからすると、ブログ村騒動のような信者と信者、信者とアンチ、個人と個人という場合をも含めて、「悪を打ち破るために戦うべし!」と書いているのでしょうか。どうなんだろう。
>Posted by レオ at 2015年10月20日 18:23
http://gunleo.seesaa.net/article/428170144.html#comment
2015/10/21(水) 午後 9:03[ 自由 ]


*本気で信じてるようです
観測所さんが新記事を発表してます。
ちなみに、私の知り合いの信者は、「映画はすべて事実なんだよ。だからアメリカもビックリしてるんだ。なんでそれを知っているんだってさ。本当にすごい映画なんだ」などと言っていました。本気で信じてるようでした。
●幸福の観測所|行動から見る「幸福の科学」
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2015/10/19/144734
●幸福の観測所|本気でレプタリアンが存在すると信じる「幸福の科学」信者たち
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2015/10/21/182753
2015/10/21(水) 午後 9:08[ 自由 ]


*何のために戦うか?
レオさんのピッポ陣営に対する批判を読んでいて、公平公正な議論、意見交換をしようとするよりも、相手をやっつけようとしているようだと感じることがありました。本人も「倒す方に主眼」があったと思ってるようです。
でも、相手が信者であるにしろ、アンチであるにしろ、言葉のやりとりである議論を戦いであるとする見方はピンとこないです。私は平和ボケしてるのかもしれません。
>わたしはまだ倒す方に主眼があるようで(笑)、相手にさらに悪を犯させない、そして悪を許容することで悪を認めてしまう、容認してしまうことの罪をも踏まえて、
>愛のために戦う、ですね。
>レオ 2015-10-19 13:42:34
http://ameblo.jp/space-people/entry-12085833182.html#cbox
2015/10/26(月) 午後 8:09[ 自由 ]


*かっこいい
コウさんのところで議論が続いているようです。下の意見は正論だし、なかなかにかっこいい。細かいことを言えば、「誰が真実を述べてるか」ではなく、「何が真実か」とした方がいいかもしれないけど、文脈から行けば「誰が真実を述べてるか」でいいのかもしれません。
>私には、誰がアンチかとかは、関係ありません。
>今、誰が真実を述べてるかを求めてるだけです。
>コウ 2015-10-20 07:20:52
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12083587911.html#c12782441775
2015/10/26(月) 午後 8:10[ 自由 ]


*信者か、アンチか
私も、人は、信者かアンチかよりも、人としての優しさがあるかないか、誠実であるかどうかなどの方が大事であるように思えます。
アンチだろうが、アンチでなかろうが、なんか気にならなくなりました
信仰しているからといって、エル・カンターレに迷惑をかけてないとは、いえないからです。
アンチだからと言って、まったくマクロな目で見て、役に立ってないかは、神しかわからないものと思うようになりましたね。
この考え方を修行の退転と取るか、進んだ考えと取るか人それぞれと思いますが、私としては、進んだものと思っていますね。
>コウ 2015-10-25 01:09:36
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12083587911.html#c12784097879
2015/10/26(月) 午後 8:12[ 自由 ]


*信者としてはどうか
信者は善で、アンチは悪だと決めつけたり、裁いたりしなくなったというのは、人として一回り大きくなったということなのだろうと思います。人に優しくなり、謙虚になれば、自然とそうなるのだろうと。
でも、信者であるか、アンチであるかということへのこだわりが薄れたということは、自分が信者でありつづける理由付けも弱くなってくるのではないでしょうか。
コウさんの心境変化は、一般からは歓迎されるでしょうけど、信者仲間からはどう思われるか微妙かもしれません。
*よき人、よきHS信者
HSの教えには、よき人になるための教えと、よきHS信者になるための教えがあると思います。熱心な信者の中には、前者の教えよりも、後者の教えを尊重している人もあるようです。
よき人になろうとする信者は、こういう熱心な信者から誤解され、責められることも多くなるだろうなあと思います。よき人となって、信者にも、アンチにも、公平公正に接するならば、熱心信者から「信者を攻撃している一方で、アンチに対しては批判もせずに、談笑している」と非難されるでしょう、たぶん。すでにそれっぽい状況だし。
2015/10/26(月) 午後 8:18[ 自由 ]


*河口湖の事件について、信者のコメント1
河口湖の事件について、ピッポさんのところでコメントがあったので貼っておきます。「河口湖」で、ページ検索すると、すぐ出てきます。(れいによって空行は詰めてコピペします)
>Re[1]:人は・・・・ 2015年11月3日(11/03) Pippo of lamb さん
>拡がれば拡がるほど、そうした事件なども起きて来るでしょう。
ブログ村のネット不倫だって充分、スンダリー事件やチンチャー事件に値すると思いますよ。
某事件は、S絡みでしょ?
今迄、職員を喰ってた魔が、獲物を外に外にと求めているのです。
中枢に入れなくなって来たのです。
今、支部の増上慢会員が次々と喰われてます。
信仰が中途半端だと、どんどん喰われてゆきます。
もん吉とか、トンヌラとか、鴨が葱背負って歩いてるようなものです。 (2015.11.05 18:39:52)
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201511030000/#comment
2015/11/7(土) 午後 7:00[ 自由 ]


