「中庸」第18章に次の文章を見つけた。聖人の境地は、聖人でなければ分からないということらしい。

ほんとうにすぐれた聡明と秀でた知恵とを備えて完全な天の徳に到達した人でなければ、いったいだれにその境地を知ることができようか。[聖人の完全な誠の境地は、聖人であってこそわかるものだ。]
(『大学・中庸』〈岩波文庫〉訳注者金谷治、岩波書店、1999年、pp.238-239)

前々から、「仏陀のことは、仏陀でなければ分からないのではないか。ある人が仏陀の悟りを得ているかどうかは、仏陀の悟りを知っている仏陀でなければ判定できないのではないか」と思ったりしていたのだが、この文章から考えると、これはまったくの見当違いというわけでもなさそうだ。

新興宗教の信者などは、教祖のことを神だとか、仏だとかいったりするけれども、人は神のことも、仏のことも分からないのだから、その教祖が神なのか、仏なのか分かるはずがないのだ。それにもかかわらず、教祖のことを神だ仏だと強弁するならば、それは分からないことを分かったふりをすることであって、決してよいことではない。

と、まるで人ごとのように書いてるが、自分にも、立派な人をみるとすぐに神だ何だと崇拝してしまう癖があるので、この点、気を付けなければならないなあと思う。〈了〉





*コメント欄のコピペ
(yahoo!ブログからの移行時に、最新20コメより前のコメは移行されなかったので、その部分も含めてコピペ)


コメント(203)
顔アイコン楽山さん こんにちは

「自分にも、立派な人をみるとすぐに神だ何だと崇拝してしまう癖がある」

生きていようと死んだ後であろうと、どんな人であろうと人を神(仏)だと崇拝するなんて、私にはとてもわかりませんね。倒錯としか思えません。仏陀はそのことを知っていた人だったと思います。
2019/2/11(月) 午後 0:33[ shalom ]返信する

顔アイコンshalomさん、こんにちは。

その部分は、我ながら大袈裟なもの言いだったかなとも思いますが、自分にはやはりそういう傾向はあるようです。人に限らず、立派な大木なども、畏れ、敬わずにはいられない方です。
2019/2/11(月) 午後 4:54[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

「我ながら大袈裟なもの言いだったかなとも思いますが、自分にはやはりそういう傾向はある」

結構あちこちで書いておられるようですから、かなり自覚されていることだと思いますね。
日本教徒というのも日本の自然やながい歴史の中で育まれたことですから、あまり自覚していることではないけれど、根深い日本人のアイデンティティとなっていることではないかと思います。いい悪いではなく、日本人の自然な魂とでも言える感性になっていると思います。でも異なる物事にふれる時、そうした心の感受性によって、無意識、無自覚的に受容と排除という選別がされ、同化、順応が求められ、異質なものを排除してしまう強い傾向となっていることも否定できないと思います。
2019/2/11(月) 午後 8:29[ shalom ]返信する

顔アイコン交通も便利となり、情報の伝達も早くなり、世界も狭くなり、グローバリズムが急速に進んでいく現在、日本一国のみならず、ひとりの人間として生きていくことも難しくなり、物事すべての分野で閉塞状態が人も社会にも覆いかぶさっているのではないでしょうか。従来の受容と排除の論理による同化や順応ではとても乗り越えられない困難な時代になっていると感じます。
旧来の陋習(ロウシュウ)を破り天地の公道に基づくべしとは明治天皇が明治維新以後の日本を導く為に五か条のご誓文として掲げられた一文ですが、それに匹敵するような激動の時代だと思います。
破るべきものを破ることが大事ですが、それが日本教徒的な陋習といっては言い過ぎでしょうか。現実には日本の政治は逆行していて、問題を深めていて、それを止めることができないようです。それは決して欧米的になるということを意味しません。なぜなら欧米キリスト教諸国も同じ閉塞状態に直面しているのですから、それは全人類的課題となっていると思いますが、いかがでしょうか。ではまた
2019/2/11(月) 午後 8:33[ shalom ]返信する

顔アイコン(私)
いちばん、分からないことを分かったふりをしているのが、シャロームです。
そのシャロームを受け容れて、まともに話しているつもりなのが、安楽山です。

(シャローム)
楽山さん こんにちは
「自分にも、立派な人をみるとすぐに神だ何だと崇拝してしまう癖がある」
生きていようと死んだ後であろうと、どんな人であろうと人を神(仏)だと崇拝するなんて、私にはとてもわかりませんね。倒錯としか思えません。仏陀はそのことを知っていた人だったと思います。
2019/2/11(月) 午後 0:33 [ shalom ] 返信する

(私)
知りもしないのに仏陀のことを言っていますが、自分の解釈を訂正不能にして崇拝しているのが、シャロームであります。人の言うことなど、微塵も受け取らずに、また、今日も、ペテン師の生業を続けています。
2019/2/11(月) 午後 11:33st5402jp返信する

顔アイコン神秘に惹かれる傾向は、誰でもあることですが、信仰においては、人間にとって、手に負えることと、手に負えないことを明確に分ける必要があります。でないと、シャロームのように、人間離れの讃美言葉だけが信仰になってしまい、節操や深謀遠慮が全くできない人に、それだけでなく、目の前の物事の是非ですら分からない人になります。
2019/2/11(月) 午後 11:34st5402jp返信する

顔アイコン日本教徒というのも日本の自然やながい歴史の中で育まれたことですから、あまり自覚していることではないけれど、根深い日本人のアイデンティティとなっていることではないかと思います。いい悪いではなく、日本人の自然な魂とでも言える感性になっていると思います。でも異なる物事にふれる時、そうした心の感受性によって、無意識、無自覚的に受容と排除という選別がされ、同化、順応が求められ、異質なものを排除してしまう強い傾向となっていることも否定できないと思います。
2019/2/11(月) 午後 8:29 [ shalom ] 返信する

(私)
また、ここで、話を、人間から、どこかで読んだことの受け売りで日本のアイデンティティへと誇大化して、日本人の自然な魂と言いながら、ボロクソ節で、いい悪いではなく、受容と排除と言い、言ったことで満悦し、ゴチャゴチャにして、区別や基準も示さずに、得意げな豪語を始めています。それは、感受性ではなく、妄想です。
2019/2/11(月) 午後 11:34st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
交通も便利となり、情報の伝達も早くなり、世界も狭くなり、グローバリズムが急速に進んでいく現在、日本一国のみならず、ひとりの人間として生きていくことも難しくなり、物事すべての分野で閉塞状態が人も社会にも覆いかぶさっているのではないでしょうか。従来の受容と排除の論理による同化や順応ではとても乗り越えられない困難な時代になっていると感じます。

(私)
これが、シャロームのボロクソ節です。このとき有頂天で、全く自分のことを考えていないので、他者としての日本を罵っているのです。この豪語が受け入れられると、シャロームは、とても気持ちがいいのです。是非も真偽も問われない、こんにゃくのような、このサイトで、それが満たされているのでしょう。
2019/2/11(月) 午後 11:35st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
旧来の陋習(ロウシュウ)を破り天地の公道に基づくべしとは明治天皇が明治維新以後の日本を導く為に五か条のご誓文として掲げられた一文ですが、それに匹敵するような激動の時代だと思います。
破るべきものを破ることが大事ですが、それが日本教徒的な陋習といっては言い過ぎでしょうか。

(私)
言い過ぎではなく、何も言っていないのと同じなのです。陋習とは、悪い習慣のことらしいですが、説明もせずに、ご過剰のご誓文を引用しながら、導いたのは、激動の時代、ということだけです。自己顕示欲だけで書いてくるシャロームの言説とは、このような、受け売りと、言葉尻という、考察抜きの、無駄を強いるものです。聞くほうは、太鼓持ちになって、ご機嫌取りをすることになります。シャロームのインテリ気取りからは、疲労しか生まれません。
2019/2/11(月) 午後 11:35st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
現実には日本の政治は逆行していて、問題を深めていて、それを止めることができないようです。それは決して欧米的になるということを意味しません。なぜなら欧米キリスト教諸国も同じ閉塞状態に直面しているのですから、それは全人類的課題となっていると思いますが、いかがでしょうか。ではまた
2019/2/11(月) 午後 8:33 [ shalom ] 返信する

(私)
日本も、欧米も、駄目だと言っています。自分は正しいという無根拠の決めつけです。こういうことをしばしば言ってくるので、はっきり断らないで付き合い続けると、ついには人生を無駄にするでしょう。シャロームの底の浅さを見抜けない人が犠牲になるパターンです。
2019/2/11(月) 午後 11:36st5402jp返信する

顔アイコンご過剰(誤)→五カ条(正)

私はインテリではありません。だから、信仰の話も、神学というレベルではなく、人間の因果や、人間の必要から考えてゆきます。シャロームは、一挙に、世界と超常を語らないと満足できないために、身近な必要である人間性を腐らせてきました。
2019/2/11(月) 午後 11:40st5402jp返信する

顔アイコン昨夜は、「「日本人」という病」を少しだけ読んでみました。はじめの講演録だけ。
歴史認識とか、どうも自分とは合わないみたいですけど、一応最後まで読んでみるつもり。
2019/2/12(火) 午前 7:05[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンついでに他の本のことも書くと、
遠藤周作の「おバカさん」はまずまず面白かったので、続けて、『わたしが・棄てた・女』を読んだら大当たり。
正直な感想を書くと、登場人物の森田ミツは、純朴で、やさしくて、他者のために何かしないではいられない人だったので、女神様のようだと思ってしまった。
2019/2/12(火) 午前 7:05[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン巷では、人格円満で、よくできた人のことを、神様みたいだと表現することがあるけど、どうも自分にもそういう感覚はあるようだ。
2019/2/12(火) 午前 7:06[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンそういえば、HSを退会して、カトリックになった方は、神社には神様はいない、何もいないというようなことを言ってた。
自分にはどうもそういう感覚は分からなかった。神社には神様がおられるという感じがするので…。特に夜の神社には、なにかいるという感じは強くなる。
2019/2/12(火) 午前 7:20[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンこういうのは、後天的な教育やら、進化の過程で得た機能が誤作動を起こしてるだけかもしれません。
ただそういう感覚があるのは事実なので、さほどの差支えがないかぎりは、とりあえずはそれに従ってる次第です。
2019/2/12(火) 午前 7:21[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん おはようございます

「神社には神様はいない、何もいないというようなことを言ってた。」

HSを退会された人がはキリスト教の神の新たな体験をされると、そういうこともありかなとは思います。
もしHSに対する批判としてなら批判している対象と内実が変わらない、同じであるとも言えるようですね。
イエスは“”裁いてはいけない。裁くあなたも裁いている人と同じことをしていると言われました。同じことをしている!というの
はショックですが、まさか!?ですね。認めたくはありませんが、本当のようです。善悪の木の実を食べるとその気づき、自覚、病識がマヒしやすいのは確かですね。
2019/2/12(火) 午前 9:28[ shalom ]返信する

顔アイコン「神社には神様がおられるという感じがするので…。特に夜の神社には、なにかいるという感じは強くなる」

その感じは私にもわかりますよ。特に夜の神社に“何かいる”という気配、感じと神様がおられることと同じだと思うと気味が悪いですね。(笑)
昔、ドイツで数人の外国人のブラザーと深い森を歩いていた時、日本の森とはどんなに違うかと聞かれたことを思い出しました。
そこは大きな木立があり、広くさわやかな感じでした。日本の森で良く感じることをどう答えていいのかわからないでいると、wildかと言われましたが、違うとは言ったものの、日本の森や自然の中で感じることを英語力不足でどう表現していいか答えに戸惑いましたが、やはり違う雰囲気でした。その時、私は日本人だなと思いました。私は結構繰り返して体験することでしたから、覚えていますが、外国から帰る時、飛行機が日本に近づくと感じるある種のふあっとおおってくるような感じ、気配があり、日本に帰ってきたなとよく感じさせられましたね。
2019/2/12(火) 午前 9:29[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん
「そういう感覚があるのは事実なので、さほどの差支えがないかぎりは、とりあえずはそれに従ってる次第です。」

たくさんの日本人が外国に留学、海外駐在の仕事で外国に行き、
クリスチャンになって帰って来る人がかなりおられます。
でも日本に帰ってこられるとやはり続かない人もたくさんおられます。続かない人の感じはやはり、重い、束縛感、空気感のようですね。
いま我が家で黒にんにくをつくっているのですが、孫娘が家に入って来るなり、あ、にんにくのにおいというのです。
わからないように、少し離れた倉庫のなかで炊飯器の保温状態で作っているのですが、ニンニクの強いにおいだからです。一泊してニンニクのにおいに染まって帰って行きました。(笑)
2019/2/12(火) 午前 9:54[ shalom ]返信する

顔アイコンなんか気を遣っていただいてるようですね。ありがとうございます。

「日本の森」で思い出したけど、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」はいいですね。
墓地のことを青山というと知ってからは、ますますこの句が好きになりました。

>「青山」は、死んで骨を埋める地・墓地のこと。
http://kotowaza-allguide.com/ni/ningenitarutokoroseizan.html
2019/2/12(火) 午後 8:19[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンついでに書くと、夏になると、いつも思い出すのが、この俳句。
夏の暑さはうんざりするけど、今の時期はその暑さが恋しく、懐かしいという…(笑)。

> へそが汗ためてゐる 種田山頭火 草木塔
https://fudemaka57.exblog.jp/26861710/
2019/2/12(火) 午後 8:20[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

河合隼雄さんは日本におけるユング派心理学の第一人者で、日本神話の研究もされ、日本人と社会に対する良き理解者ですね。とても分かりやすい本が多いですね。何か参考になることがあればいいですね。遠藤周作さんのおばかさんはずいぶん前に読みましたががっさんの人物像の印象は親しみ深く残っていますが、内容そのものはほとんど記憶していません。おばかさんのがっさんは夜のガリラヤ湖の波の上を歩いて船に乗って風と波のために向こう岸になかなかつけなくて漕ぎ悩んでいる弟子たちに近づかれるイエスさまの姿をやさしく、ユーモラスに描いているのでしょうか?どのように感じられましたか?
聖書を熱心に読んだ著者は太宰や芥川、有島など多いようですが、クリスチャン作家は多くないようですね。その一人の椎名麟三の経歴と郵便局の窓口でイエスさまに出会ったことを書いた美しい女など心に残っていますが、楽山さんの読書量のすごさにおどろき、改めて私の読んだ本がほんとうに少ないなと思います。
でも何回読んでも読み飽きない、読みつくせない本は聖書かな、そんな本に出合えて幸せだとは思います。感謝!
2019/2/12(火) 午後 9:21[ shalom ]返信する

