*つづき
「コメントまとめ 20 (もの好き) 」のつづきです。
(見出しは太字に、大事だと思った箇所には、下線、暴言は黒塗りにしてます)


□■ 「HS関連ブログを読む 12」のコメント欄より ■□

*もの好き
この間から、過去のコメントを読み返して、まとめてるけど、我ながらよくこんなに書いたなあと思う。ほんと、バカで、もの好きだ。
でも過去の文章を読み返すのも、時には必要だな。「あれ、最近ひらめいたと思ってたのに、一年も前に書いてるじゃん」ということも、よくあるので(笑)。
2016/10/29(土) 午前 11:14[ 自由 ]

> 自由さん
この喧嘩をよく知らない人が見たら、これはコウさんがはじめた喧嘩だと判断するかもしれないな。
******************************************************************
事の経緯を説明して、その良心を問う
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1469417086/
2016/10/29(土) 午後 5:11[ 何処野独逸 ]

*公正な裁き?
思い出したけど、アマミさんが仲裁に乗り出したとき、レオさんは全資料を提出したというね。その結果、喧嘩両成敗みたいな裁きがくだった。ピア健さんだけでなく、レオさんにも落ち度ありとされた。過剰反応、激怒癖とか。
でも、レオさんは、この裁きの基礎となった資料は公開しないんだよね。四人組批判でも、ピア健さんらがレオさんにしたことは沢山公開しても、自分がピア健さんらにしたことはほとんど公開してないんじゃないかな。
そしてその理由については、全資料を公開すると、四人組に悪用される恐れがあるからだという。これってつまり、全資料を公開すると、自分の落ち度が明らかとなり、そこを攻撃されるだろうことを認めてるのと同じなんだよね。
まあ実際にそうなのかどうかは不明ではあるけど、レオさんから多くの資料を提供されたアマミさんが、ピア健さんだけでなく、レオさんにも落ち度ありとしたことは重要だね。
2016/10/29(土) 午後 8:03[ 自由 ]

*強い信仰心
コウさんは、HS批判に対して、「HSには落ち度はない!」と突っぱねるのではなくて、HSにも至らぬところがあると素直に認めるんだなあ。
HSは完璧だと美化した上で信仰するのではなく、HSの欠点を知りつつも信仰しているのだとすれば、すごい信仰心だね。
>6. Re:幸福の科学信者による殺人事件で懲役15~20年の求刑=甲府地裁
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12214197378.html#c12889896630
>5. Re:【強姦成立】最重要証人を出せない教団
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12214197378.html#c12889895307
>4. Re:幸福実現党から総額約200万円が支出されていたと指摘
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12214197378.html#c12889894997
2016/10/31(月) 午前 6:59[ 自由 ]

*家族の崩壊
自分はあまり文学評論は読んでないけど、カフカの「変身」については、近代における家族の崩壊が描かれているという指摘は読んだ記憶はある。何で読んだかは忘れた。でもこの指摘だけは、妙に納得できたので、よく覚えてる。さやかさんはこういうことには触れているのだろうか。
あとは、「審判」「城」とか、カフカ作品に漂っている不安感はすごいんだよなあ。特定の箇所というより、全体にそういう空気が満ちている。自分は翻訳しか知らないけど、原書でもそうなのだろうか。
そういえば、カフカとほぼ同時代人の芥川龍之介の自殺理由に、ぼんやりとした不安というのがあったと思う。とすると当時は、こういう不安感が蔓延していたのだろうか。カフカはそういう時代の空気を作品に反映させてたのかなあ。
2016/11/2(水) 午後 8:40[ 自由 ]

*アンチに変身したら
考えようによっては、HSの中でも「変身」みたいなことはあるね。
熱心な信者だった人がアンチに変身したら、他の信者たちから毒虫扱いされて、疎まれるとかさ。
たとえアンチに変身したとしても、その内にある心、性格、人間性は全然変わってないのだけれども、信者たちからはアンチという外面だけで裁かれて、排斥されてしまうんだよね。
こう考えると、カフカの「変身」は宗教批判としても読めるかもしれない。専門家からしたら、見当違いだと笑われちゃうかもしれないけど、信者たちからアンチというだけで、まともな人として遇してもらえなかった経験がある自分としては、これはかなり真実味のある解釈ではある。
2016/11/2(水) 午後 8:43[ 自由 ]