*河口湖の事件について、信者のコメント2
上のコメントは、多分、ぽん吉さんでしょう。次はピッポさんのコメントです。
>銀魂゜美ちゃん さんへ 子羊のピッポ さん
>『河口湖の事件』については、守護霊に聞いていないのです
高校3年生にとっては、【希望の進路を否定される!】という事は
【未来の人生を、否定される!】ことと、同じほど大事件ですが
老人達にとっては、無数在る選択肢の一つを、否定する程度にしか、感じないのです
『他者への愛』の欠如が、このような悲劇を産んだのでしょう
私達も
人生の途上で
身近な他者に対して
『同じような過ちを犯す』という危険性が有ります
本人にとっては
【人生の一大事で有っても】
他者にとっては、【つまらぬ選択肢の一つ】としか考えられない
そのような愛の不足が、悲劇を生む事は
古今東西
後を絶ちません
この件については、私へ自戒と致しましょう。
(2015.11.06 17:28:14)
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201511030000/#c
2015/11/7(土) 午後 7:01[ 自由 ]


*驚いた
ピッポさんは、祖父母に対して批判的なようです。銀魂゜美 さんもそれに同意する形で、自分は老害にならないようにしたいという。これは、なんか変な感じがします。
世の中には、逆ギレする人もいるから、その辺を意識して話すべきだというのであれば分からなくもないけど、ピッポさんの意見だと、祖父母が孫の希望する進路に反対したのは愛の欠如であり、事件の原因だというニュアンスがあるような……。
思うに、祖父母が孫の進路に意見したことと、孫が祖父母をメッタ刺しにしたこととは、全然、釣り合わないです。祖父母が孫の進路に意見したら、孫が祖父母に「分からず屋の糞ジジイに糞ババア!」と怒鳴ったというのなら、「おじいさんも、おばあさんも、もっと孫の気持ちを受け止めて話を聞いてあげたらどうですか」といえるかもしれない。でも、祖父母が孫の進路に意見したら、孫が祖父母をメッタ刺しにしたというのであれば、そんな悠長なことは言ってられないです。
ピッポさんの発言には、確かにその通りだと思うことは少なくないけど、どうも今回に限ってはいまいち共感できないです。
2015/11/7(土) 午後 7:09[ 自由 ]


*ひさしぶりに、「疑問解決」を見てみた
しばらく前から、会員レプタリアンについて議論になっていたようです。全体的な印象としては、cosmo77さんは危機感を持ち、直球勝負している一方で、ueyonabaruさんはぼんやりしてるというか、本気でない感じがします。遠慮してるのかな。
cosmo77さんが書いてる「教義解決」と「リバティWebコメ欄」にいた会員レプタリアンというのは、爆睡会員2さん、ひでさんのことでしょうか? cosmo77さんはたしか、福祉重視というか、リベラルというか、そういう考え方だったかな。そうであれば、爆睡会員2さん、ひでさんらと衝突するのもやむを得ないかもしれない。でも、レプ嫌いであれば、ぽん吉さんとは気が合いそうです。
・幸福の科学会員で教義上の疑問を解決したい|日蓮の新霊言
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201875682
2015/11/9(月) 午後 7:42[ 自由 ]


*共通点1
cosmo77さんの主張は、ぽん吉さんとは、かなり共通点があるようです。たとえば、この辺は両者の主張は同じもののようです。それにしても、ブログ村だけでなく、教義解決でも、リバティのコメ欄でも、似たような状況だったとは……。↓
以前 こちらにも 会員レプタリアンの方 がこられて
ちょっとした 他者の 言葉をとらえて 断罪したり

吊るし上げたり 魔女狩りを していたのに
ご記憶はないですか
>また リバティWebに コメント欄というのがあったのですが
最近閉鎖されました。
これも 以前から 住み着いて 荒らしまわっていた
会員レプタリアンが おそらく原因のようでした。
>あの方たちは 仏法を 無視したり 自分なりに解釈し
ことさら 他者を 断罪してこようとします。
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201875682
2015/11/9(月) 午後 7:45[ 自由 ]


*共通点2
この部分も、ぽん吉さんの現状認識と、うり二つっぽいです。
>そもそも こういった 断片的な 偏狭な 信仰というのは
会員さんには かなーり 多いと 認識しておりますが。。
>というより 宗教自体が こういう問題を 常に抱えている というのが 正当かもしれませんね。
いわゆる ナントか原理主義者 教条主義者というのは この 典型例なわけでしょう。
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201875682
2015/11/9(月) 午後 7:47[ 自由 ]