顔アイコン(私)
シャロームは、ずっと前から、批判に対して、婉曲的に、裁くな、という聖句を引用してきました。しかし、コメントをことごとく削除して、自分に都合のわることを自分で裁いてきたのはシャロームであります。この聖句の悪用は、シャロームの偽善の常套句です。
(私)
善悪の木の実を食べると、気づきや自覚や病識が麻痺するのでしょうか。では、私たち信仰者が、キリストの愛に気づき、信仰に至るのは、そして、悪しきものを良きものとを分けて、福音を与えられ、また、伝えようとするのは、麻痺の結実でしょうか。断じて違います。シャロームの偽キリストかつ反キリスト妄想伝道の文言に騙されないでください。
2019/2/13(水) 午前 0:40st5402jp返信する

顔アイコン(安楽山からの引用)
「神社には神様がおられるという感じがするので…。特に夜の神社には、なにかいるという感じは強くなる」
(シャローム)
その感じは私にもわかりますよ。特に夜の神社に“何かいる”という気配、感じと神様がおられることと同じだと思うと気味が悪いですね。(笑)

(私)
この「(笑い)」の気持ち悪さが分かるでしょうか。インチキ占い師やカルトが勧誘するときの騙し文句に似ていないでしょうか。
2019/2/13(水) 午前 0:40st5402jp返信する

顔アイコン(私)
なごみの会話をしているように見えますが、安楽山も、「(笑)」を返しています。HSというカルトから脱会したと言っていた安楽山ですが、ボロクソ節も胡散臭さも見抜けないのでしょうか。シャロームがインチキ占い師かカルトの勧誘なら、安楽山はそれに騙されてゆく人の典型のような、受け答えに見えてしまいます。
(私)
このようにして、シャロームは、なごみから、親しみへ、そして、ゆくゆくは、罪を認めず悔い改めない、という、反キリストとしか思えない自説の妄想へと、今まで、多くの人に、悔い改めない怨念と奇跡信仰を掏り込んできたのでしょうか。恐ろしい人です。
(私)
いたるところに青山あり、という言葉があります。青山は墳墓の地、つまり、死に場所のことでしょう。しかしながら、自分の青山を、インチキカルトの偽善者のほしいままに決められたくはないです。



キリスト者は、キリストに愛されて信仰者となり、キリストの同伴を得て、神の導きによって運ばれ、罪を悔い改める日々を過ごし、神の定めた時と所で、地上の人生の終焉を迎えます。
2019/2/13(水) 午前 0:41st5402jp返信する

顔アイコン記事にしています。
2019/2/13(水) 午前 0:41st5402jp返信する

顔アイコンshalomさん、おはようございます。

うーん、河合隼雄は自分にはいまいち合わないかなという感じはしています。でも太陽を拝むからと言って、太陽は神だというのではないというくだりは面白いですね。拝んでいる瞬間は神だけども、それ以外の時は太陽は太陽でしかないとか。
2019/2/13(水) 午前 6:48[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンクリスチャンの作家といえば、自分が一番よく読んだのは三浦綾子かと思います。『道ありき』を読んで、こんな清い恋も有り得るのかと感動したことがきっかけだったかな。
ちなみに自分のクリスチャンのイメージは、『道ありき』の前川正です。まあ現実にはいろいろな方があるのだろうけど…。
2019/2/13(水) 午前 6:49[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン遠藤周作は、『イエスの生涯』『深い河』『おバカさん』『わたしが・棄てた・女』という感じで読んでますが、後の三作は、主人公はどれもとてつもないお人好しで、ところどころに福音書っぽいところがあるのは共通してます。
ちなみに、『わたしが・棄てた・女』の森田ミツは、他人の悪意が分からない人らしくて、男から酷い仕打ちを受けても怒らず恨まず、自分がどん底にあるときでも困ってる人がいると救けずにはいられない性質で、さらには手首に痣があるというし、誰がモデルかは容易に想像できますね。
『深い河』はこれを男女逆転させて、女にふりまわされ、棄てられたお人好しの男の話。
2019/2/13(水) 午前 7:01[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん おはようございます

「河合隼雄は自分にはいまいち合わないかなという感じ」

そうですね。合う合わないということであれば、私も合うとは言えないのですが、八方美人というのも失礼な気がしますし、でも問題と言いますか、課題にいろんな見方、考え方を取り入れながら、あまりはっきりとした答えは出さない良心?みたいなものを感じますが、どうでしょうね。
日本人のカウンセラーの手本みたいな人かなという感じでしょうか。心理学的見地からの見方と私が感じていることとは基本的には異なるのは当然ですが、河合さんが「日本人」という病とかんじておられることはどういうことだと思われましたか。
2019/2/13(水) 午前 9:43[ shalom ]返信する

顔アイコン「でも太陽を拝むからと言って、太陽は神だというのではないというくだりは面白いですね。拝んでいる瞬間は神だけども、それ以外の時は太陽は太陽でしかないとか。」

そうですね。面白いですね。
日本人の受容と排除、順応の巧みさ、ご都合主義が丸出しですね。(笑)
人として拝むという心の行為をどのように理解しているかでしょうね。太陽と言えども諸行無常であるいずれ消えさるこの世の事物の一つに過ぎないと私は思っていますが、しかし、太陽なしに人間は存在し、生きることもできないがゆえに太陽を拝みたい心情になったとしても“あり”かなとは思います。それでも神、あるいは神のような存在として拝む対象にはならないというのが私の考えるところですね。神の被造物の一つであって、木の葉一枚と変わらない、しかし、イエスが神は私たちの髪の毛一本すら数え、心にとめておられるという存在だと思います。
2019/2/13(水) 午前 11:22[ shalom ]返信する

顔アイコン天にある神の視点と地に生きる人の視点、もちろん神の視点は神から人に与えられなければならない視点(危うい表現ですが)であり、信仰ですが、ともに必要な視点だと思うのですが、例えば神の視点は基礎(土台)、人の視点はその基礎、土台の上に築かれる建造物ということかな、ではどうでしょうね。
2019/2/13(水) 午前 11:24[ shalom ]返信する

顔アイコン新約・第一コリ
3:10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
3:11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
3:12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
3:13 それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
2019/2/13(水) 午前 11:25[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

「自分のクリスチャンのイメージは、『道ありき』の前川正です。」

三浦さんは敗戦まで子供たちに教えてきたことを墨で黒塗りしなければならなくなり、自分が人事、教えてきたことが否定された時、絶望し、教師であり続けることができず、更に結核にかかり、身も心も行き詰ま理、生きる希望を失っていた時、前川さんを通して十字架につけられたイエスさまに出会い、

「こんな清い恋(愛)も有り得るのかと感動し」

信じたのでしょう。三浦さんは前川さんと出会ったのは事実ですが、三浦さんにとって、それはイエスさまと出会うことともなったのです。
河合さんの言葉を借りると、
三浦さんは前川さん(太陽)を拝むのではなく、出会ったイエスさま(真の命の光である)を拝するクリスチャンとして復活したのですね。
それが道ありき、氷点、塩狩峠などを書いたクリスチャン作家三浦綾子の原点ではないかと思います。
2019/2/13(水) 午前 11:54[ shalom ]返信する

顔アイコン>河合さんが「日本人」という病とかんじておられることはどういうことだと思われましたか。

その部分が一番知りたいところでしたけど、いまいちよく分かりませんでしたよ。私の読解力不足かもしれませんが、著者もあまりハッキリ言うつもりはないのかも。
とりあえずは、合理的でないとか、空気に流されるとか、よくある日本批判なんだろうと解釈しときました。
2019/2/13(水) 午後 7:57[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>>「でも太陽を拝むからと言って、太陽は神だというのではないというくだりは面白いですね。拝んでいる瞬間は神だけども、それ以外の時は太陽は太陽でしかないとか。」

>そうですね。面白いですね。
日本人の受容と排除、順応の巧みさ、ご都合主義が丸出しですね。(笑)

失礼、説明不足でした。太陽のくだりは、アメリカ先住民とユングの話です。ただそのあとに、日本の話が続いてます。
こんな感じだけど、この部分は興味深い。↓
2019/2/13(水) 午後 7:57[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>インディアンの話を聞いてユングがわかったことは、こういうふうに書いているのですが、太陽が昇る瞬間のすべて、つまり、それを見ている私、共にいるみんな、それからおそらく雲など、そのすべてがものすごく内的な感動を生みます。それこそが「神」だと言うのです。
だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのです。それを、どうしても近代人は、拝んでいる対象が神だと間違ってしまう。ここが非常に大事なところです。今でも日本人には名残が残っています。山に登ったら大きな木にしめ縄がしてあったり、大きな岩にしめ縄がしてあったりする。あれは、別に木や石が神様ではなく、大きい木や石に体面したときに感じるすべて、これが神なんです。区別して考えるのは我々の癖であって、昔の人はそういう考え方ではなく、全体的なものを神と感じていたのです。
(『「日本人」という病』河合隼雄、潮出版社、1999年初版、p.183)
2019/2/13(水) 午後 7:58[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>道ありき、氷点、塩狩峠

「塩狩峠」は実話が元になっているというからすごいですね。
あと、もう一作、付け加えるなら、「泥流地帯」も名作と思います。
三浦光世さんの講演で、「泥流地帯」をすきと言ってて、うれしく思った記憶があります。
2019/2/13(水) 午後 8:00[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン(私)
宗教は人間離れという先入観満載の話し合いを、偽キリスト者シャロームと、深く関わらないコンニャク宗教論者の安楽山が、否定も肯定もせずに安楽?に語り合い、噛み合っていない、という結論も判断もないコメント欄のようです。相変わらず、シャロームの執拗な口から出まかせが目立っています。
2019/2/13(水) 午後 11:27st5402jp返信する

顔アイコン(安楽山から引用)
「でも太陽を拝むからと言って、太陽は神だというのではないというくだりは面白いですね。拝んでいる瞬間は神だけども、それ以外の時は太陽は太陽でしかないとか。」
そうですね。面白いですね。
(シャローム)
日本人の受容と排除、順応の巧みさ、ご都合主義が丸出しですね。(笑)

(私)
ご都合主義は、今まで書いてきたように、シャロームの専門です。騙しやすい人を受容し、反対者を排除し、世間話をして和ませ、誇大妄想的な自説を得々と述べて、それで充足するだけのいかさま伝道者です。その根拠は、ずっと変わらず、罪を認めず悔い改めを拒んでいることです。
2019/2/13(水) 午後 11:27st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
人として拝むという心の行為をどのように理解しているかでしょうね。太陽と言えども諸行無常であるいずれ消えさるこの世の事物の一つに過ぎないと私は思っていますが、しかし、太陽なしに人間は存在し、生きることもできないがゆえに太陽を拝みたい心情になったとしても“あり”かなとは思います。

(私)
まず人間と太陽の諸行無常のスケールの違いを区別できないシャロームです。人間の諸行無常に込められている人間の哀感を全く理解していないからです。太陽といえども・・とは、誰を相手に張った言葉なのでしょう。
(私)
人間性を疎かにする偽善者は、人間には興味がなく、また人間に共感することもなく、ゆえに、太陽の必要性と宗教を混同して、太陽崇拝の心情をそこでのみ判断して”あり”と言っています。宗教を好奇と興味だけで受け取っている証拠です。人間の心情が分からない人なのです。
2019/2/13(水) 午後 11:33st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
それでも神、あるいは神のような存在として拝む対象にはならないというのが私の考えるところですね。神の被造物の一つであって、木の葉一枚と変わらない、しかし、イエスが神は私たちの髪の毛一本すら数え、心にとめておられるという存在だと思います。
2019/2/13(水) 午前 11:22 [ shalom ] 返信する

(私)
そしてこのような断定の結論によってのみ信仰を表したつもりになり、大仰な讃美言葉が特徴です。あたかも信仰告白をしているようですが、シャロームは、罪を認めず悔い改めをしないことは、前にも述べたとおりです。今日も、ごまかしが通用すると思って、得意げなのです。そのような者が、キリストの敵となり、キリストを殺しました。
2019/2/13(水) 午後 11:33st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
天にある神の視点と地に生きる人の視点、もちろん神の視点は神から人に与えられなければならない視点(危うい表現ですが)であり、信仰ですが、ともに必要な視点だと思うのですが、例えば神の視点は基礎(土台)、人の視点はその基礎、土台の上に築かれる建造物ということかな、ではどうでしょうね。
2019/2/13(水) 午前 11:24 [ shalom ] 返信する

(私)
以前、シャロームは、神の眼を持つことが大切だと言っていました。今回、表現を和らげているようですが、これもシャロームらしい詭弁です。神の視点が人に与えられる必要な視点だと言っています。危うい表現と思うなら、言わなければよいのですが、括弧を付けて、それでも、自らの神の視点を主張しているのです。神の視点を土台として人の視点が築かれると言っています。騙されないでください。非常に危険です。
(私)
安楽山は、ああでもないこうでもないワールドを楽しみたいようなので、コンニャク問答をして、事の重大性に気づかないようです。こういう迷惑もあるということです。
2019/2/13(水) 午後 11:33st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
新約・第一コリ
3:10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
3:11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
3:12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
3:13 それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
2019/2/13(水) 午前 11:25 [ shalom ] 返信する

(私)
もう、このような恣意的な聖句の悪用に騙されることはないと思いますが、神が据えたキリストという土台を唱えて、自己正当化を企んでいるに過ぎません。
2019/2/13(水) 午後 11:34st5402jp返信する

顔アイコン(コリント人への第一の手紙、口語訳)
3:12
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
3:13
それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
(1コリント3:12-13、新約聖書)

(私)
シャロームが、どのように聖句を悪用しても、聖書は、その結果が見逃されることはないということが書かれています。小手先の罠を仕掛けるシャロームと違って、聖霊を受けているパウロによって。
2019/2/13(水) 午後 11:34st5402jp返信する

顔アイコン(私)
人間に相応しい信仰の愛に出会うことがなく、それゆえ、人間らしい愛も信仰も語ることの出来ないシャロームは、真の命の光、復活、という大仰な言葉を使って、人の愛から信仰の愛への目覚めを語って誉め上げて、分かっている知識人を装うしかないのです。そして、罪も悔い改めも脇に置いている、ということを考えないと、するっと受け入れてしまいやすい筆致であり、そこが、シャロームの騙しのテクニックであり、さらに、背きを深くしてゆくのです。
2019/2/13(水) 午後 11:34st5402jp返信する

顔アイコン(安楽山が引用)
>インディアンの話を聞いてユングがわかったことは、こういうふうに書いているのですが、太陽が昇る瞬間のすべて、つまり、それを見ている私、共にいるみんな、それからおそらく雲など、そのすべてがものすごく内的な感動を生みます。それこそが「神」だと言うのです。
だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのです。それを、どうしても近代人は、拝んでいる対象が神だと間違ってしまう。ここが非常に大事なところです。

(私)
超常や自然の驚異を神として見るのは、それが、人間技とは思えないからでしょう。キリスト教においては、キリストという人格を持つ存在が大きいので、人格面を疎かには出来ないのですが、シャロームのように人間的共感の欠損している者は、信仰の名で、自分を救う専用の依怙贔屓の神だけを想定してしまうのです。
2019/2/13(水) 午後 11:35st5402jp返信する