*カフカといえば
ちなみに自分は、カフカといえば、松浦理英子を思い出す。「親指Pの修業時代」「犬身」とか。
「犬身」はタイトルからして「変身」をパロッてるし、内容も容易に想像できる。ただ主人公は偶発的に犬になるのではなく、決意して犬になってたと思うけど。
「親指Pの修業時代」は足の親指がペニスになってしまった女性が、それによってこれまで知らなかった人々との交流を重ねて行く話だったかと。タイトルはゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」をもじってるのかなという気がしないでもないけど、このゲーテ作品は読もう読もうと思いつつも、いまだに未読なので両者の関連はわからん。あ、でも、「美わしき魂の告白」はウン十年前に読んだ記憶があるので、まったくの未読でもないかな。
2016/11/2(水) 午後 8:45[ 自由 ]

*宗教はビジネスか?
大川隆法って、宗教とビジネスを並べて語ることはちょくちょくあるね。何の本か忘れたけど、自力宗教よりも、他力宗教の方が、需要がある、市場が大きいというような話があって、驚かされたような記憶がある。記憶はあいまいなんで、ひょっとしたら自分の勘違いかもしれないけど。
宗教を説明するときに、どういうたとえをもってくるかで、その人が宗教をどのように考えているかが分かると思うし、このあたりのことは人を見抜くうえで大事なことだと思う。
・蓮如の霊言 宗教マーケティングとは何か
http://211.1.226.62/products/detail.php?product_id=1763
2016/11/2(水) 午後 8:55[ 自由 ]

*すごい発想だ
幸福実現党が公明党と組むだなんて、思ってもみなかったよ。すごい発想だ。
まあ実際のところは、それが実現する可能性は少ないと思うし、本人もその点は承知の上で発言しているようだけど、それはそれとして発想力自体は立派なもんだ。
ブレーンストーミングとかは、コウさんがいれば盛り上がりそうだなあ。
◆現代の薩長同盟とは?|幸福の科学の信者が幸福実現するブログ
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12215636478.html
◇現代の薩長同盟|英の降魔成道
http://ameblo.jp/hide1906-7/entry-12215686448.html
2016/11/2(水) 午後 9:42[ 自由 ]

*横のつながり
伝統宗教では横のつながりはけっこうあるらしい。世界宗教者会議のようなものとか、カトリックとプロテスタントが共同訳聖書を出すとか、カトリックの神父が禅寺で座禅をするとか。
新興宗教でも、谷口雅春の「生命の實相」を読むと、他宗教との交流はあったようだ。
でも幸福の科学では、こういうことはあまり聞いたことない。大川隆法が他教団に招かれて講演するとか。他教団の教祖を招いて講演してもらうとか。そういう予定はないのかな。
宗教の統合を目指しているのであれば、こういう動きが活発でもよさそうだけど、そういう活動をしそうな雰囲気は今のところ感じられないね。
2016/11/2(水) 午後 9:50[ 自由 ]

大川は、「テメーが一番」だから、横の繋がりは絶対、作れない
だから、HRP自体、保守団体から敬遠される。
自業自得。
HSにもHRPにも未来はない。
力がないのに「一番宣言」したら仲間から潰される、のは世の常。
しかし・・・相変わらず英のストーカー。
蟻と油虫、
絡新婦と寄生虫ww
2016/11/2(水) 午後 11:49[ 何処野独逸 ]

>大川は、「テメーが一番」だから、横の繋がりは絶対、作れない。
なるほど
これがもっとも大きな原因かもしれない
大川隆法って
宗教関係者のみならず
他の分野の要人とも
全然、交流ないみたいなんだよね
要人の守護霊とは話してるようだけど
要人本人にはちっとも会えてないらしい
著書が千冊だとか、二千冊だとかいうけど
そのなかで、教団外の人物との対談本はといえば
渡部昇一との対談本一冊だけかな
でも渡部昇一は深見青山とも会うような人だしなあ
30年も、救世の法を説き続けてきたというのに
各界の大物との交流、人脈はなく
教団職員と守護霊問答をやってばかりというのは
なんかさみしいものがあるなあ
考えてみれば
大川本がマンネリ気味なのも
本を読んで勉強するだけ
同じ人(職員)と話すだけで
各界の第一線で活躍している人と話す機会がないからかも
2016/11/3(木) 午後 7:31[ 自由 ]

