*あの世は無くてもいい?
渡部昇一の本を読んでいたら、あるクリスチャンの感慨として、次のような言葉が紹介されていた。

先生はすでに一〇〇歳になっておられたがこう語ってくれた。「私はキリスト教徒です。しかしもうこの年になると、死んで神のそばにいくといったようなことは考えなくなりました。死んだら虚空に消える。それがいいんです」
(渡部昇一『「自分」の証明 悩む人ほど、大きく伸びる』イーストプレス、2011年、p.204)

著者は、こういう心境を、一種の悟りとして肯定的に受け止めているようである。おそらくは、そういう風に、落ちついて受け止めることができるということは、著者もこれに通じる心境にあるのかもしれない。


*ぼんやりとした肯定
ちなみに自分は、以前は、死んだら虚空に消えるという考え方は、あり得ないことだと思ってた。そんなことは絶対ないと思ってた。
でも近頃は、死んだら虚空に消えるとしても、まあそれでもいいかなあと変化してきている。
ただそれでも、「それがいいんです」という積極的な肯定までは到っていない。ニュアンス的には、「まあいいか」という諦観が混じった、ぼんやりとした肯定である。
それはなぜかと考えてみるに、一切は過ぎ去って行き、常に存在し続けるものは一つもないということに、ちょっとさみしい心持ちがするからかもしれない。こういう感傷的な気分があるうちは、「それがいい」という強い肯定はできそうもない。
できれば、死期が来るまでには、「死んだら虚空に消える。それがいいんだ」という積極的肯定の心境に至りたいものである。あの世があるのか、無いのかは分からないことだけども、自分が無になることを受け入れるということは、自己への執着から離れることだろうし、そういう心境で死を迎えられるとしたら、きっと幸福だろうと思う。〈了〉