顔アイコン(安楽山が引用)
今でも日本人には名残が残っています。山に登ったら大きな木にしめ縄がしてあったり、大きな岩にしめ縄がしてあったりする。あれは、別に木や石が神様ではなく、大きい木や石に体面したときに感じるすべて、これが神なんです。区別して考えるのは我々の癖であって、昔の人はそういう考え方ではなく、全体的なものを神と感じていたのです。
(『「日本人」という病』河合隼雄、潮出版社、1999年初版、p.183)
2019/2/13(水) 午後 7:58 [ 楽山 (自由) ] 返信する

(私)
神と感じると言っていますが、大きな違いとして、大きな木や石は人間ではなく、また、言葉を持ちません。そのような荘厳な雰囲気の中で感じる神は、人格との共感も交流もありません。ただ大きな存在として敬っているのです。それが、原始的な崇拝のあり方ではありますが、宗教を語るのに、そのような見方だけだと、偏っていると言わざるを得ません。
2019/2/13(水) 午後 11:36st5402jp返信する

顔アイコン(私)
宗教には、言葉を持つものがあり、キリスト教もその一つです。聖書によって、人間が受ける共感や愛というものは、自然の事物と同次元で語れるものではありません。そこには教えがあり、生きている神と人間との交わりがあります。
(私)
その人間でも分かることを、シャロームは、全く理解していませんし、安楽山も、同じように人間離れを、雰囲気的に、神聖と感じて、それが宗教だと思っているようです。その理解にとどまるかぎり、結局、ああでもないこうでもない不思議ワールドに、趣味的に遊ぶことしかできないことになります。つまり、宗教の10分の一も語ったことにはならないのです。
(私)
大事なのは、シャロームの言うようなインチキの神の視点などではなく、あくまで、人間の視点であり、人間の立場であり、人間の生き様であり、人間の共感なのです。少なくともキリスト信仰において言えることとして、人間の手に負えないことを、不思議ですねと語るのが信仰ではなく、人間の手に負えることを聖書から読み取ることが信仰を学ぶことです。
2019/2/13(水) 午後 11:36st5402jp返信する

顔アイコン15日アップ予定の記事です。「詭弁の視点」
2019/2/13(水) 午後 11:38st5402jp返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

「塩狩峠」は実話が元になっている

そうですね。ひとりのクリスチャン者青年が結婚を前にして、乗っている列車が峠の下り坂でブレーキが利かなくなり、加速し、脱線し、多くの人が死傷するのをわが身を挺して列車を止めたという実話ですね。イエスさまも死を彷彿とさせる実話ですね。
泥流地帯は読んではいませんが、三浦さんが泥流地帯を描くために取材した話を読みましたが、今は多くの人に北海道の最も人気のある観光地富良野として知られるところに生きた人たちの実話なのですね。
2019/2/14(木) 午前 8:32[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん おはようございます

「だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのです。それを、どうしても近代人は、拝んでいる対象が神だと間違ってしまう。ここが非常に大事なところです。」

精神分析の始祖フロイドとは異なり、ユングやインディアンであるネイティブ・アメリカンの人たちはとても日本人の感性と共通するところが多いと本で読んだり、話も聞きましたが、上記の言葉はそのことをよくあらわしている言葉かなと感じます。
神が創造されたものに、神の息吹を感じることは自然なことだと思います。あらゆる芸術作品に作者の人となりを感じさせられることと同じだと思います。芸術作品は人による作品ですから、人となりを表していますが、自然は神の創造物だとすると、神の神ご自身の尊厳性を表していると言えるでしょうか。
2019/2/14(木) 午前 9:42[ shalom ]返信する

顔アイコン人は神のかたちにかたどって造られたとすれば、きっと神は人の属性である知性、感情、意思があり、それを言葉と働きで表現できるでしょう。しかし、その言葉と働きは人とは異なり、全知、全能、さらに聖、愛、義に背くものではなく人格的であり、かつ永遠、普遍の霊的存在者であると信じます。イエスはまさに神であり、人であることを証ししておられる方です。
山本七平によって指摘された日本教と言われることがらとの決定的な相違だと思います。人が神として信じる神に人格性である明確な知性、感情、意思がなく、それが言葉や働きによって表現されたりしない神とは芸術家の作品と同じであるというに等しいことだと言えないでしょうか。
2019/2/14(木) 午前 9:43[ shalom ]返信する

顔アイコン仏陀が神のような存在については無記としたというのは人としての限界を悟った深い知恵を表していますね。
人としての限界を受け容れることこそ、明(アキ)ら目、諦めであり、悟り、解脱、救いを涅槃寂静という言葉で表したように思われます。人が神ご自身についてあれこれ言うこと自体、限度を超えた不遜ということだとおもいます・・・。
神の啓示と神の民イスラエルの歴史とイエス・キリストによって証しされたことに基づいて証しする以外に神について証しする道はないと思います。証しされたことの真実は神ご自身が実証されることを待つことが信仰と言えるのでしょう。
2019/2/14(木) 午前 9:43[ shalom ]返信する

顔アイコン(私)
アドラー心理学を知っているわけではないが、心理学というのなら、それは学問であり、学問は人に、こうしなさいとか命令はしないはずだ。それが、安楽山を見ていて感じるのは、こうするといい、みたいなことになっている。それは、恐らく、こうすれば、人を気にせずに生きられる、これはいいことですね、という教えになっているからではないか。つまり、アドラー心理学は、アドラー教になっているように思える。
2019/2/14(木) 午前 11:10st5402jp返信する

顔アイコン(記事引用)
「いびりのような当てつけ」
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20024186.html
「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
この記事には
「気に入らない意見は、無視しましょう。」
「人の意見を変えさせようとするのは、無意味です。」
「他人の考えを変えられる人間は、この世に存在しません。」
などと書いてある。
しかし、人間は、他者との関わりの中で成長するものである。
傷つかないで済むものなのだろうか。
2019/2/14(木) 午前 11:11st5402jp返信する

顔アイコン(私)
そうなると、騙されやすくてカルトに弱い人は嵌りやすく、実際、人を気にしなければ楽ではあるから、その実感をもって、幸福になったような気がするのだろう。そのムーブメントのような気がしてならない。上の安楽山の記事を読んでいると、相当な自己中心の考え方であり、人が何と言っても、また、人を傷つけても、自分が傷つかないことだけを考えられるような誘導をしているように思える。危険な臭いがしてくる。
2019/2/14(木) 午前 11:12st5402jp返信する

顔アイコン(私)
つまり、HSという強面のカルトから、アドラー教というお気楽なカルトに向かっているのではないかという気がする。カルトからカルトへ、旅する以外ないのだろうか。そのような宗教が、最後にたどり着くのは、死にかけた人に、死ぬことをの幸いを熱心に説いている姿である。人を気にしない究極的な解放は死ということになりかねないからだ。
(私)
これは、シャロームの、罪を気にせず悔い改めない、悪いことをしても、嘘を吐いても、都合の悪いことは平気で忘れる、という、自己中心の偽キリスト教と、実に、酷似している。シャロームは無視の境地、安楽山は無関心の境地のように思える。どちらも他者はどうでもよくなる。気が合うはずだと思う。
2019/2/14(木) 午前 11:13st5402jp返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん
かなり長い記事です。
私はまだ一部しか読んでいませんが・・・。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm

これは抜粋したものです。

『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』

イザヤ・ベンダサン Isaiah BenDasan 著 山本七平訳 文藝春秋 1972年刊
2019/2/14(木) 午後 2:19[ shalom ]返信する

顔アイコン>shalomさん、こんばんは。

そんなページがあったんですね。知的所有権が気になるところですが、ちょっと懐かしい本です。
少し読んでみたけど、[省略]部分が気になって、元本を読みたくなりますなあ。
2019/2/14(木) 午後 8:20[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン「塩狩峠」の話は、一応、wikiで確認してみたらこんな感じのようです。小説ではたしか婚約者が現場を訪ねる場面があったと思うけど、そこはたまらなく切ない場面でした。

>最終急行列車が塩狩峠の頂上付近に差し掛かった時、最後尾の客車の連結器が外れて単独で上り勾配を逆行・逸走する列車分離事故が発生した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%8B%A9%E5%B3%A0
2019/2/14(木) 午後 8:21[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>2019/2/14(木) 午前 9:42
>2019/2/14(木) 午前 9:43
>2019/2/14(木) 午前 9:43

これは信仰についての話だと思うけど、自分の場合は、最近はどうも、そういう話ができなくなってきてます。
日に日に、無宗教的な状態になってきてるからかもしれません。
神様はいない気もするが、でも神様を感じることはあるし、祈ることはある。でも「神様を信じるのか? 神様はどんな存在か?」と問われれば、どうにも答えようがないとか、そんな感じかな。
2019/2/14(木) 午後 8:21[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンところで、自分の場合は、無記といえば、毒矢の譬えを連想します。前は、この譬えを読んでも、「そうはいっても、霊魂は実在するか、宇宙に果てはあるのか。果てがあるなら、宇宙の外はどうなってるか、パラレルワールドはあるのか…」みたいなことは知りたいよなあと思ったりしてました。
でも最近は、その手のことには興味は薄れてます。特定の世界観とか、物語とかにはのめり込めない。
ただまだ「人はいかに生きるべきか」「善く生きるとはどういうことか」みたいな問いへの興味は残ってます。
2019/2/14(木) 午後 8:25[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンちかごろは、自分のツイッターで、『こころの深呼吸』(片柳弘史著)という本の話がよく流れてきます。著者の片柳神父のツイッターをフォローしてるから当たり前なんだけど。
先日ついでがあったので、本を読んでみたら、生き方についての平易な短文がつづられていてよかったです。内容は当たり前すぎるという感じもしますが、自分にはそれだからこそ、いいんだと感じます。十字架の意味とかそういう難しい教義のことは分からないけれども、これなら自分でも共感して読めるようです。
2019/2/14(木) 午後 8:26[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm

このページのはじめの辺りを少し読んでみたけど、考えてみたら、shalomさんは、反対意見を言われても怒らない人ですね。
ここは話しやすくていいです
2019/2/14(木) 午後 9:10[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』

読みづらくてまだ全部読んだわけではありませが、
私は初めてです。
ちょっと理解がついて行かないこともありますが、日本教について少し理解を深めることができました。日本教にもはっきり教条化され、自覚されてもいないけれど教理がある、その中心は人間であって神ということではないことが最重要なことだということのようです。
やはり私も今まで、すべてのことを受容と排除という論理ではない選択によって吸収同化され、日本教化される底なし沼のような風土を感じさせられ、それは母性的、共依存、自他未分化的傾向が濃厚な人間関係の深さとして感じさせられていますが、
日本教キリスト教派についても書いてありますので
私ももう少し日本教について知りたくなりましたね。
2019/2/14(木) 午後 10:03[ shalom ]返信する

顔アイコン「ただまだ「人はいかに生きるべきか」「善く生きるとはどういうことか」みたいな問いへの興味は残ってます。」

私たちがいかに生きるべきか、よく生きるとはを問うことはdoingだと思いますが、doingの土台としてbeingを問う必要があるのではないかと思いますね。
日本人はいつ、どのような問題に直面してもとても器用にその時、その場を乗り越えて今日の日本があると思いますが、世界的なグローバリズムの激しい流れのなかで対外的な価値観、世界観に適応することが難しくなっているような気がします。これは西欧キリスト教国にとっても同じだと思いますが。国も個人も多様性を受け容れあいながらも、統合化の道を模索しなければならない厚い壁に直面しているようなそんあ気がしています。それがいかに生きるべきか、善く生きるかということだと思うのですがどうでしょうね。
2019/2/14(木) 午後 10:04[ shalom ]返信する

顔アイコン(私)
今まで書いてきたように、シャロームは、信仰を語るのに、
「神が創造されたものに、神の息吹を感じる」「自然は神の創造物だとすると、神の神ご自身の尊厳性を表している」
というような誇大的で一見よさそうな話しか出来ず、人間の問題に、とりわけ、自分の問題に、恐ろしく無頓着か、気にしていないか、だと思います。それで、誇大的な、大仰な、わざとらしい神聖への讃美言葉がシャロームの口から溢れてくるだけであることに気づかないと、その気色わるさに気づかないと、餌食になってゆくのです。
2019/2/14(木) 午後 11:53st5402jp返信する

顔アイコン(私)
シャロームは、神とキリストの人格的な部分に感受性を持ちません。今まで、そういう共感のある記事を書いたことがないからです。また、シャロームの書くものに、しんみりした心情を感じたことがありません。
その反動のように、神については、絶対言葉、全知、全能、永遠、不変、霊的存在、ということばかり言ってきた人です。そして、べた褒めするのです。
シャロームは、神の人格面については「知性、感情、意思があり」という教理をなぞるしかないのです。シャロームは、私に、人間の共感は必要ないと言いました。
「人格性である明確な知性、感情、意思がなく、それが言葉や働きによって表現されたりしない神」を信じて、奇跡信仰の思い込みで、人間性を踏みにじっているのが、シャロームです。騙されないようにしてください。
2019/2/14(木) 午後 11:53st5402jp返信する

顔アイコン(シャローム)
仏陀が神のような存在については無記としたというのは人としての限界を悟った深い知恵を表していますね。
人としての限界を受け容れることこそ、明(アキ)ら目、諦めであり、悟り、解脱、救いを涅槃寂静という言葉で表したように思われます。人が神ご自身についてあれこれ言うこと自体、限度を超えた不遜ということだとおもいます・・・。
神の啓示と神の民イスラエルの歴史とイエス・キリストによって証しされたことに基づいて証しする以外に神について証しする道はないと思います。証しされたことの真実は神ご自身が実証されることを待つことが信仰と言えるのでしょう。
2019/2/14(木) 午前 9:43[ shalom ]返信する

(私)
「人としての限界を受け容れる」のならば、なぜ、シャロームは、なぜ、奇跡の守りを信じているのでしょう。なぜ、人間としての罪を認めず、悔い改めることをしないのでしょう。なぜ、神の啓示や聖霊の導きを、自説の根拠にするのでしょう。「人が神ご自身についてあれこれ言うこと」をしてきたのは、まさに、シャロームであります。だから、言ったそばから、
2019/2/14(木) 午後 11:54st5402jp返信する

顔アイコン>
神の啓示と神の民イスラエルの歴史とイエス・キリストによって証しされたことに基づいて証しする以外に神について証しする道はない

という超常の根拠を、浅ましく書いてくるのです。酷い矛盾ですが、平気なのです。シャロームは、そういう人なのです。ゆえに、何もせず、何も考えず、「証しされたことの真実は神ご自身が実証されることを待つことが信仰」などと言って、自らの嘘と偽善に対して悔いることなく改めることなく、神の名で、正当化してくるのです。シャロームは、嘘っぱちであり、偽善者であり、ペテン師としか言えないのです。そのことだけが明らかになってきた7年間です。
2019/2/14(木) 午後 11:54st5402jp返信する