*何を信じるか
これは地上の仏陀ではなく、その奥にある天上の仏陀を信じるとしているようだ。また法を説くことが大事だという。
>342 : 神も仏も名無しさん2016/11/02(水) 10:48:20.50 ID:hZE8Ize7
仏陀も
地上に降りればこの程度のものなのです。

ただ、それを実寸の仏陀と受け取るか
その下に隠された久遠の仏陀を見出すことができるか
それを個々に問うているのです。
この世では仏陀であっても風邪にかかるし明日の相場も言い当てることはできないのです。
ということは
そのようなことは仏陀に求めるものではないということがわかります。
では、何を!求めるべきなのでしょう。
具体的には分かりませんが、後世の人々の心の指針となるような法を説いておいて欲しいのです。
今すぐには理解できないかもしれませんが
世界が宇宙全体が調和していけるような法はどのようなものでしょう。
それは
与えられてもよい求めなのでしょう。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/147
2016/11/3(木) 午後 7:32[ 自由 ]

*説法で決まる?
法を説くことが大事といえば、最近、ガンさんのところでもあったなあ。今のHSでは、高度な法が説けたら仏陀だということになっているのだろうか
ぽん吉さんは、法の実践こそが大事であって、いくら立派な事を言えても実践できてないならだめだとしてるようだ。この辺りは大分ちがうね
>私の思考回路では、言っている内容が正しいということは、想念もそれに対応関係にあると思えるのですが。
Posted by ガンちゃん at 2016年10月25日 01:16
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/372887080.html#comment
>救世主の定義で言えば、
「救世の法」が説けるのが、「救世主」なんでね。
Posted by 英 at 2016年11月02日 11:42
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/372887080.html#comment
2016/11/3(木) 午後 7:33[ 自由 ]

*信仰と依存
依存、現実逃避、思考停止とは、なかなかに手厳しい。でもまあ信者さんたちを見ていると、そういう要素は多分にかんじられる。
まてよ……それらをひとまとめにすると、執着ということかもしれないな。
信者さんのなかには、気が荒くて、すぐ怒る人がいるけど、その原因はこのあたりにあるんだろうな。正しい信仰は心を癒し、寛容を生むだろうけれども、執着は心を乱し、争いを生むだろうからね。
全部の信者がそうだとはいわないが、信者のなかには、信仰と執着とを取り違えている人は少なくなさそうだ。ちょっとしたことですぐ怒る信者は、そっち側だろうな。
◎宗教ごっこはおやめなさいな|ピア健/ガチムチ健太郎の魔法・異世界・パラレルワールド研究所
http://ameblo.jp/pianist-kentaro/entry-12215564028.html
2016/11/3(木) 午後 7:38[ 自由 ]

*信仰と、信仰対象
ふと思ったけど、信仰(信仰心のありよう、心の状態)と、信仰対象(教祖、神)は区別すべきことかもしれないな。
たとえば、カルト信者のなかにも、心のきれいな人はいる。こういう人は、信仰(心)は正しいだろうけれども、信仰対象はまちがってる。
逆に、きちんとした宗教の信者にも、おかしな人はいる。これは信仰対象はまともだけども、信仰(心)はまちがってるのだろう。
最悪なのは、カルト信者で、かつ、心もみにくい人だ。信仰(心)も、信仰対象もまちがってる。これはなかなかにやっかいかもしれん。
2016/11/3(木) 午後 7:48[ 自由 ]

楽山くん、
ン、レオ、英、トンヌラ、アマミ、アモーレ、フェニックソ・・・
あいつらをよく観察してご覧。
共通項があるから。
「我が出過ぎている」
ということ。
あれだけ我が出て、信仰も糞もないよww
まあ、教祖からしてエゴの塊だから仕方ないけどww
同じ系統の種族なんでしょうねww
楽山くんにも、俺にも、
全く関係のない動物たちだ、ということさww
2016/11/5(土) 午前 0:57[ 何処野独逸 ]

たしかに、我は強いかも
でも不思議だな
宗教は、我を抑える働きがありそうなもんだけど
熱心な信者ほど、我が強かったりするからね。なんでだろう
2016/11/5(土) 午前 8:16[ 自由 ]

