無神論では
これこれ、こういう神は存在しないとする

でも
真なる神は、人知を超えており、人には認識しきれないものだという
そうであれば、これこれ、こういう神は存在しないといっても
それは人知によって定義された偽の神の存在を否定しているだけのことである

無神論にできるのは、人のこしらえた偶像を破壊することくらいであって
真なる神には、なんらの影響も与えることはできないのだ

こう考えると
無神論というものは
真なる神を発見するまでの一過程であって
そこにこそ、存在価値があるのかもしれない

また別の見方をすれば
無神論を拒否するということは
偶像を破壊することを拒否することでもあり
真なる神に背を向けることであるのかもしれない

さらに別の見方をすれば
人々に無神論を拒否させることができれば
いつまでも偶像を崇拝させておくことができるということにもなる

信仰者からしたら、おかしな結論かもしれないが
本当の信仰のためには、どうしても無神論を通る必要があるように思う。