顔アイコン(ネットより引用)
仏教は、実にいろいろなたとえを用いますが、その中でも特に有名なのが「毒矢のたとえ」です。
これは、自己とか世界とかについて、哲学的に満足のいく答えを聞かないうちは修行に励む気がしないという哲学青年に向かって、お釈迦さんが説いたものだとされています。
『ある時、人が毒矢に射られたとする。
ところが、もしもその人が、かけつけてくれた医者に対して、
「この矢を射たのは一体だれであるのか。
弓はどのようなものであるのか。
弦(つる)は何でできているのか。
矢羽は、どんな鳥の羽であるのかが分からないうちは矢を抜くな」
と言ったなら、その人は、それが分かる前に死んでしまうであろう。
必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである』
なんだのカンダノと哲学的なことを考えても、この世に現実としてある様ざまの苦しみが消えてなくなるワケではない。
重要なことは、その苦しみをどうすれば無くすことが出来るかという事だ。
2019/2/14(木) 午後 11:55st5402jp返信する

顔アイコン上は、
http://www.daianzi.com/howa/howa0097.htm

(私)
応急手当をするためにも、先ず、毒矢というものがあり、それを使う者がいることを認識しないといけないはずです。つまり、実践においても必要な知識や心構えが必要ということです。目先の安楽や美味しい事実や利便性や用途や実用性ばかりにこだわって、警戒しない姿勢からは、毒矢を毒矢と気づかず、なんだろう、と思うだけで、考えず疑わず、それゆえに、洗浄や消毒や解毒や回避その他、予防することも手当てすることも出来なくなる、という、無知による不幸の結果が招来されるだけでしょう。年寄りがオレオレ詐欺にやられる不用心のと似たことかもしれません。用心するべき、そして、断るべき、ペテンを生業とする相手が目の前にいるのです。
2019/2/14(木) 午後 11:55st5402jp返信する

顔アイコン(私)
「人はいかに生きるべきか」「善く生きるとはどういうことか」ということを、まるで考えることが出来ずに、ころっと騙されていることが、次のコメントで明らかです。それは、一般または特定の、人がどうあるか、ということを考えないことでもあります。

(安楽山)
>『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm
このページのはじめの辺りを少し読んでみたけど、考えてみたら、shalomさんは、反対意見を言われても怒らない人ですね。
ここは話しやすくていいです
2019/2/14(木) 午後 9:10[ 楽山 (自由) ]返信する
2019/2/14(木) 午後 11:56st5402jp返信する

顔アイコン(私)
「殴られるより悪いことがある」ということを、安楽山は知らないようです。
人を屁とも思っていないシャロームの悪意と嘲笑いと欺きに、まだ気づかないようですから、シャロームとしては、実に付き合いやすいでしょう。
(私)
気づかない不幸が進行しつつあります。
(私)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm
の冒頭の言葉ですが、
「日本人がいかに理解しにくい民族であるか。理解したと思い込んだとき、実はそれが誤解にすぎない場合でも、それを誤解だと証明することすら不可能に近い、という事実をまず指摘したいと思います。」
シャロームは、人の言ったことを理解しておらず、気にしてもいません。言葉の上っ面を分かったように挙げて、あとは、自分の言いたいことだけを言って満足するのです。こういう嘘の受け入れ姿勢は、言葉とか真実とかに全く無頓着でいられる詐欺師の語り口に見られるものです。言論の快楽だけを求めるシャロームその人です。
2019/2/14(木) 午後 11:57st5402jp返信する

顔アイコンシャロームは、怒らないのではなく、無視して、気にしていない、ということです。それは、シャロームの処世術だろうと思います。安楽山のアドラー教に似ています。
2019/2/15(金) 午前 0:25st5402jp返信する

顔アイコンシャロームの処世術は、真実を隠蔽し、嘘と偽善を促進しますから、甚だ迷惑であり、社会悪だと思います。ゆえに、何より、シャロームは、キリスト信仰を破壊する者です。シャロームは、そういう人だから、平気で、背きながら讃美する、ということが出来るのです。
2019/2/15(金) 午前 0:36st5402jp返信する

顔アイコンだから、気づきませんかね・・。シャロームは、怒らないのではなく、他者の意見を受け取っていないのです。それで、表面的に返して、あとは自説をだらだらと書いてゆく、という筆致です。それが、シャロームにとって、上から丁寧に教える伝道者気取りの快感なのでしょう。
本気で議論する気があるなら、怒ることもあるし、それを抑えることもあるし、弱ることもあるのですが、シャロームにとっては、自説を語るための世辞に過ぎませんから、怒らないで、柔和芝居を続けることが出来るのです。
2019/2/15(金) 午前 0:47st5402jp返信する

顔アイコン(私)
外面的には、キリスト教関連ブログや、信仰日記のようなブログには、讃美言葉の聖書語が並んでいるサイトはいっぱいあります。そういうサイトとシャロームとの違いは、そういうサイトの多くは、抱えているものの重さも伝わってくるということです。シャロームには、そういう重さが全く伝わってきません。
(私)
一方で、ある種の呆れるような軽さの表れとして、過去に自分が言ったことを全く気にしていないことが、「(笑い)」とその態度や「ですね」口調などもそうですが、しばしば見られることです。信仰の思い込みがそうさせたのか、かなり怖い体質的なものなのか、それしか見られないということが、誰も近づいてはいけない、という批判の根拠です。
2019/2/15(金) 午前 0:54st5402jp返信する

顔アイコン批判中心に、次の記事にします。
2019/2/15(金) 午前 1:40st5402jp返信する

顔アイコン(私)
>「日本教にもはっきり教条化され、自覚されてもいないけれど教理がある、その中心は人間であって神ということではない」<
シャロームのように、聖書の解釈が、罪を認めず悔い改めない、というキリスト教と正反対で、そのまま信じると人格も信仰も人間も破壊するような、ひどい解釈で、かつ、自分の解釈を絶対化しているなら、その中心は、神ではなく、シャローム自身の独善ということです。
(私)
>「すべてのことを受容と排除という論理ではない選択によって吸収同化され、日本教化される底なし沼のような風土」<
理路を持たず、企みによって受容と排除という恣意的な選択をして、吸収同化しようとするのは、シャロームの妄想信条の大きな特徴です。
(私)
>「母性的、共依存、自他未分化的傾向が濃厚な人間関係の深さとして感じさせられています」
子育て放棄の親のように、また、相手に対してモノ化しているような軽視で、自他未文化というより未だ人格として成り立っていないような無節操が、言葉の世辞だけを並べているのシャロームの特徴です。
2019/2/15(金) 午前 7:31st5402jp返信する

顔アイコン(私)
シャロームが、今まで、散々滅裂であったり、矛盾していたり、奔逸誇大的妄想であったりしてきたのに、省みるでもなく、分かっているインテリ風味を付けようと、doing、being、などと言う言葉を使いたがるのは、今に始まったことではありません。これも、自らの欠陥を煙に巻いて、ごまかそうとする手段なのかもしれません。あるいは、もはや体質なのかも・・です。行いよりも、あり方を問う必要と書いていますが、シャローム自身は、問われたことに答えたことがないのです。身の毛が弥立ちます。
2019/2/15(金) 午前 7:32st5402jp返信する

顔アイコン(私)
>「日本人はいつ、どのような問題に直面してもとても器用にその時、その場を乗り越えて今日の日本がある」<
今度は、何を考えて、あるいは、何を考えないで、日本人を、べた褒めしているのでしょう。そして月並みなグローバリズムのことを言ったのち、
>「統合化の道を模索しなければならない厚い壁に直面」<
具体的には、何も言ってないのと同じです。議論において、誰もが否定はしないが、何の全身にもならないことを、わざわざ書く必要はないのですが、シャロームは書いて、
>「いかに生きるべきか、善く生きるかということだ」
と言っています。何が・・でしょう。判断や結論に結び付くこともヒントになることも、シャロームは、何も言っていないのです。こんな馬鹿げた言辞に付き合わされるほうは、たまったものではありません。これに、また、安楽山は、優しさの強迫を自らに強いて、世辞を言って、なごむのでしょうか。
2019/2/15(金) 午前 7:32st5402jp返信する

顔アイコンここまでを記事にして、その後は、また{3}として記事にするでしょう。シャロームを素っ裸にする良い機会です。
2019/2/15(金) 午前 7:34st5402jp返信する

顔アイコン全身(誤)→前進(正)
2019/2/15(金) 午前 7:46st5402jp返信する

顔アイコン>2019/2/14(木) 午後 10:03 [ shalom ] さん

たしかに読み難いというのはありますね。
自分はいま、「おそらく司馬氏は、私の問いにもソクラテスの言葉にも、微笑を浮かべて何も答えないでしょう」というくだりまで読みましたが、三島由紀夫、司馬遼太郎、ソクラテスのあたりはおもしろいです。
攘夷攘夷といってたのが天秤がひっくり返って開港になるというのもおもしろい。

>『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm
2019/2/15(金) 午後 9:29[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン「現実という思想」というのもおもしろい。
私はこの本は、赤線をひきながら何回か読んだ記憶があるのだけど、このくだりはきれいさっぱり忘れてて、最近は「思想なんかだめだよ、やっぱ現実をみなきゃね。現実主義でないとだめだよ」みたいな考え方をしてましたよ…。
2019/2/15(金) 午後 9:32[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

私はいま一応おしまいまで読んでみました。
理解力不足ですが、なんとなく書かれていることに多くの同感しながら、テレビで伝えられるいろんな事柄や光景がなるほどだなと思い浮かびました。
山本七平氏は日本人でありながら、なぜ日本人をこのように客観的に対象化し観察し、検証することができたのでしょうね。その視点はどこにあるのでしょうね。

常々私は日本人には民主主義は成り立たないとは考えていましたが、やはりそうだなとも思わされました。

またよく読んでみたいと思いますので、以下の三冊をネットでブック・オフより購入しました。
「空気」の研究 1冊
日本教の社会学 戦後日本は民主主義国家にあらず 一冊
日本教徒 一冊

ぜひ一緒に読んでみましょう。
2019/2/15(金) 午後 11:07[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

カルトらしく、戦術的な運びを選ぶようになってきたようです。
2019/2/16(土) 午前 0:10st5402jp返信する

顔アイコン安楽山のシャローム化が進むと、シャロームと同じように、怒りの代わりに、無視し、嘲笑うようになり、やさしさが、わざとらしくなり、あちこち、誰か、柔和と言ってくれる人を探して仲良くするようになるでしょう。シャロームという偽善者を甘く見ると、肩を持ち、同じように理路が成り立つことも考えなくなり、人間の情感も感じなくなるでしょう。伝染病が進行中です。
2019/2/16(土) 午前 0:21st5402jp返信する

顔アイコン自由とは、名ばかりになっているようです。
2019/2/16(土) 午前 0:22st5402jp返信する

顔アイコンシャロームは、易坊よりも、自称ヨシュアよりも、悪質です。
2019/2/16(土) 午前 2:43st5402jp返信する

顔アイコン> shalomさん
>山本七平氏は日本人でありながら、なぜ日本人をこのように客観的に対象化し観察し、検証することができたのでしょうね。その視点はどこにあるのでしょうね。

山本七平は、戦前からのクリスチャンで、聖書関連の書籍の出版に携わっていたそうです。
2019/2/16(土) 午前 7:28[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>山本七平
>1921年12月18日 - 東京府荏原郡三軒茶屋(現在の東京都世田谷区三軒茶屋)で、クリスチャンの両親(山本文之助、八重)の間に長男として生まれる。名の「七平」は神の安息日(日曜)生まれから命名される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3

>山本書店
>1956年 山本七平が世田谷の自宅内に設立する
1958年 『歴史としての聖書』を出版。聖書学関連書籍の出版をその事業の中核とする経営方針が確立する
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E5%BA%97
2019/2/16(土) 午前 7:29[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン自分もにわかに山本七平が読みたくなってきた。
でもしばらく前に、本の大量処分をしたけど、そのなかに山本七平本もはいっていたような…。うーん、早くも後悔しはじめてる。

ちなみに自分が読んだ山本七平本の中で、最も印象に残ってるのは『洪思翊中将の処刑』です。
2019/2/16(土) 午前 7:45[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html

「気に入らない意見は、無視しましょう。」

偽キリスト教の偽善者が問題になっているのに、実に傍若無人な実践をするんですね。
2019/2/16(土) 午前 8:08st5402jp返信する

顔アイコン成人が、普通に持っている、良心、ありますか。それも、アドラー教の過激派になって、ぶった切っていますか。
2019/2/16(土) 午前 8:11st5402jp返信する

顔アイコン> stさん

>> 楽山 (自由)さん
>
>カルトらしく、戦術的な運びを選ぶようになってきたようです。

こんな風に呼びかけられれば、なるだけ返事はしたいと思いますけど、
なるほど、そんな風に考えてるわけですか…。
2019/2/16(土) 午前 8:11[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンコメント行き違ってますね。
2019/2/16(土) 午前 8:12[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン快感だけを追求する身勝手心理教「幸福の勝手学」誕生。
2019/2/16(土) 午前 8:14st5402jp返信する

顔アイコン行き違っているのではなく、ずっと無視してきたでしょう。
2019/2/16(土) 午前 8:16st5402jp返信する

顔アイコンとりあえず、コメ欄は開放しておきました。
コメントが行き違ってごちゃごちゃになるのも面倒なので、しばらく待ってからこちらの意見も書こうかと思います。
2019/2/16(土) 午前 8:17[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンシャロームは、罪と悔い改めの信仰において、神と、キリストと、聖霊と、心砕かれたすべてのクリスチャンを、裏切っています。しかも、そのことを終始、隠蔽偽装して、牧師気取りで、説教を挟んでくるシャロームです。そういう特殊な犯罪者を、あなたは、友人としてもてなし、好きなように言論活動させているのです。
2019/2/16(土) 午前 8:29st5402jp返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

「三島由紀夫、司馬遼太郎、ソクラテスのあたりはおもしろいです。
攘夷攘夷といってたのが天秤がひっくり返って開港になるというのもおもしろい。」

私はソクラテスも三島由紀夫も司馬遼太郎もその著作を読んだこともなく、名前だけしか知りませんので、何とも言えないのですが、
「攘夷攘夷といってたのが天秤がひっくり返って開港になる」というのは 敗戦までは鬼畜米英だったのが戦後はコロッとひっくりえり、同盟国どころか、身も心も売り飛ばして普遍的価値観を共有しているといい国家主権も国民主権も踏みにじられ、属国化していることと同じかなとは思いましたね。またトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したとかはあきれ果てます。
日本教国日本の総理大臣としてぴったりだからこそ、日本教徒に支持され、続けていられるのだと思いますね。
2019/2/16(土) 午前 11:09[ shalom ]返信する