考えてみりゃ
いまだに信者を続けてる人たちは
みんな我は強いかもね
落選、離婚、パンツ強盗、祖父母殺害、家宅捜索
口が臭い、9億円はゴミ、バレバレの霊言、
さらには、いつもいつも、金、金、金ばかりだ
こんな状況でも
「HSは正しい。私の宗教選択は正しい」と言い張るというのは
これはかなりの意地っ張りだよ
2016/11/5(土) 午前 8:19[ 自由 ]

*浜辺の足跡
曽野綾子の『老いの才覚』を読んでいたら、巻末にアデマール・デ・パロスの詩「神われらと共に」(別名:浜辺の足跡)が紹介されてた。
HSでは、振り返ると、自分と守護霊の足跡がついていたというストーリーの有名な話である。大川隆法の創作かと思ってたけど、やはりネタ元があったようだ。真理に著作権はないというけれど、ネタ元があるならきちんと公表してくれればいいのにと思う
ちなみに、「浜辺の足跡」の最後はこうなっている。
ところが、主は私に答えて言われた。
「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」

2016/11/5(土) 午前 8:48[ 自由 ]

*救世主は不要なのか
ミコスさんの救世主は不要とする発言に対して、ガンさんは敢然として立ちあがったようだ。ただ、言いにくいこともはっきり言うといいつつも、なぜかミコスさんの名は伏字にしてるのはおもしろい。
>Posted by ミコス at 2016年11月05日 13:09
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/443467503.html#comment
◇救世主不要論? ○○○さん あなたの考えは間違っています|やすらぎのガンブロ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/443550782.html
2016/11/6(日) 午前 8:00[ 自由 ]

*真理を体現?
ガンさんは、大川隆法は真理を説いているから救世主だと考えているようだ。でもミコスさんは、救世主としては真理を説くだけでは不足であって、真理を体現してなくてはいかんとしているらしい。
これはつまり、救世主は真理を説くことはもちろん、真理を完全に実践できる存在だということかな。
としたら、初期HSと同じ立場のようだ。初期HSでは大川隆法は真理を説き、かつ実践してるとされてた。それがいつのまにか真理を説けるから救世主だとされて、実践の有無はあまり語られなくなったんだよね。
>大川氏がキリストや釈迦のように真理を体現しているとはとても思えません
体現していればもっと信者が増えるはずです。
>Posted by ミコス at 2016年11月05日 13:09
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/443467503.html#comment
2016/11/6(日) 午前 8:01[ 自由 ]

*グルイズムはいらない
昨今の精神世界では、グルイズムから離れていっているという。グル(導師)を神だ、救世主だとして崇拝するのはよろしくないからね。ミコスさんが救世主は不要だとするのは、この意味だろうか。
HSも、初期の頃はこの流れにそっている部分もあったんだよなあ。真理そのものが神であるから、教祖を崇拝するのでなく、真理に帰依し、実践することを尊ぶという感じだった。
また真理は、HSだけではなく、他の宗教、思想でも説かれているとされてた。真理はHSでなければ学べないとはしなかった。
こういってはなんだけど、私から見るとミコスさんの主張は、スピ系としてはわりと王道的なものだ。でもガンさんは激しく拒絶してる。このことは、HSはスピ系でも特殊だということを示してそうだ。
>このように正法自体が最早救世主を必要としないと言っていることを
幸福の科学は知らないのです。
>Posted by ミコス at 2016年11月05日 13:09
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/443467503.html#comment
2016/11/6(日) 午前 8:04[ 自由 ]

*行いで判断する
論語には、孔子が、弟子が師の目の届かないところで怠けているのを見て、今までは弟子の言葉を信用していたけれども、これからは行いを見てから判断することにしようと言ったというエピソードが紹介されていたと思う。
HS退会者も、これとよく似た感慨を述べることがある。「大川隆法は立派な教えを説くから、すごい人だと思った。でも、よくみれば、その教えをちっとも実践していない。人を見るには、言葉だけでなく、行いまで見なくてはいけないようだ」
両者は、師から弟子へ、弟子から師へというように方向性の違いはあるけれども、人は言葉だけでなく、行いを見なくては分からないという点は共通しているようだ。たぶん、この点は真実なんだろうなあと思う。
2016/11/6(日) 午前 8:18[ 自由 ]