*思考停止
cosmo77さんの発言で、驚いたものがいくつかありました。その一つが、これです。すごくかわいそう。あまりに酷い状況に居つづけると、心が無感覚になり、無気力無感動になるというけれど、自ら思考停止することを願うなんて、どんなに酷いストレスを受け続けているのだろう。
>例えば 幸福の科学の職員さんの 奥様と お話して
ボクが いろいろ 疑問を ぶつけたことがあったんですが
その奥様は 「私は 思考停止人間になりたいんですっ!」
と言われて びっくりしたことがあります。
>幸福の科学では最初から 思考停止人間にはなってはいけない
また 現在も 考える人間になれ と お話されてますよね。
>その 奥様が そういわれた理由は
思考を停止しないと 信仰を していられない
という ことだったのだと 認識しております。
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201875682
2015/11/9(月) 午後 7:52[ 自由 ]


*なんでそうなる?
この発言にも驚きました。思想、宗教などに凝り過ぎると、狭い方へ、狭い方へと考えが進んでしまい、一般的なものの見方、常識を見失ってしまうことがあると思います。そういうことなんでしょうか。
>こちらの掲示板では こんなお話がありました。
人間はいろいろな動物を殺して 食べたりしているわけだから
人間が人間を 殺して食べても 問題ないのではないのか?
>うーん ボクは びっくりしていました。
人殺し容認論ということですよね。
これは 仏法の 不殺生戒にも 法律にも 完全に反した考え方です。
邪見と言っていい 考えですね。
http://www.beach.jp/circleboard/ac86119/topic/1100201875682
2015/11/9(月) 午後 7:53[ 自由 ]


*レプタリアン、レプタリアン、レプタリアン……
信者さんのブログを見てると、レプタリアンが話題になっていることが多いです。でも私から見ると、レプタリアン等の宇宙人ものは、昔からある霊人分類を言いかえただけに思えます。
・裏、天狗、仙人、地獄霊、悪魔⇒レプタリアン
・菩薩、如来など⇒レプタリアン以外の宇宙人
宇宙観も、これまでの霊界観……思いの実体化、波長同通などをそのまま宇宙に当てはめただけでしょう。
宇宙の法といっても、その実態は従来の教えを言いかえただけ、舞台を霊界から宇宙にずらしただけだろうに、なんでそんなに盛り上がれるのか、不思議です。
2015/11/9(月) 午後 8:17[ 自由 ]


*デンパ度が高まっている?
何となくですけど、信者ブログを見てると、映画公開後、ますますトンデモ色が強まってるように感じます。もっともこれは、私のトンデモ嫌いが強まってきてるから、前以上に信者ブログのトンデモ発言に苛々するようになっただけかもしれませんが…。
でもそれにしたって、これだけ信者ブログがあるなら、霊だの、宇宙人だのの話題は封印して、もっと現実的、理知的な信者ブログがあってもいいと思うのだけれど、そういうのが全然見当たらないというのは淋しい限りです。
霊言などの神秘現象については、信仰によってではなく、あくまで科学的に解明、解釈しようと努め、神や霊界の存在を前提としなくとも通用する道徳、人生論を語る信者ブログがあったらいいのになあと思います。天国や地獄を持ち出さないと説得力を持たない道徳、人生論は、特定宗教の信者にしか通用せず、普遍的なものではないだろうし、神秘現象を安易に霊現象と認定するのは興醒めなので。
2015/11/9(月) 午後 8:25[ 自由 ]


*どっちもどっち
レオ陣営では、ガチ健(ピア健)さんたちのことを悪く言ってるし、それなら、ガチ健さんたちも仲間内でレオ陣営に悪感情を持ち、悪く言うのも、自然の成り行きではないしょうか。その内容も、仙人界、裏宇宙、レプなど、彼らの世界観としてはわりと普通の表現のようだし、これをもって誹謗中傷というのは、なんだか大袈裟な感じがします。
2015/11/13(金) 午前 7:49[ 自由 ]


*パクリ?
今回のガチ健批判に下のようなものがありました。この辺りは私とは考えが違うなあと思います。ガチ健さんは、大川総裁のシンパだろうし、大川総裁の世界観でものを語ったとして、それはパクリとは言わないでしょう。
>宇宙人妄想だけでなく、裏宇宙、パラレルワールドといった、昨今、主から教え始めていただいている高次の概念・世界観をパクって、それを私的な妄想のためのお遊びに利用している、愚かな発言が多数あります。
>これらの星々に、自分の分身が同時にいま生きて魂修行をしている、その方が効率が良いからである、などといった発言さえしていましたが、これなどはプレアデスの女王が、あちらと地球で出ているといった話を聞いてのパクリであるのが明白です。
http://gunleo.seesaa.net/article/422482974.html#comment
2015/11/13(金) 午前 7:50[ 自由 ]