顔アイコン>日本教国日本の総理大臣としてぴったりだからこそ、
>日本教徒に支持され

どういう悪口を言っているのでしょう。誰が悪くて、どうなればいいと言っているのでしょう。日本教国総理大臣は、シャロームによく似ています。だから、日本は、滅びかけています。
笑いながら、バカにして、憎んでいる感じ。これが、決してキリスト教ではなく、シャローム教国、その名は不義。自分のことを、脇に置いて、悪口ばかりの本性。あきれ果てます。
2019/2/16(土) 午後 0:54st5402jp返信する

顔アイコン和魂漢才、和魂洋才、話題の変わり方が変だなと思ったら、誰かから習ったように記事を書いたものだから、その勢いで、日本の悪口を、ボロクソ節で言いに来た。
2019/2/16(土) 午後 1:26st5402jp返信する

顔アイコン古い皮袋のままのシャロームは、新しい記事が書けないようです。
古いままのシャロームの皮袋は、張り裂けて、愚痴は流れ出るし、無駄口ばかりです。
シャロームの酒は腐敗しているので、古い皮袋に入れると、
弾力性がないので破れてしまいます。同じように、新しい考え方がなく、
相変わらずの古い無価値や自分信仰スタイルに執着しているので、
いつまでたっても、新しい展開はありません。
2019/2/16(土) 午後 1:52st5402jp返信する

顔アイコン物事を新しくするときは自分信仰の訂正不能が仇になります。
シャロームは、今日も古い皮袋に酒を入れようとして
硬く弾力性を失っているので、同じようなことばかり言って、
ごわごわの皮で、擦れ合っては傷つけてゆくのです。
新しい考えがなく、古い枠に嵌ったまま、
何もしないから、何一つ新しくなりません。
家を建てるにも危険であり、一種の暴虐と崩壊を見せつけてきます。
増改築するにも、自分の都合と利益のみによって、
手抜きの上に偽装と改竄を重ねてゆきます。
2019/2/16(土) 午後 1:52st5402jp返信する

顔アイコンまた暴虐のために、結果をお構いなしに
逃げたり、嘘を吐いたりを、勇気と呼び、
日本の悪口を散々言っては、いつも自己の古い皮袋から
外来の自己中心を取り入れ、作り笑顔で世辞を言います。

シャロームは、古い浸出液か、新しい膿を、さらに変質させて、
皮袋を新しくすることなしに、自他を破壊してきました。
2019/2/16(土) 午後 1:53st5402jp返信する

顔アイコン和魂洋才(わこんようさい)とは、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味の言葉である。 古くから使われていた「和魂漢才」をもとに作られた用語。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E9%AD%82%E6%B4%8B%E6%89%8D

生き延びてきた日本という国が、よっぽど嫌いなようです。
しかし国家のあり方として、新しい皮袋のあり方など分かっていない比喩倒れ。
2019/2/16(土) 午後 1:54st5402jp返信する

顔アイコン>
日本人の皮袋は日本教という
非常に柔らかく柔軟性に富んではいるが、
古い皮袋であることには変わらない。


最近、読んだ本に影響されて、受け売りで、盛んに言っていることです。
それで、日本の悪口を言って、気持ちがいいようです。
だから、シャロームは、革新派の政治記事を転載することが多いのでしょう。
自分は何も新しいものを持っておらず、底が知れるというものです。
2019/2/16(土) 午後 1:54st5402jp返信する

顔アイコン>
今日の家庭、教育、社会の深刻な問題は
古い皮袋が張り裂け、破れている姿なのです


いつもながらの、シャロームの実体のない豪語です。


新しいぶどう酒がもたらした繁栄は腐敗し、零れてしまい、
古い皮袋の柔軟性も限界を迎えているようです。


いつもながらの、言い放って終わりで、中身のないボロクソ節です。
2019/2/16(土) 午後 1:54st5402jp返信する

顔アイコン>
さあ、皮袋を新しくするか、古い皮袋が張り裂ける時を待つか、
しかし、今はまだ古い皮袋の破れを必死に取り繕っているようです。
古い革袋がブランド品であるかのようにデーターを改ざんし、
決して皮袋を新しくしようとはしていないのです。


だから、国家の、新しい皮袋とは何なんだ。中身のない批判気取り。
右でも左でもなく、やたら日本を憎んでいるシャローム。

それに、隠蔽と改竄は、シャロームが、繰り返ししてきたことだろう。
そこだけ、日本の悪い政治に、そっくりのシャローム。
2019/2/16(土) 午後 1:55st5402jp返信する

顔アイコン>
新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるものだ。
(新約・マタイによる福音書9章17節)


古いぶどう酒は、古いままなら、黙っていなさい、シャローム。
新しいぶどう酒も新しい皮袋も造れない雑言法師、シャローム。

いつもながらの、言い放って終わりで、中身のないボロクソ節です。

明後日あたりアップするつもりの、シャロームの「新しい葡萄酒は新しい革袋に」への批判記事の下書き。
2019/2/16(土) 午後 1:56st5402jp返信する

顔アイコン古い記事の焼き直しで、同じようなことを言っているだけで、相変わらず、具体的なことは何も書けないシャロームです。批判しているような記事は、ボロクソ節にしかなりません。
気にしないでください。関わらないでください。この人は、こういう人です。
いつも他者を馬鹿にしている偽善者です。
2019/2/16(土) 午後 2:02st5402jp返信する

顔アイコン古い皮袋が張り裂け、破れているのは、まさに、シャロームなのです。
2019/2/16(土) 午後 2:06st5402jp返信する

顔アイコンただいま戻りました。

「不自由さん」とか、「安楽山」とかいって、あからさまに見下し、バカにしてたのが、
今回は、「楽山 (自由)さん」と普通になってたので、対話できるかなと思ったのだけど、こんな流れになってるとは思いませんでした。やっぱ対話は難しいかな。
2019/2/16(土) 午後 2:28[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>shalomさん
>2019/2/16(土) 午前 11:09

ノーベル平和賞の話を聞いたときは、大久保利通が島津久光のご機嫌取りをしてたとかいう話を思い出しましたよ。
2019/2/16(土) 午後 2:46[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん


「不自由さん」とか、「安楽山」とかいって、あからさまに見下し、バカにしてたのが、
今回は、「楽山 (自由)さん」と普通になってたので


それは、レスの自動で付いてくる呼び名か、シャロームのコメントではないですが。私ではないでしょう。

それに、シャロームと緩く歓談しながら、あからさまに無視されれば、シャロームの味方ですから、呼び名だけ、まともを期待するというのは、おかしいです。
2019/2/16(土) 午後 3:51st5402jp返信する

顔アイコンそれと、新しい私のコメントは、シャロームが、日本教など、ここの流れで記事を書いてきたので、私は、その批判記事を下書きしたものの一部を、ここにもコピペしたものです。
2019/2/16(土) 午後 3:55st5402jp返信する

顔アイコンシャロームの記事に

日本人の皮袋は日本教という
非常に柔らかく柔軟性に富んではいるが、
古い皮袋であることには変わらない。


これがなければ、ここにはコピペしなかったでしょう。
2019/2/16(土) 午後 4:00st5402jp返信する

顔アイコン彼は、実に、新しく覚えた言葉に執着して、引きずられ、安易に自説に結び付けます。聖書の古い皮袋は信仰の話、日本教は日本の宗教や社会の話、シャロームの革袋は、節操がないです。
2019/2/16(土) 午後 4:04st5402jp返信する

顔アイコン>st5402jpさん
>2019/2/16(土) 午後 3:51

そこのところは、私とは考えが違うようですね。
私は、相手が敵か味方かは関係なく、まともな呼び方をするし、普通に話しかけてくる限りは、普通に対応しようと思ってるので。
2019/2/16(土) 午後 4:48[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンそれはそうと、呼び方についていえば、
この間の記事では、shalomさんのコメントが、改変コピペされてましたね。
shalomさんが、他人の名前を変にしてバカにする人にされてて驚きました。
shalomさんがが使ってる「自由さん」でも、「楽山(自由)さん」でもなく、「安楽山さん」と変えられてた。
2019/2/16(土) 午後 4:54[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>(シャローム)
> 超越者というより超自然である神という方がいいのでしょうか。私はよく言葉使いが粗雑になるようで、ある人に叱られました。
私は安楽山さんのようにいろんな本を読んでいませんから思考も言葉遣いも粗雑になりやすいようです。ある方のいい餌食にされるマスね。(苦笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20079255.html

>超越者というより超自然である神という方がいいのでしょうか。私はよく言葉使いが粗雑になるようで、ある人に叱られました。
私は自由さんのようにいろんな本を読んでいませんから思考も言葉遣いも粗雑になりやすいようです。ある方のいい餌食にされるマスね。(苦笑)
2019/1/20(日) 午前 11:37[ shalom ]
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41362713.html
2019/2/16(土) 午後 4:55[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

どこですか。改変コピペというのは。
2019/2/16(土) 午後 6:26st5402jp返信する

顔アイコンこういう細かいところを気にするのですか。あまり覚えがないのは、たぶん、私は、そのとき、自由さんと書くことに耐えられなかったのでしょう。
シャロームについては、長いこと、礼儀を守るべき人とは思っていません。シャロームに、うわべ丁寧で、中は真っ黒、というのを見せつけられましたから。
ですが、ここは、自由さんに変えておきます。失礼いたしました。
2019/2/16(土) 午後 6:40st5402jp返信する

顔アイコン指摘は、早めにお願いいたします。そういう修正は可能です。
2019/2/16(土) 午後 6:43st5402jp返信する

顔アイコンそうですか。ではこの辺りはどうでしょう。まず以下に、コピペします。
2019/2/16(土) 午後 6:49[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンなお、謝罪は楽山さんに対するもので、シャロームに謝罪する気はありません。私がシャロームに謝罪するなら、シャロームは、私のコメント削除、侮辱、嘘、等々、私とキリスト者に、何千回か、それ以上の謝罪をすることになります。削除と侮辱は、修正も回復も出来ません。私は、シャロームに対しては、変わる気がないなら、書くな、ということです。
2019/2/16(土) 午後 6:50st5402jp返信する

顔アイコンなぜ人は、宇宙、自然などから神を連想するのか
なぜ人は、道徳、良心をもっているのか
この辺りは、宗教的にはわりとすぐ回答できそうだけども、進化論的な切り口から論じた本を読むと、目からうろこが落ちた気分になれて面白いです。
2019/2/2(土) 午前 8:29 [ 楽山 (自由) ] 返信する
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41330456.html

それにしても、彼の今までのことも知らず、よく吟味もしないで、ヨシュア以上の洗脳のプロに、目からうろこが落ちた気分になれて面白いです、などと、よく言えます。
今夜、記事にします。
2019/2/2(土) 午後 7:41 st5402jp 返信する
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41330456.html
2019/2/16(土) 午後 6:56[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン私は、shalomさんが創造論的な話に背を向けて
進化論の本に、目からウロコが落ちるとしたのですが、

stさんのコメントだと、
私がshalomさんの話に目からウロコが落ちたと感動したことになってませんか。
2019/2/16(土) 午後 6:57[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン私が、呼び名にとどまらず、普通では失礼になるようなことを書くのは、普通ではなく、怒っているからです。罵詈雑言で、シャロームが書かなくなるようなら、一途に罵りまくるという手もありますが、サーバーに削除されることもあるので、控えているわけです。
2019/2/16(土) 午後 6:59st5402jp返信する

顔アイコン思い出したくもないので、シャロームの話に背を向けたことが分かりにくかった文脈ではないでしょうか。シャロームは、調子合わせの賛同をする人ですから。この件については、こまごまとしたところは、考えません。
礼儀を失したところは他にもあるでしょう。シャロームはもちろん、対立となった自由さんに対しても、その場合、礼儀を守って、などとは思わなくなってゆきます。
指摘は、テーマとなる本筋にしてください。
2019/2/16(土) 午後 7:10st5402jp返信する

顔アイコン言葉だけ丁寧で、内実の伴わない人に対しては、うわべだけの人、という評価になってゆきますから、扱いは雑になります。シャロームは、ずっとそうですし、自由さんに対しても同様だと感じることが、無視など、多々あって、不感不応が伝染したと感じるようになったのでしょう。
2019/2/16(土) 午後 7:17st5402jp返信する

顔アイコン一応参考として、shalomさんのコメントを貼ると、こんな感じです。
私が、目からウロコが落ちるとしたのは進化論だということは、shalomさんには伝わってたらしい。進化論にも有益なところあると話を寄せてくれてる。

>> 自由さん
>
>「なぜ人は、宇宙、自然などから神を連想するのか
なぜ人は、道徳、良心をもっているのか
この辺りは、宗教的にはわりとすぐ回答できそうだけども、進化論的な切り口から論じた本を読むと、目からうろこが落ちた気分になれて面白いです。」
>
>きっと宗教のもちやすい独善性、独断性を批判し、相対化するには面白いでしょうし、有益でしょうね。
2019/2/2(土) 午後 2:54 [ shalom ]
2019/2/16(土) 午後 7:21[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンテーマ、本筋も大事とは思うけど、ものの見方をある程度、合わせておかないと議論はずっと噛み合わないままになりそうな気はします。

人それぞれにしても、私とshalomさんの会話にしても、stさんの解釈、受け止め方は、私にとって思いもよらないようなものになってます。この辺りをきちんとしないと、対話を成立させるのは難しいのではないかと。

でもその方面の話には、乗り気になれないのであればとりあえずここで中止することとします。あとは次の機会ということで。
2019/2/16(土) 午後 7:37[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>
>きっと宗教のもちやすい独善性、独断性を批判し、相対化するには面白いでしょうし、有益でしょうね。
2019/2/2(土) 午後 2:54 [ shalom ]


(私)
独善性、毒男性は、いつも、シャロームの絶対性の持ち物です。
ご機嫌取りはシャロームの技です。
心にもない嘘と偽善と、
「ね」付きの丁寧語と聖書語による擦りこみはシャロームの生業です。

と私は記事に書いていますが。

なお、シャロームに伝わっていると思わないほうがいいです。シャロームが書けば書くほどぼろは出てきますが、話も外れてゆきますから、分かりにくいのでしょう。とにかく、受け入れたふうに書いて、後、シャロームは、そこに引っ掛けて自説を語ります。そのお粗末さを自由さんが見抜かないのは、残念としか言えません。
2019/2/16(土) 午後 7:40st5402jp返信する

顔アイコン自由さんについては、こちらは、ずっと前から、思いもよらないものになっていたということです。肯定文をそのまま肯定と受け取る前に、相手が心にもないことを世辞でまたは手管として言っている可能性を考えるのは、今までの付き合いの成り行きと、そのときの話の流れと、文脈から、そして、その比較的長い過去と現在の比較によって、筆致と体質を見てゆくことからです。
2019/2/16(土) 午後 7:49st5402jp返信する