*おもしろい流れ
ははは。こうして並べると、この流れはおもしろい。
●宗教の見分け方|楽山日記
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40611290.html
>2016/11/7(月) 午前 6:55 [ 自由 ]
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40597282.html#40611251
◇ジョン・ロックの言葉 ~真理と偏見、その違いを見分ける方法~|LEO幸福人生のすすめ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12217164886.html
2016/11/7(月) 午後 8:52[ 自由 ]

*ファルコン告発
それにしても、現役信者には、ファルコン告発を過小評価してる人が多いようだ。でも実際のところ、ファルコンさんは信者との議論では連戦連勝なんだよね。
過去を振り返ると、ファルコンさんが軽井沢精舎の存在を明かした時に、信者らはそんなものはないと否定した。でも、あとでその存在が証明された。
また、ファルコンさんは教祖夫妻の不仲を指摘したときがあった。この時も信者らはそんなわけないと否定した。でも今では教祖夫妻は離婚し、長年の確執が明らかとなった。
ファルコンさんは、不倫容認の法話の存在をうったえたこともあった。例の如く、信者はこれを否定したけれども、その後、ファルコンさんの主張が正しいことが判明したこともあった。
●法話「光り輝く女性のために」における支部長問答。|HSログ倉庫番
http://blog.livedoor.jp/warehouse_2chlog/archives/51249022.html
2016/11/7(月) 午後 8:53[ 自由 ]

*この世は悪魔がつくった?
先日から、『正義の法』を読んでるけど、早くも第2章でつまづいてしまった。
大川隆法は下の発言をしているけれど、どこの小乗仏教で、この世は悪魔がつくったといっているのだろうか。
本文には、「極端なほうに流れると」とあるから、小乗仏教系のカルトで、そんなことをいってるところがあるのかな。
それとも、文脈からすると、タイやスリランカの小乗仏教で、この世は悪魔がつくったとしているのだろうか。
まさかとは思うけど、この世の一切は苦であるというのを、この世は悪魔がつくったという主張だと解釈しただけではあるまいな……。
>小乗仏教の問題点は、極端なほうに流れると、「この世は悪魔がつくった世界だから、[省略]
(大川隆法『正義の法』、p.71)
2016/11/9(水) 午後 7:17[ 自由 ]

*魂とはDNAのこと?
同じく、第2章では、ドーキンスは下のような発言をしたとされている。
うーん、どこでそんなことを言ったのだろう。にわかには信じられん。
ドーキンス著『利己的な遺伝子』には、遺伝子は、個人の肉体の死によっても滅びることなく、子孫に伝わって行くという見方が示されていると思うけど、これに霊的人生観を重ねて解釈しちゃったのかな。
「ドーキンスは、肉体は舟であり、遺伝子は船頭(霊魂)だとしている。これは『DNAこそ魂だ』という主張だ」という風に。
もしそうだとすれば、なかなかに独創的な解釈かもね。
>「DNAこそ魂の正体だ。DNAが連鎖して次々とくっつき、男女の間で生まれ変わってくるので、魂の正体はDNAだ」と言っているわけですが、
(大川隆法『正義の法』、p.83)
2016/11/9(水) 午後 7:19[ 自由 ]

*日本教は人命第一主義?
第3章では、山本七平は日本教は人命第一主義だとしたと書いてある。これも妙だ。
私の読みだと、日本教は人命第一主義というより、人間中心主義だという主張だ。
日本人は昔から、己の心を磨くことなどを第一として、その方法論として宗教を用いた。洗礼名ハビアン(日本人)が、仏教、キリスト教、儒教と、服を着替えるように宗旨を変えた例をみれば、このことがよくわかると。
人命第一主義は日本教というより、現日本を支配している空気であって、水をさされることで変わり得るものではなかろうか。
大川隆法は、ハビアンの翻訳した平家物語の背後に、人を人とも思わぬ所業は許されぬという価値観があるという説明から、日本教は人命第一主義だと解釈したのかなあ。
>「日本教」には「人命第一主義」のようなところがある
(大川隆法『正義の法』、p.145)
2016/11/9(水) 午後 7:22[ 自由 ]

