*超越者
神は、超越した存在であるという。そうだとすれば、神は人知を超越しており、人には一生、分からないのかもしれない。
でもこれは別の見方をすれば、人に分かるもの、人知の及んだものは神ではないということになりそうである。
人は、神は分からないが、神でないものは分かるのである。


*偶像崇拝
上の考え方からすると、神とはこれこれである、神の意思、言葉とはこれこれであるとするならば、それは人知の及ぶものであって、したがって神ではないことになる。神について語るならば、それはすべて神ではないことの証明となる。
とすると、世の中の宗教はすべて根拠を失ってしまうかもしれない。宗教は、神とはこれこれである、神の意思、言葉はこれこれであるなどと説いているからである。これらはみな、神ではないものを神だとする偶像崇拝に陥っているのではないか。


*信仰は不可能?
神は超越した存在だとすると、人が神を信じることは不可能かもしれない。
信仰とは、心に神のイメージを抱き、それを信じることである。人は信仰対象である神のイメージを抱かずに、神を信じることはできない。
でも、人にイメージできるということは、それは超越した存在ではないということなのだから、それは本当の神ではない。
人が神をイメージして信じた途端に、それは人知の及ぶ存在となり、超越者ではなくなり、神とは呼べなくなるのだとしたら空しいかぎりだ。


*働きかけ
神は超越した存在だとすると、上の理由から、人には神を信じることはできそうにない。
ただし超越者である神自身の働きかけによって、神を信じることはできるかもしれない。人は自らの能力によって超越者を知ることも、信じることもできないが、超越者の働きによって、それを知り、信じることはできるかもしれない。この見方から行くと、人は神を信じることはできそうだ。
ただこれには疑問がないわけではない。超越者が人に干渉することはできるのかということである。それをした途端に、超越者は超越することを止めたことになり、神ではなくなるのではあるまいか。この辺りはどうもよく分からない。
こういうことは、興味のない人からしたらまったくくだらない話だろう。でも自分にとっては結構、大きな問題である。あれこれ考えていると時を忘れる。我ながらもの好きだなあと思う。 〈了〉