顔アイコンシャロームさんは、どんな話をしてても、聖書、キリスト教の話になることが多いようです。いつもそのことを考えているということなのかもしれません。
それに対して私の方は、人間機械論、進化論など、それとは反対の話を持ち出してる。また、いかに生きるべきかについての関心は残ってるけど、十字架の意味とか、教義的なことには踏み込むつもりはないことも書いてる。
この辺りは、私はある意味では、無作法、無遠慮です。
stさんからしたら、私はシャロームさんに取り込まれてるように見えてたかもしれませんが、実際のところは、そういうわけでもないです。
2019/2/16(土) 午後 8:34[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン人それぞれについては、私とシャロームさんが意気投合しているというより、それは世間一般の考え方だということだと思います。
「よそはよそ、家は家」「人それぞれ」なんて、どこでも聞く言葉だろうし、常識みたいなものだし、その通りですねというのは普通のことかと。
この辺りの考えが重なったところで、さほどの意味もないかと。
2019/2/16(土) 午後 8:38[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンそれにこの議論は、アンチHS界隈では、前々からある議論ではあります。
カルトは、過干渉で、おかしなことをしつこく押し付けてきたりします。
だから私は、「自分らしさを失うな」とか、「おかしなことを押し付けてくる相手とは距離を取れ」とか書きます。信者はそれに反対する。


・『ねばならぬ』を排する? (志賀直哉の日記と、ジョニー・ロットンの言葉)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41435177.html
・「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html

◇信仰無き退転者の特徴 ~「実践・悪魔の論理と戦い方」を読んで~
http://blog.livedoor.jp/space_people/archives/14533714.html
2019/2/16(土) 午後 8:40[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンちなみに、HS教義は、二重構造のようになってます。普通の部分と、教団特有の部分というように。

A.信仰は大切だ。神を信じよう。
B.信仰は大切だ。神である大川隆法を信じよう。大川隆法を信ぜず、悪口を言う輩が大勢なら、天変地異などの神罰が下りかねない。云々。

批判者は、Bに対して「これはおかしい。こんなことを押し付けてくる団体とは距離を取れ」といい、
信者は、まるで批判者がAに反対しているかのようにいい、批判者は、神を信じることに反対している、無神論者だ、と非難するという構図。

信者にとって、神=大川隆法だから、大川隆法を信じないことは、神を信じない無神論者になるらしい。
2019/2/16(土) 午後 8:44[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンshalomさん関連のことでは、マリアさんの記事を思い出す。
これに有効な反論をするのは難しそう。
献金詐欺とか、霊感商法とか、そういうことがあったら話は違ってくるかもしれないが、信仰観が違うとか、そういうことで他者を巻き込んで誰かを排斥しようというのは無理と思います。

・思考の範囲の広さ - マグダラのマリアの部屋(Mary Magdalene)
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43221854.html
2019/2/16(土) 午後 9:14[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン(楽山)
シャロームさんは、どんな話をしてても、聖書、キリスト教の話になることが多いようです。いつもそのことを考えているということなのかもしれません。

(私)
「そのこと」が何であるかが怪しいと私はずっと言っているのですがね・・。

(楽山)
それに対して私の方は、人間機械論、進化論など、それとは反対の話を持ち出してる。また、いかに生きるべきかについての関心は残ってるけど、十字架の意味とか、教義的なことには踏み込むつもりはないことも書いてる。
この辺りは、私はある意味では、無作法、無遠慮です。

(私)
シャロームは不当だと言っている私がいるのに、楽山さんが自分のせいにしても何も片付きません。あなたは、いろいろなことを語ってきたし、先ず、クリスチャンではない。そこに、シャロームは、あなたの言い分を分かったふうに受け入れて見せて、求められてもいない自説の教理めいたものを書きまくる。それこそ、無作法、無遠慮なのです。普通、クリスチャン以外のサイトには、信仰の書き込みは、遠慮があってしかるべきなのですから。
2019/2/16(土) 午後 11:30st5402jp返信する

顔アイコン(楽山)
stさんからしたら、私はシャロームさんに取り込まれてるように見えてたかもしれませんが、実際のところは、そういうわけでもないです。
2019/2/16(土) 午後 8:34 [ 楽山 (自由) ] 返信する

(私)
月並みな言い方をします。そう思うところが怪しい。カルトに入る人は、強制はされていません。価値観と言葉の世界と受け取り方をすり込まれてゆくのです。
2019/2/16(土) 午後 11:32st5402jp返信する

顔アイコン(私)
お付き合いレベルならそうでしょう、と言いたいが、そうでもありません。ネットのお付き合いは、しばしば正邪、善悪など、深刻な問題に及んでいるからです。人間と人間世界の命の問題についての議論を、井戸端会議にしてよいはずはありません。
(私)
シャロームは、井戸端の理路と知識しか持っていないから、それが普通なのです。仕入れた言葉を盛んに使ってごまかしています。つまり、シャロームの、緩やかな洗脳は、お付き合いレベルから始まって、何より怖いのは、先入観、固定観念になるのです。
2019/2/16(土) 午後 11:37st5402jp返信する

顔アイコン(楽山)
それにこの議論は、アンチHS界隈では、前々からある議論ではあります。
カルトは、過干渉で、おかしなことをしつこく押し付けてきたりします。

(私)
掏り込みというのは、政治でも語られるくらいですから、おっしゃるHSのようにカルトが、いつも過干渉でおかしなことをしつこく押し付けてくるだけではありません。その例が、シャロームなのです。

(楽山)
だから私は、「自分らしさを失うな」とか、「おかしなことを押し付けてくる相手とは距離を取れ」とか書きます。信者はそれに反対する。

(私)
人間らしさを失わせて、おかしなことを、一見まともに見せかけて掏り込んでくるのがシャロームです。超常を誉め讃える話を、ことあるごとに書いてくるでしょう。そういう人には、分からないなら、分からないと言い、やめるように言うべきなのです。
2019/2/16(土) 午後 11:39st5402jp返信する

顔アイコン(私)
ここでHSの話をされてもね・・。でも、ありそうな話です。しかし、シャロームは、そんなに気づきやすく分かりやすいカルトではなく、超常と神聖についてのカルト妄想を、それとなく、もっともらしく、吹き込んでゆくのです。その根っこにおいて、何を言われても訂正不能です。ですから、交際を続けること自体が危険なのです。

(楽山)
shalomさん関連のことでは、マリアさんの記事を思い出す。
これに有効な反論をするのは難しそう。

(私)
自称マグダラのマリアのことでしょうか。反論をするのが難しいのではなく、無効は、何か言うと、人格が変わったように、こちらを感情論と言いながら、感情的に攻撃してくるから、話にならないということです。
2019/2/16(土) 午後 11:39st5402jp返信する

顔アイコン(楽山)
献金詐欺とか、霊感商法とか、そういうことがあったら話は違ってくるかもしれないが、

(私)
ネットの議論や遣り取りは、言論です。献金詐欺とか霊感商法とか、そういうことがあったら、もはや、強制力を含む刑事事件の問題ですね。まじめな議論を、事件が明らかになるまでせずに待つのですか。
2019/2/16(土) 午後 11:40st5402jp返信する

顔アイコン(楽山)
信仰観が違うとか、そういうことで他者を巻き込んで誰かを排斥しようというのは無理と思います。
・思考の範囲の広さ - マグダラのマリアの部屋(Mary Magdalene)
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43221854.html
2019/2/16(土) 午後 9:14 [ 楽山 (自由) ] 返信する

(私)
信仰観が違うとかいう問題ではないですよ。カルトまたはカルト的妄想であるかどうかを判断するために考えておくべきことがあります。
(私)
信仰についての主張が、もし、すべての人か多くの人が言われるとおりに信じたら、人間と人間世界は破壊に向かう、ということならば、その主張は間違っているのです。
2019/2/16(土) 午後 11:40st5402jp返信する

顔アイコン(私)
このことは、解釈の分からないところをこじつけて信じるという形で、キリスト教の中にも、多くの思い込みによる誤謬を生じていると思います。
(私)
超常を説いても、それが人間が生きるためにならないなら、受け取りようがない、すなわち、人間世界では否定するべきなのです。あなたのおっしゃった「自分らしい」私の言う「人間らしさ」が根拠になるのです。それで、ある程度、正邪の判断が人間にも出来るということであり、しなければいけないと思います。宗教も信仰も、人間が生きるためにあるからです。
2019/2/16(土) 午後 11:41st5402jp返信する

顔アイコン(私)
信仰についての主張が、もし、すべての人か多くの人が言われるとおりに信じたら、人間と人間世界は破壊に向かう、ということならば、その主張は間違っているのです。
(私)
総ての人が、シャロームの主張通りに、罪を認めなくなったら、悔い改めることをしない、つまり、反省しなくなったら、と考えれば、明らかでしょう。放置したり、お付き合いくらいはして・・、ではいけないのです。
2019/2/16(土) 午後 11:58st5402jp返信する

顔アイコン無効は(誤)→向こうは(正)
2019/2/17(日) 午前 1:05st5402jp返信する

顔アイコン前にも書いたことがあったと思うけど、
stさんのシャローム批判は、シャロームさんの言動から、シャロームの本音はこうだろう、こういうことを考えているのだろう、そういうシャロームを放置していたら、どんなことが起きるだろう…というように、推測、想像によって構築されている部分が多いようです。
人が推測、想像を少しも交えることなく語るのは困難だけど、それにしてもstさんのシャローム批判にはその部分が多すぎるみたい。ここは修正した方がよいのではないかと思います。
2019/2/17(日) 午前 6:21[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンそのまま受け取るよりはマシだと思います。推測には、根拠と動機があります。誰の発言も、推測して、悪いほうに疑うわけではありません。邪推とは違います。嘘、罪の意識と悔い改めの意志の欠如、訂正不能、侮辱、など、シャロームには、悪い根拠がそろい過ぎています。これで、そのまま受け取るほうが異常だと思います。
2019/2/17(日) 午前 7:30st5402jp返信する

顔アイコン楽山さんの言っていることは、これもまた、嫌われないようにするお付き合いの話だと思います。でも、コメント欄に書いてあることは、しばしば、思想や宗教が入ってきています。スタンスを変更したほうがよいと思います。推測することや疑うことが苦手とおっしゃるなら、仕方ないですから、あなたに無理にとは言えませんけど、私を、推測は良くないと批判する理由としては浅いと思わざるを得ません。
2019/2/17(日) 午前 7:39st5402jp返信する

顔アイコンstさんからしたら、十分な根拠を元にシャローム批判をしてると考えてるのだろうけど、残念ながら私から見たら微妙なことが多いです。何といったらいいか、事実を根拠にしているというよりは、推測を根拠にして論を展開しているみたいです。
たとえば、シャロームは悔い改めは必要ないとしているという批判も、そうなってると思います。
2019/2/17(日) 午前 9:06[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン「シャロームは悔い改めは必要ないとしている」については、シャロームは、必要だが、神が与えると最近、言いました。しかし、悔い改めるのはシャロームなのに、神が与えるというのは、おかしいのです。神が導く(聖書より)のですから、悔い改めないでいるということは、神の導きがないわけで、そこから推論として、本当は悔い改める気がないことを、言い逃れるための詭弁だということになります。前に書きましたけど、悔い改めていないと言われれば、キリスト者なら、いや悔い改めています!と答えるはずなのです。信仰がないと言われてるのと同じですから。
さらに、事実としては、シャロームの発言として、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、というのが、もうずいぶん前にありました。それを訂正していないのです。
2019/2/17(日) 午前 9:27st5402jp返信する

顔アイコンそれと、推測は議論の中心でしょう。楽山さんは、面と向かって、シャロームが、神を罵倒でもしない限り、認めないということなのでしょうか。そういうことが起こってからというなら、議論は、いっさい無意味です。ここで必要な論理は、人間ならば、という立場から、必然を推測することです。それを認めないというのであれば、やめましょうか。
2019/2/17(日) 午前 9:33st5402jp返信する

顔アイコンこのことは、前に言ったことと同じで、事実が目の前で起こって、慌てふためくまで、何も気づくための努力をせず、推測だから分からないと言い続けるということになるでしょう。堂々巡りでしょう。私との遣り取りが嫌ならレスしなければよいのです。
2019/2/17(日) 午前 9:43st5402jp返信する

顔アイコンどうも楽山さんは、理路とか必然とかを考えていないか、考えるのをめんどくさがっているように思えます。それで、いつも、暫定的な結論さえも出ないのでしょう。そういう人を相手にするのは、話が戻りやすくて、例えば、9まで行った後で、1にこだわるようなものでしょう。停滞と保留のままが好きなら、そうすればよいのです。あなたはクリスチャンでもないのですから、私は、応援を望んでいるわけではありません。無視したことについて、いろいろ意見がありそうだから、やり取りしてきたのです。私の心の健康を害しそうなので、この辺で。
2019/2/17(日) 午前 9:56st5402jp返信する

顔アイコンコメント投稿しようとしたところだったけど、終わりにしようということでしょうか。
でもせっかく書いたし、こちらも最後と思って、二、三投稿さしてください。すみません。
2019/2/17(日) 午前 10:22[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン私の理解では、キリスト教の人間観は、人は罪にとらわれていて、自力では善い事はできない、人が善い事をするには神の導き、助力が要るというものだと思ってます。
西洋の書物では、著者が前書きで、「この本に間違いがあったらそれはすべて自分の責任であり、もし良いところがあったらそれはすべて神のおかがである」というようなことが書いてたりするけど、これは上のような人間観があるのじゃないかな。
これからすると、シャロームさんが、悔い改めは神が与えるといったとしても、そうおかしくないです。
また神は、人が必要とするものを、それがふさわしい時に与えるのであれば、人が悔い改めをしないのは神に導かれていないというよりも、神はそれを与えるのにふさわしい時を待っておられることになると思います。
2019/2/17(日) 午前 10:24[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>さらに、事実としては、シャロームの発言として、罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい、というのが、もうずいぶん前にありました。それを訂正していないのです。

stさんの記憶ではそうなのだろうけど、第三者が確認できる記録がないのでは根拠としては十分とは言えないように思います。
ただ悔い改めと赦しについては、赦しは悔い改めよりも先にあるということは、神父さんの本で読んだことはあります。
また「レ・ミゼラブル」でも、悔い改めより赦しが先になってます。ジャンバルジャンは泥棒の罪を神父に赦されてから、悔い改めるという流れ。
想像するに、シャロームさんがこの思想について語った結果、議論を経るうちに、上のような嫌な言い回しに変化され、stさんの記憶に定着したのではないでしょうか。
2019/2/17(日) 午前 10:31[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンでは、こちらもこの辺で休みます。
stさん、対話してくれてありがとうございます。
2019/2/17(日) 午前 10:34[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンやはり、おそろしい。自分では、途方もない理屈をこねているではないですか。どこが自分らしいのでしょう。推測以上の何物でもない。よく、いけしゃあしゃあと言えるものです。何一つ、まともなキリスト共感ではないです。本に書いてあったら正しいわけ?信仰の実感もないくせに。
悔い改めが与えられるというのも、棒のような理屈を並べているだけです。あなたが、いちばんの思い込みカルトです。知識の寄せ集め。時間の無駄。推測魔は、あなたです。怖い。
2019/2/17(日) 午前 11:26st5402jp返信する

