*罪人なんて…
「吾輩は猫である」を読んでたら、次の台詞があった。

人が認めない事をすれば、どんないゝ事をしても罪人さ、だから世の中に罪人程あてにならないものはない。
(『漱石全集 第一巻 吾輩は猫である』夏目漱石、岩波書店、昭和49年、p.480)

これは、寒月君は若い頃、ヴァイオリンを買ったのだが、そのことを皆に知られたら迫害されかねない状況にあったという話から、苦沙彌先生が発した台詞である。
この後は、イエスもあんな時代に生れたので罪人にされたし、寒月君もそんなところでヴァイオリンを買うから罪人にされる云々という話になって行く。
言われてみれば確かにその通りである。罪人ほどあてにならないものはない。宗教的罪人というのはあてにならぬ。習慣、文化、伝統などにおける罪人も、そんなものかもしれぬ。思想犯、政治犯も、その傾向はありそうだ。罪人扱いされたからといって、本当に罪人であるかどうかはわからないものだ。
こういったことに惑わされないためには、しっかりした見識を持っていなければならぬのだろうなあと思う。でもこういう判断力は、後天的な努力だけでなく、先天的な才能も要るような気がしないでもないし、もしそうであればこの判断力は万人が身につけることは難しいということにもなりうる。先天的才能が要るのであれば、後天的努力だけではいかんともしがたいだろうから……。この辺りはなかなかつらいものがあるなあと思う。〈了〉