*無宗教?
武者小路実篤の全集を読んでいたら、後書きに次の一文があった。
僕は東洋人で、既成宗教とは縁のない人間で、神があるとも別に思つてゐないし、人間を罪の子とも思つてゐない。
(武者小路実篤「或る男」『武者小路実篤全集第三巻』新潮社、昭和29年、p.481)
*旧字は新字にした。
武者小路実篤はその思想、文章からは、かなり宗教的な人のように感じられるけれども、自らは無宗教をもって任じているのだろうか。もしそうならば、無宗教だからといって宗教心がないとはいえないという好例かもしれない。


*矛盾?
それにしても、宗教心とはおもしろいものだ。無宗教なのに宗教心が濃厚な人もいれば、宗教信者なのに宗教心は薄いように見える人もいる。
神を信じないというのに神を信じているかのように行動する人もいれば、神を信じるというのに神を信じていないかのように行動する人もいる。
神(宗教)を信じていると信仰告白するかどうかだけでは、その人の宗教心は量れないということなんだろうなあ。〈了〉