顔アイコン神妙な言い回しで、笑っているのも、あなたでしょう。一生、キリスト教に近づかないで。あなたが、いちばん人を害する要素を持っています。
2019/2/17(日) 午前 11:28st5402jp返信する

顔アイコンあちこちから拾ってきたような理屈、接着剤のように粘着している自我、柔和を装う丁寧語は、シャローム以上の自己絶対と排他を根っこに持っているナルシシストだった。
2019/2/17(日) 午前 11:46st5402jp返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん おはようございます

「人間らしい」「人間ならば」の双方向の対話の良き手本はどのような対話であるかを教えてくださりありがとうございました。
また「人間らしい」「人間ならば」の双方向の対話ができないと心の健康を害することをも身をもって教えてくださりありがとうございました。
2019/2/17(日) 午後 0:09[ shalom ]返信する

顔アイコンところで、山本七平氏による日本教について、もっと丁寧に読みたいのですが、まだ本が送ってきませんので、少し読み直してみました。
印象に残ったことを書いてみます。
「神は空名なれど」はいいのですが、もう一度読んでみます。
「五・一五事件と純粋人間」に書かれている“人間であれ”という言葉の意味でした。「人間であれ」ということは、一言にして言えば「まず日本教徒であれ」ということで、いいかえれば「日本教の教義(人間規定)に忠実であれ」ということだと書かれています。
2019/2/17(日) 午後 0:10[ shalom ]返信する

顔アイコンまた『「成長」「変節」のない思想』には日本教には二人称しかないということがかかれていました。
日本人の会話には一人称がないとよく言われていることと同じかなと思いました。一人称とは「私」「私たち」で、二人称は「あなた」であり、「お前」ですが、日本教には二人称しかないといいうのです。面白い表現ですね。一人称と二人称の関係であって、対話が成り立つけれども、二人で会話していても「二人称しかな」というのです。不思議な会話、奇妙な対話ですね。
なぜこんなことが起こるのか?答えははっきりしていると思います。つまり一人称と二人称とのはっきりした区別がないからですね。つまり、「私」と「あなた、お前」の間の区別が不明瞭か、無いからです。つまり自他未分化なのです。
2019/2/17(日) 午後 0:13[ shalom ]返信する

顔アイコン「お前のお前」には二人称のみの世界の対話方式について書かれています。二人称のみの対話方式におけるの対話の在り方と責任について書かれているようです。「二人称しかない」会話、関係の責任の所在が不明確になることを恩田木工と天皇制について書かれています。私は恩田木工については全く知りませんが、その内容はとても身近に体験することであり、天皇制については敗戦後の日本復興の原理、原動力となったことで理解できます。日本教国日本の家族関係や教育関係、企業、政治などあらゆる分野で日常的に起こっていることを見聞きすることができるようです。

こんなところがとても心に残りました。
楽山(自由)さんが読まれる時、shalomがあんなことを書いていたがと心にとめて読んで下さればと思います。
そして感じられたことを教えてくだされうれしいですね。
2019/2/17(日) 午後 0:14[ shalom ]返信する

顔アイコン前に、悔い改めより先に赦しがある云々と書きましたが、少し修正します。
確認したら、「ゆるしが先で改心があと」となってました。
悔い改めと改心の違いは、いまいち判然としませんが、記憶違いがあったことはお知らせしときます。失礼。

>「ゆるしが先で改心があとなのです」(『キリスト教がよくわかる本』井上洋治、p.57)
https://twitter.com/jiyuu2018/status/1096967892749303809
2019/2/17(日) 午後 0:15[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> stさん

自分のせいで、stさんには嫌な思いをさせてしまったようですね。すみません。
では私の方では、これで引き下がることにします。では、失礼。
2019/2/17(日) 午後 0:16[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン午後 0:13 [ shalom ]
下から四行目の「しかな」というのです。は「しかない」の誤りです。
2019/2/17(日) 午後 0:21[ shalom ]返信する

顔アイコン自他の区別がないということについては、山本七平の講談社学術文庫の本におもしろいたとえがあったように思います。すごく薄い本で、日本文化云々というようなタイトルだったかと。

お年寄りが、ヒヨコが寒かろうと思いやって、お湯を飲ませたら、ヒヨコは死んだという話で、これを日本人の親切の典型とするようなことだったかと。自分がこう思い、こう感じてるから、相手も同じだと考えて疑わないとか。
2019/2/17(日) 午後 0:26[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンでもまあ、この辺りのことは、アレルギーとか、宗教の禁忌事項とか、主義とか、世の中にはいろいろな人がいるということは周知されていってるし、
だんだんに、相手も自分と同じように感じ、考えるとは限らないという考え方が標準になっていきそうではあります。甘いかな。
2019/2/17(日) 午後 0:41[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

「確認したら、「ゆるしが先で改心があと」となってました。
悔い改めと改心の違いは、いまいち判然としませんが、」

神は罪の支払う報酬は死であるといわれましたが、神は人の罪であり、人、自ら支払うべきである罪の報酬である死をご自分の罪なき神のひとり子であるイエス・キリストを裁き、その十字架の死によって支払い、その罪のあがないにより、私たちの罪、神との失われた関係、的外れの状態にある私たちの罪を赦して下ったというのです。信仰によって受け容れ、心の方向、向きを変えることを悔い改め、改心、回心というようですね。
神による赦しが先にあり、わたしたちのくいあらため、かいしんがあるのですね。

【口語訳】新約・第一ヨハネ
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
2019/2/17(日) 午後 0:49[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

立春は過ぎましたが、まだまだ寒い日が続いています。
神は神との関係と交わりを見失ってしまい、その罪による寒さに身も心を凍り付かせて、息も絶え絶えに生きているわたしたちに神からのイエス様という北風ではなく、暖かい南風を送ってくださり、少しづつ重ね着して身も心も重く閉ざしている私たちが衣、鎧を脱ぐことができるようにしくださって言えるかもしれません。
2019/2/17(日) 午後 1:02[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんにちは

大和七平氏が「自他の区別がないということについて講談社学術文庫の本におもしろいたとえ」を書いておられましたか。

そうでしたか。私が山本七平の著作に初めて出会ったのは「日本人とユダヤ人」で、60年前?の出版された直後、ちょっと読んだぐらいで、よくわからなかった記憶がありますが、
その山本七平がすでに自他未分化について書いておられましたか。私の感じていることに通じてうれしいですね。
2019/2/17(日) 午後 4:16[ shalom ]返信する

顔アイコン今、幼児虐待の問題が深刻化していますが、日本教についてにも日本教国日本はきびしい差別社会だというようなことが書いてありました。複合的な原因があるとは思いますが、きっと自他未分化もおおきな原因だと思います。自他未分化は個としての「わたし」意識が未成熟で脆弱なために自分を客観視できませんから情緒的に不安定なため、他者をあるがままに認め、受け容れることがむずかしいのは避けがたいことだと思います。自立できていない不安や自信のなさから来る恐れや不信や怒りは自分に向けられ、うつ病になりやすく、自分より弱い者に向きやすいのは避けられないことだと思います。私にも思い当たることは多いです。
2019/2/17(日) 午後 4:16[ shalom ]返信する

顔アイコン「だんだんに、相手も自分と同じように感じ、考えるとは限らないという考え方が標準になっていきそうではあります。甘いかな。」

氾濫する情報に流されずに的確に取捨選択することは容易なことではありません。よほどしっかりした自己確立ができていないと、流れの激しい川を泳いで渡るようで、流されたり、おぼれたりする危険があり、ほんとうに危ういですね。
「だんだんに、相手も自分と同じように感じ、考えるとは限らないという考え方が標準になっていき」ますので、だれでも孤立しやすく、ストレス社会になり、一方で強権政治がはびこり、社会そのものがカルト化やすくなり、内からも外からも人の心は脅かされるようになっていくのでしょうから、確かに甘いかもしれませんよ。
2019/2/17(日) 午後 4:17[ shalom ]返信する

顔アイコン幼児虐待については、雄ライオンの子殺しとからめた話がありますね。
怖ろしい話です。

・連れ子はなぜ虐待されるのか?
https://rikon-isharyou-anshin.com/topics/stepchildren-abuse/
・子殺し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E6%AE%BA%E3%81%97
2019/2/17(日) 午後 8:34[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

2件とも読みました。人間も動物としての生き物であることは確かです。
人間は生まれたら自動的に人間として育つわけではないと言われます。人間ほど一人の人間として生きていけるまで養育期間の長い生き物はいないと思われます。インドで狼に育てられたアマラとカマラの話はよく知られています。人間の子として生まれても、オオカミに育てられると狼のように育つというのです。発見され、人に育てられるようになって、少しづつ人間性を養育され
回復したようです。それは人として養育されずオオカミのような人として育った人が親になり、子供を育てると自分が育てられたように育てる可能性があるということですね。
それを単に動物的な本能に帰してしまうこともできますが、やはり人間は社会的な共同責任として子供が人として養育されるようなセイフティネットが必要だと思われます。そのセイフティネットが機能しない社会は弱肉強食の動物の世界ということができると思います。動物の世界には確かに生き残るための適者生存の法則がありますが、やはり人間の世界は動物の世界と精神的、社会的機能が必要だと思いますね
2019/2/17(日) 午後 9:52[ shalom ]返信する

顔アイコンでも結婚も家庭も破綻しやすくなりつつあることも事実ですから、連れ子の虐待や子殺しの原因を、人としてなにが原因か問う必要があると思います。何か人が人として生きていくために大切かを問うことなしには問題の解決は難しいと思います。
多くの生物が生存の危機に直面していますが、その原因は人にあるということができないでしょうか。生物が生存できないのであれば、動物のみならず人も生存できなくなるということではないでしょうか。
2019/2/17(日) 午後 9:53[ shalom ]返信する

顔アイコンたしかに育成環境は大事ですね。
でもその辺りについては、なかなか突っ込んだ議論をしたり、報道をしたりは難しいということもあるようです。へたをすると、特定の家庭に対する差別につながりかねないので…。
2019/2/18(月) 午後 8:13[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンなにげに、林道義を思い出してしまった。

・林道義のホームページ
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/
2019/2/18(月) 午後 8:14[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

「林道義のホームページ
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/」

プロフィールまで読んでみました。
私も安保運動で清水谷公園からジュラルミンの盾のなかをデモしたりした年代ですし、また大学紛争で大学が揺れた時代を知っていますから、なんとなくその当時のことを思い出しながら読みました。
林さんのすごい経歴ですが、この世、社会をよりいものにしたいという理想を掲げて生きて、様々な変遷を経て、マックス・ウェーバーとユングにたどり着かれ、見えない人間の内面性の理解が必要だという所に到達された方だと思い
「人としてなにが原因か問う必要があると思います。何か人が人として生きていくために大切かを問うことなしには問題の解決は難しい」という私なりの考えもあり、共感を感じました。楽山(自由)さんがふと林道義さんを思い出されたことはこれだったのかなと思いましたが、どうでしょうか。
いつも興味ある資料を紹介してくださりありがとうございます。
2019/2/18(月) 午後 10:39[ shalom ]返信する

顔アイコン今日注文していた三冊の本が届きました。ブックオフからの購入ですが、三冊ともとてもきれいな本で喜んでいます。
省略なしで日本教徒を読むとまたより理解しやすいと思いますので、楽しみです。
また山本七平と小室直樹との対談「日本教の社会学」~戦後日本は民主主義国家にあらず~も楽しみです。
あとは「空気」の研究も期待しています。
ではshalom!
2019/2/18(月) 午後 10:40[ shalom ]返信する

顔アイコン>shalomさん、こんばんは。

林道義を思い出したのは、養育、家庭などの話が出てたからです。
母性、父性についてなど、子育て、家庭教育などの話をたくさん書いてる人なので。
2019/2/19(火) 午後 7:53[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン山本七平は、この間、ここに貼られてたページと、『日本教の社会学』を読んでみようかと思ってます。これは手元にあるのと、対談本で読みやすそうなので。
2019/2/19(火) 午後 7:54[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

林さんの夫婦関係の在り方など、まあの時代には到底理解されたり、受け容れられることのない生き方ですね。こういう人間理解が林さんのなかにあったからこそ、社会主義は正しい、資本主義はまちがっているという考えが運動にかかわっていく中で覆され、この世界を、より良いものにしたいという理想のためにはもっと人間を理解する必要があるということで、ユングやウェーバーにたどり着いたということができると思ました。
2019/2/19(火) 午後 8:46[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

三冊をまえがきやあちこち、ちょっと拾い読みしましたが、日本教の社会学が初めに小室直樹の問題提起もあり、日本教をより具体的事柄として理解するにはとりつきやすく、よりいいのかなとは感じました。
処分されずに手元に残っていて、良かったですね。
ま、ぼちぼち読んでいきましょうか。
出来れば教会や牧師の読書会などで取り上げてほしいなと思っています。
2019/2/19(火) 午後 9:06[ shalom ]返信する

顔アイコン>内緒さん

ありがとうございます。
こちらとしては、とりあえずは、しばらく静観しとこうと思ってます。
2019/2/20(水) 午後 7:52[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>shalomさん

『日本教の社会学』は、言霊と言論の自由のところを少しだけ読んでみました。
なにげに、そのむかし、井沢元彦の言霊と怨霊信仰についての話を面白く読んだのを思い出しました。

それにしても、日本批判の中には、すごく不愉快な気分にさせられるものもあるけど、
『日本教の社会学』の日本批判の場合は、興味深くはあっても、不快な感じはないのだから面白いもんです。この差異はどこから来てるんだろうと思います。
2019/2/20(水) 午後 7:55[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンふう。
ラーメンのスープを全部飲んだせいか、なんだかすごく喉が渇く。

こうなるのが分かってても、スープを全部飲まずにはいられないのだから、我ながらしょーもない奴です。
2019/2/20(水) 午後 8:00[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん

ラーメンのスープを全部飲んだ!そりゃー喉が渇くでしょう!
塩分7%は私の一日制限の6%以上ですね。
麺だけかるく茹でて上げて、お湯を入れて野菜や肉を少々入れて,スープ粉を少し入れた後、麺を入れて食べるとおいしいと思いますよ。この10年インスタントラーメンを食べなくなりました。食べてもスープはほとんど呑みません。摂取カロリーも450kcalはあり、時速6.5㎞で、傾斜13%をつけたランニングマシンで30分間速歩して400kcal消費ですから、怖くて食べられません。私は腎機能は30%余ほどで、好きですが食べられません。腎機能は回復不能ですから要注意ですね。
それにして塩分の少ない食べ物はおいしくありません、もう飼い馴らされました。(涙)
2019/2/20(水) 午後 10:26[ shalom ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん
林道義さんのホームページも続けて読んでみたいし、
『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』も読みたいし、買った山本七平氏の本3冊もあるし、老骨に鞭打って、目をしょぼつかせながら読んでみますが、山本さんの本はあまりにも博学で深いですから、あまり読書していない浅学な私には大変だと感じています。今日アマゾンで購入しましたが、まずは『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』を取り寄せて読み始めたいと思っています。ちょうど花粉症のシーズンになりましたので、あまり外出しないようにしないと、字の小さい山本本はすんなり読めないだろうと思っています。
楽山さんが読まれた本で心に留まったところを書いてくださればうれしいですね。ぼちぼち行きましょう。
2019/2/20(水) 午後 10:53[ shalom ]返信する