*ガチ健さんって
大分前のことになりますけど、ガチ健さんのブログをはじめて読んだ時の印象は、HS信者というより、精神世界マニアみたいだというものでした。この人は精神世界の本をいっぱい読んでそうだなあという感じ。パラレルワールドや宇宙人関連の話は、大川隆法の影響もあるでしょうが、精神世界ものの影響も強いのではないでしょうか。
ちなみに私は、個人的に、パラレルワールドものは好きな方なので、HSはまだパラレルワールドには触れてない、このまま行けばいいなあと思ってたら、ガチ健ブログで触れてたので、ガックリきた覚えもあります(笑)。
*ネタ元
ところで、パラレルワールドは昔から言われてることなのは言うまでもないとして、裏宇宙というのは映画を観た感じでは、クトゥルー神話をソフトにした感じかなあと思いました。自分の分身が同時に他惑星に出てるというのは、いかにも精神世界ものにありそうな発想かと思います。
2015/11/13(金) 午前 7:52[ 自由 ]


*ダークタワー
小説はわりと好きな方ですけど、怪奇幻想、ダークファンタジーは大好物のジャンルです。クトゥルー神話は別格として、スティーヴン・キングの世界観はカッコイイなあと思います。
いくつもの宇宙が存在し、その中心にダークタワーがあるが、そのダークタワーが揺らぎ始めているので、宇宙と宇宙の境界がゆるみ、別の宇宙から魔物が入り込んできたり、大災厄が発生したりしているという……。
今のところ、HSではパラレルワールド、裏宇宙、それからレプタリアンが悪さをしていることは説いても、ダークタワー的なことは言ってないみたいです。でもそのうちにダークタワーの要素を取り入れて、こんなことを言い出しそう。
「いくつもの宇宙が存在しますが、それらを支えている光の塔があります。レプタリアンの最終目的は、この塔を破壊することで全宇宙を滅ぼし、新たに自分らに都合のいい宇宙を創造することです。彼らは創造主になろうという野望を持っているのです」云々
2015/11/13(金) 午前 7:55[ 自由 ]


*多様性顕示欲
ガチ健さんが言う多様性顕示欲は、わりと普通のことではないかと思えます。たとえば、こういう会話はよくありそうです。
「Aに行くには、Bという道があります」「それもいいけど、Cというルートもあるよ」
「Zは○○である」「それは言えてる。でもZは△△という見方もあるよ」
これはあまり繰り返されると、うざいかもしれないけど、そうでなければ別にかまわないのではないでしょうか。第三者にとっては、さまざまな視点からの意見を知ることができるという利点もあるだろうし。
>・刺激的な内容のブログ記事がランキングの上位にあると、それに対する反論ではなく、こういう見方も出来ますよという記事を無性に書きたくなることはよくありますね。多様性顕示欲とでも名付けるべき衝動でしょうか。
http://ameblo.jp/pianist-kentaro/entry-11323765203.html
2015/11/13(金) 午後 7:59[ 自由 ]


*知ってる! 知ってる!
人は誰でも、自分が知ってる話題が出ると、「その話、知ってる」とか言って自分の知識を披露したくなるものです。子供は特にそうです(笑)。
幸福の科学でも、真理を学べばそれを他者に知らせたくなるという話をしていたと記憶しています。学習即伝道、伝道即学習はそういう話ではなかったかな。
多様性顕示欲には、知ったかぶりをしてるという面もあるかもしれませんが、知識をみんなに伝えて共有したいという人間の根源的な欲求も影響しているのではないでしょうか。この点、他者の多様性顕示欲には、そんなに腹を立てることなく、軽く流しとけばいいんじゃないかと思えます。
2015/11/13(金) 午後 8:02[ 自由 ]


*感情のこじれ
人間関係がおかしくなったときというのは、感情のこじれが生じている場合がほとんどではないかと思います。この場合、論理的な意見を述べても、妄想ではない事実に基づいた意見を述べても仕方ないです。それらは、感情のこじれを修復するどころか、さらに、こじれされることにしかならないです。
以前、幸福の科学の本で、次のような趣旨の文章を読んだ記憶があります。「相手が激しい怒りを向けてきた時は、たとえ自分は何も悪いことはしていないと思ったとしても、自分の何かが相手の感情を害しているのだと考え、まずは『ごめんなさい』と謝るべきです」
私はブログ村騒動を見るにつけ、事実に基づく論理的な批判なるものをするよりも、相手方を徹底的に糾弾するよりも、この教えを実践した方がいいのになあと思います。
2015/11/13(金) 午後 8:04[ 自由 ]


〈つづく〉