*どうにかならんか
ところで、講演では、あまり細かくしゃべるわけにもいかないだろうけれども、本にするのであれば、誰がこう言ったというところには、その発言はどの本の何ページに書かれてあるという注なり、引用なりがあればいいのにと思う。
これがないと、確かにそのような発言があったのか、それとも講演者がそのように受け止めたという解釈にすぎないのか、区別がつかないので、すごく困る。
一例として挙げると、上の山本七平の発言については、山本七平の霊言では、人間の生命安全が日本教の中心だと語られたと注記されていても、生前の著作からの説明は見当たらないんだよね。
こういうことは信者からしたら何らの問題も感じないだろうけれども、非信者からしたら、なんじゃこりゃ、霊言が根拠かよと思っちゃうよ。霊言じゃなくて、確かにその人が書いたものから根拠を提示してくれと。
2016/11/9(水) 午後 7:48[ 自由 ]

*仏陀宣言の撤回?
下の発言を読んで思ったのだが、大川隆法は完全ではなく、間違うこともあるのであれば、大川隆法は間違えて、アンチが正しいこともあり得るね (笑)。
まあ冗談はさておき、完全な真理と、完全に一致しているからこそ仏陀であり、100パーセントの信仰を求めることができるのだろう。もし少しでも完全な真理から外れるところがあるなら、仏陀ではないし、100パーセントの信仰を求めることはできないことになるね。この意味で、下の発言は重要だ。
私も、この世においては完全ではないので、あるいは、さまざまな考え違いや思い違い、配慮しなかった部分等がないとは言えません。ただ、「最大公約数的に、このようにしていったほうがよい」ということを述べていきたいと考えているのです。
(大川隆法『正義の法』幸福の科学出版、2016年、p.275)
2016/11/10(木) 午後 7:30[ 自由 ]

*迷える羊
福音書には、イエスは100匹の羊のうち、1匹が迷ったら、99匹をおいてでも、その1匹を探しに行くという話がある。
この話は、どの視点から見るかで意味が違ってくる。まず99匹の視点からは、自分らより、バカな1匹が大事なのかと不平がある。羊飼いの視点からは、1匹のために99匹を危険にさらすのは賢明な判断かどうかは微妙となる。でも迷える1匹の視点からすれば、すごくありがたいことになる。
というわけで、この話は、迷える羊というのは自分の事だと気づけたら涙が出るほど感動するけど、自分は迷える羊じゃない、そんなにバカじゃないと思ってる人には意味分からん話になるにちがいない。
こういう読解からすると、大川さんも全然わかっちゃいないみたいだ。
>一匹に対しても配慮しなければいけないけれども、九十九匹だって守らなければいけない
(大川隆法『正義の法』幸福の科学出版、2016年、p.325)
2016/11/10(木) 午後 7:33[ 自由 ]

*これなら分かる
最近のピア健さんの記事は、いまいち分からんかったが、これなら分かりそうだ。HS的視点とは、ちょい異なっていながらも、間違っているわけではなく、正しさを備えているという、そういう意見はおもしろい。
人によっては、多様性顕示欲だといって怒る人もあるようだけども、正しさを立体的に知るということに関しては、これはすごくいいことだと思うんだよね。
◎努力を認めても差別に陥りやすい考え方|ピア健/ガチムチ健太郎の魔法・異世界・パラレルワールド研究所
http://ameblo.jp/pianist-kentaro/entry-12217514720.html
2016/11/10(木) 午後 7:44[ 自由 ]

*検索してみた
ミコスさんの言う通りに検索して、一番上に出てきたページをみたら、下のことが書いてあった。これは、スピ系としては標準的な考え方のようだ。
でも、ガンさんは大反対してる。スピ系を学んでるはずなのに、なんでそんなに反対するんだろかね。
この議論は、幸福の科学とスピリチュアリズムは、ともに霊性進化論を基礎にしてるけども、個人崇拝の有無からゆくと、まったくの別物だということがよくわかっておもしろい。
>神々からのメッセージ 第三章 真名井神社 で検索してください。
>Posted by ミコス at 2016年11月10日 12:35
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/443658229.html#comment
一人ひとりの魂は神と繋がるスイッチを必ず持っています
神の声はそれぞれの心の中で聞き取るものであること
http://blogs.yahoo.co.jp/ryo_smileforme/12738031.html
2016/11/12(土) 午前 8:36[ 自由 ]

*審神者としての能力
これはほんと、その通りだなあ。過去世認定をまちがうということは、審神者としての能力がいまいちだということだからね。
そういう人が、「これは高級霊の霊言です」といったところで、信じようがないよ。
◎~ 偽仏陀の証明 ~ 『黄金の法』に関する鋭い指摘|「邪教・幸福の科学」を斬る!!
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12218579139.html
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2016/09/15/202017
2016/11/12(土) 午前 8:37[ 自由 ]

*無名ということ
ところで、ミコスさんと、ガン英さんたちとの議論をながめていて、昔、聞いた質疑応答を思い出した。
質問は宮沢賢治の過去世についてで、大川さんは、過去世の名前は残念ながら伝わってません、無名のままでお亡くなりになっています、でも本当に、心から人のために尽くて生きた方でした、というようなことを言っていたと思う。
自分はいまでも、この話はすきなんだよなあ。まさに、名もいらぬ、金もいらぬ、地位もいらぬ、ただ人のためになれたら、それでいいという生き方だからね。
ついでにいうと、作者不詳の詩歌もいいと思う。作品だけをのこして、作者は名前も残さず去って行くというのは美しい。
偉人の母もそうだな。偉人の母になる女性は、たぶん菩薩以上なんだろうけど、名前も残ってないのが殆どではあるまいか。自分の子供を大事に育て、その行く末を案じつつこの世を去り、すぐに忘れられてしまうというのは、さみしいけれども、美しい生涯と思う。
2016/11/12(土) 午前 9:04[ 自由 ]

*削除された教え
ミコスさんの問いのこたえは、「『法子の部屋』はんによる検証」をみたら、一目瞭然だね。

幸福の科学の初期の霊言では、
神は己の中にあり己の心の中にある 外部に救いを求めてはいけません。
と書いてあるそうですが、考え方が変わったのでしょうか

>Posted by ミコス at 2016年11月11日 15:29
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/443658229.html#comment
●続 『旧版・日蓮聖人の霊言』 ~ 『法子の部屋』はんによる検証
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-242.html
●『旧版・日蓮聖人の霊言』~幸福の科学・初期の教え
http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-241.html
2016/11/12(土) 午前 10:49[ 自由 ]

*法を曲げる過程
上に貼った、サンポールさんとこの記事をみると、法が曲げられていく過程がよくわかるなあ。
法の方向性が同じであれば、より発展し、進歩したのだと言えるかもしれない。
でも実際のところは、方向性はガラリと変わってるからね。進歩、発展というよりは、方向変換、変質としか言いようがない。
初心忘るべからず、初志貫徹などというけれど、初期からの信者さんにはこの点よく考えてみたいものだ。
2016/11/12(土) 午前 10:57[ 自由 ]

*自爆?
ぽん吉さん、向こうから反論がきてるよ。いや反論というより、追認かな。過去世認定は難しいと言い訳してるけど、結局、過去世認定は正確ではなく、審神者として不完全だと認めちゃってるようだからね
◎バカボンの自爆劇ww|「邪教・幸福の科学」を斬る!!
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12218696344.html
◇覇権国家包囲網は、すでに完成せり、何十年も前から計画実行済みだった!!|LEO幸福人生のすすめ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12218751476.html
◇三宝帰依を破る者(P&P)【追記あり】|LEO幸福人生のすすめ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12209076702.html
2016/11/12(土) 午後 8:28[ 自由 ]

おはようございます!
これはまた過激な表現だなあ
でも、ピア健さんが書いてるように、意図的な釣りだと分かると
自然といくらか割り引いて聞こえるから不思議だ
ところで、何処野独逸さんの主張はシンプルだなあ
「ORは仏陀ではない。ORをいくら信じても、三宝帰依にはならない」というのは、すごくわかりやすい
でも、あちらの主張は難解だよ
「ORは過去世認定でまちがうこともありえる。でも信仰は100パーセントでなければならぬ。ORは100パーセント正しいと信じて、三宝帰依しなければならぬ」ということだろうからね
「ORの言葉は100パーセント正しいわけではないが、100パーセント正しいと信じなければならぬ」って、これは難易度高いよ
信仰は矛盾や不合理を超えるものだろうから、絶対に無理ではなかろうけど、これを超えるのは大変そうだ
◎バカどもをあぶり出せ|ピア健/ガチムチ健太郎の魔法・異世界・パラレルワールド研究所
http://ameblo.jp/pianist-kentaro/entry-12218686570.html
2016/11/13(日) 午前 8:55[ 自由 ]