顔アイコン> shalomさん、こんばんは。

読書はいいもんですね。
とはいえ自分も、最近は活字の大きさが気になるようになってます。
やっぱ見やすさを考えると、文庫より、単行本がいいですね。
でも最近の文庫は、単行本なみに活字が大きくなってきてるので、これはありがたい傾向です。
2019/2/22(金) 午後 6:36[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンところで、ここはすでに記事とは関係ない雑談場みたいになってるけど、ゲストブックの方に移動するというのはどうでしょう。
前に、shalomさんが建てたものもあるからそれを利用するのもいいし、新しく建ててもいいと思います。

・shalomさん
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/GUEST/41469556.html
2019/2/22(金) 午後 6:37[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 楽山 (自由)さん こんばんは

「ゲストブックの方に移動するというのはどうでしょう。」

そうしましょう。
下のhttps://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/GUEST/41469556.htm で良かったのでしょうか。次からそこに書きましょう。
私もちょっと「日本教の社会学」のはじめだけ読みました。
戦後の日本のアメリカ仕込みの民主主義もかなり怪しげなもののように思われます。やはり日本の民主主義はまるで竹に木を移植したようなもので、播かぬ種は生えないということでしょうね。
では shalom!
2019/2/22(金) 午後 10:20[ shalom ]返信する

顔アイコンでは、ここでの対話は、ゲストブックに移動することにしましょう。

https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/GUEST/41469556.html
2019/2/23(土) 午前 7:19[ 楽山 (自由) ]返信する




*以下は、ゲストブックからのコピペです。


shalom
2019/1/30(水) 午前 11:23

自由さん 幸福の科学にかかわっておられたブロガーのマイラブさんのブログです。

ブログ「愛あるところ」
https://blogs.yahoo.co.jp/lxxx_my_love_xxxl/folder/1643426.html
閉じる コメント(58)
顔アイコン マイラブさん 幸福の科学の関係者と縁が切れましたということでした。
2019/1/30(水) 午後 2:15 [ shalom ]

顔アイコン そのようですね、コメント欄見てきました。
小説創作をなさる方のようなので、短編小説 妄想も読んでみました。「心臓がはたはたとした」というのは個性的な表現ですね。
2019/1/30(水) 午後 6:56 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 以下のやり取りは、「仏陀のことは、仏陀でなければ分からない? (『大学・中庸』)」のコメ欄のつづきです。

・仏陀のことは、仏陀でなければ分からない? (『大学・中庸』)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40810997.html
2019/2/23(土) 午前 7:24 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 『日本教の社会学』は、はじめの20ページほど読んでみましたが、無責任なお偉いさんたちには腹が立ちますね。でもそういう自分も、空気に支配されているところは多々あるし、反対意見に配慮し、バランスをとろうとする調整型でもあるんですよね。とほほ。
2019/2/23(土) 午前 7:52 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 第一章読了。けがれ、言霊のくだりは興味深い。話をしただけで、けがれがうつったとみなされて排斥されるとか、言霊を信じるとジョークが言えないとか、事実を事実として指摘できなくなるとか。論争になると罵詈讒謗だらけになるとか。
この辺りは、「ある、ある」と頷きながら読んでしまいましたよ。
2019/2/23(土) 午前 10:51 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン こんにちは
私は40年来の花粉症との付き合いですが、
山に囲まれたところから海辺の町に来て、花粉症はだいぶん軽減されたのですが、今年は花粉の飛散量が多いのか、いやに花粉症がひどいようです。
寒気になかにも明るい陽ざしに春近しといううれしい時候のはずですが、咳とハナミズと目の不快感で頭も重く感じて本が読みづらいシーズンとなりました。
「日本教について」届きました。七平さんの本が5冊手元にそろいましたが、「日本教の社会学」一章を読みかけたままとなっています。
日本人は日本は戦後民主主義になったと思っていますが、ただアメリカの経済力と軍事力の支配のもと、経済復興のみに心を奪われ、日本人の心の民主化が置き去りにされ、アメリカの占領状態からいまだ脱却しようともせず、いまだに民主主義については全く知られていないというのは本当だと思います。
2019/2/24(日) 午後 3:50 [ shalom ]

顔アイコン それは単に知的な理解ができていないということではなく、
民主主義と何ぞやという基本的理解がされないまま、拠って立つべき契約意識、法という背骨がなく、従来の空気の流れに支配される多数決があたかも民主主義であるという誤解が今日の日本的民主主義を機能不全にしているように思われますが、
どうでしょうか。

「言霊のくだりは興味深い。話をしただけで、けがれがうつったとみなされて排斥されるとか、言霊を信じるとジョークが言えないとか、事実を事実として指摘できなくなるとか。論争になると罵詈讒謗だらけになるとか。この辺りは、「ある、ある」と頷きながら読んでしまいましたよ。」

これから読みますが、指摘されているようなことが
日本人の心の民主化を妨げている理由のような気がしますね。
これから読みます。
shalom!
2019/2/24(日) 午後 3:51 [ shalom ]

顔アイコン こんばんは。
自分も花粉症のようで、春先、初夏あたりがもっともつらい時期です。特に春先の朝の連続くしゃみは、家族からもうるさいと顰蹙を買ってるので、今年はこれを試してみるつもりではあります。↓

・耳鼻咽喉科専門医に聞く。朝起きたときのくしゃみや鼻水が止まらない「モーニングアタック」とは!?
http://news.livedoor.com/article/detail/9784551/

読書の方は、あまり無理せず、体調と相談しつつ、ゆるゆる進めればよいかと思います。
2019/2/24(日) 午後 9:23 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 政治の話については、私にとっても耳の痛い話です。民主主義とは何かと問われれば、すらすらとは答えられず、契約書はさほど身を入れて読まなかったり、質問、交渉もあまりしない、空気に流される、権利主張しないで我慢することも多いですからね。
若い頃、イェーリングの『権利のための闘争』を読んで感銘を受けたときは、周囲の空気を無視して、権利主張したりもしたけど、最近はまた元に戻っちゃったという感じです。
この辺りは私も反省しないといけないところかもしれません。
2019/2/24(日) 午後 9:25 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 良い情報ありがとうございました。
さっそくマスクをして寝てみます。
この時期同じ悩みの人もあると思いますので、
明日の記事として紹介しましょう。

・耳鼻咽喉科専門医に聞く。朝起きたときのくしゃみや鼻水が止まらない「モーニングアタック」とは!?
http://news.livedoor.com/article/detail/9784551/
2019/2/24(日) 午後 10:35 [ shalom ]

顔アイコン おはようございます
よく寝返りをしますので、マスクがすぐ外れてしまうかと思いましたが、マスクも無事、効果もOKでした。
いつも4時半~5時頃くしゃみとハナミズ、鼻づまりが始まりますが、マスクでばっちり起きずに快眠でした。
ありがとうございました!
困っている方おすすめですよ!
2019/2/25(月) 午前 8:35 [ shalom ]

顔アイコン これは朗報です。
マスクだけでも、けっこう効果あるんですね。
花粉が出てきたら、自分も試してみます。
2019/2/25(月) 午後 7:31 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン それにしても、stさんはまだ続けるつもりなんですね。
それじゃあ、こちらも一度くらいは、まとまったものを書いておこうかな。
2019/2/25(月) 午後 7:40 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
>https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html

>「気に入らない意見は、無視しましょう。」

>偽キリスト教の偽善者が問題になっているのに、実に傍若無人な実践をするんですね。
>2019/2/16(土) 午前 8:08st5402jp
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40810997.html

これについては記事を読めば分かると思いますが、私の意見は、「おかしなことを押し付けてくる人に対しては、距離をおくとか、逃げた方がいいこともあるよ」ということです。
関連する箇所をコピペすればこうなる。上はアドラー心理学サロンのツイートで、下は私の感想です。↓
2019/2/26(火) 午前 5:48 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >>気に入らない意見は、無視しましょう。
人の意見を変えさせようとするのは、無意味です。
他人の考えを変えられる人間は、この世に存在しません。
他人の意見がどうも納得いかないのなら、その人と距離を取るしかありません。
他人の課題に介入できないと割り切って、自分のことに集中しましょう。
https://twitter.com/adler_salon/status/1051230439216562177

>一応は、どんな意見も聞いておいた方がいいのではないかという気はするが、やたらと難癖をつけてきくるとか、的外れ、嫌味、嘲笑、中傷…というものは無視するのが正解だろうとは思う。
どうしてもウマが合わず、相性が悪い相手とは、距離を取るしかないというのもよく分かる。
間違っていることをしている人に対しては、きちんと意見してあげるのが親切だという考え方もあるけれども、その者が子供ならともかく、大人であれば、一、二度意見すれば十分だろう。その後どうするかは本人の課題。
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
2019/2/26(火) 午前 5:50 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 私の意見は要約すれば、「どんな意見にもきちんと耳を傾けるべきだろうけど、あんまりおかしい意見はスルーしてもいいだろう」ということ。
アドラー心理学サロンさんのツイートに関しては、この方はもともと激しい言葉を使うことが多いようだし、一行目なので意図的に極論を述べたのだろうと想像します。
こういうことは、記事を読めばすぐ分かることだけども、stさんはなぜか、私の主張は「気に入らない意見は、無視しましょう」というものだと吹聴している。
こういうのはやめてほしいです。
2019/2/26(火) 午前 5:52 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン あと、アドラー教の信者とか何とか書いてたりするけど、記事を読めばわかる通り、私の考えはある程度の距離を保つのがよいということです。信者にはなるなということ。
いつぞやは、私とshalomさんが軽い挨拶を交わしていたら、stさんが「二人は親友ですか」と聞いてきたことがあったと思う。随分と素っ頓狂なことを言う人だと思ったけど、どうも空気を読むとか、距離を測るとかは苦手な方のようだし、ここは気をつけてほしいです。

>以上、アドラー心理学サロンさんのツイートをみてると、あまりに直截的で、みもふたもないなあと感じることがないでもない。
でも一面の真理を語っているようだし、自分を大切にするのには有用な考え方であると思う。あまりどっぷりハマり込むのは問題だろうけれども、参考意見として読む分にはよさそうである。〈了〉
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
2019/2/26(火) 午前 5:53 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 余談ですが、最近は、志茂田景樹のツイートがおもしろく思ってます。

・志茂田景樹
https://twitter.com/kagekineko/
2019/2/26(火) 午前 5:54 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html

これは放蕩息子の話とのことですが、この部分を読むと、先にゆるしがあるのではないでしょうか。
2019/2/26(火) 午前 5:54 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 上の文章は、整理するとこうなるでしょう。
・子は父に謝ろうと決意する。
・父は子の姿を遠くに見た瞬間、走り寄り抱きしめる。
・子は父に悔い改めの言葉を述べる。(父は子から悔い改めの言葉を聞く)

こうしてみると、父は、子の悔い改めを聞くより先に、その姿が遠くに見えた時点で、すでにゆるしているようです。
父は、子の悔い改めを知るより先に、ゆるしてる。

子の視点からすれば、悔い改めのあとにゆるしを得たように思えるかもしれないけど、
父の視点からすれば、ゆるしが先だったということ。

ではいつゆるしたかと言えば、話の最後に「いなくなっていたのに見つかったのだ」と父が言って喜んでいることからすれば、子がいなくなったときにはすでに、ゆるし、その身を案じていたのかもしれません。

父が子をいつゆるしたかは明文ではないようだし、この辺りの議論はなかなか決着はつかなそうだけど、私はこのように想像します。
2019/2/26(火) 午前 5:58 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >15:7よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
>15:10よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。

この部分だけを読むと、天は、悔い改めをよろこぶようです。悔い改めによってゆるすではなく、よろこぶとしている。
これは、ゆるしは悔い改めより先行していたことを示しているのではないでしょうか。

「天は人をゆるし、その悔い改めを待つ→人が悔い改める→天はようやく気づいてくれたとよろこぶ」という流れ。

人は悔い改めによってゆるされるというよりは、悔い改めによってゆるしに気付けるという一面もあるかもしれません。
2019/2/26(火) 午前 6:00 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >決して、何もわからないまま、赦しを先に与えて何でも好きにさせる、などということではありません。これらの人は、シャロームや楽山の自分勝手とは全然違うのです。

私の意見は、そうではなくて、こうです。
・『ゆるしが先で、改心があと』という考え方がある
・これはそれほど特異な考え方ではなく、これをもってカルトとはいえない
・『ゆるしが先で、改心があと』と信じなければならないとは思わないが、そういう考え方があることは認めるべきだし、それをもってカルトとはいえないだろうということ。

stさんは、人の心を悪く想像し、その意見を歪曲して非難するということを繰り返してます。気をつけてください。
2019/2/26(火) 午前 6:02 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >神について、もし、赦しが先という表現が成り立つとすれば、それは、総てをご存知の神が、赦したのではなく、全知全能の神として、人が罪を犯すことを既にご存知であり、人の悔い改めよりも先に寛容な赦しの御心を持って、悔い改めを待っておられる、という意味でしか考えられません。決して、神が、前もって罪を許可して、好きなようにしてよい、ということはないのです。

ゆるしが先ということについては、私としては、これだけで了解してもらえれば十分です。
ゆるしが先という意見があり、それにも一理あることを了解してもらえれば、賛成、共感、支持までは求めてませんので。
2019/2/26(火) 午前 6:03 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 少し話は変わるけど、放蕩息子の話を解釈するには、仏教の長者窮子の知っておいて損はないと思います。
これを読めば、神仏の慈悲や、ゆるしが先という考え方をより理解できると思います。

・放蕩息子(新訳聖書)は長者窮子(法華経)のコピ-か?
https://blog.goo.ne.jp/niohin/e/295c57b11a7d9cfb69aced5fcc2706ee
・長者窮子の譬え
http://www8.plala.or.jp/kanjizai/M26.html
http://www8.plala.or.jp/kanjizai/M27.html
2019/2/26(火) 午前 6:04 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >こうして自分のことを言って、柔和に対処しているつもりの保身です。

>答えられず、読まない、しない、流される、主張しない、我慢、と
自身が謙譲することによって、傷つけなかった、傷つかなかったと、
楽山は、アドラー教に照らして、気が済むのでしょう。

>権利主張したり、戻っちゃった、反省、などと書いて、
楽山は、手をデスクか何かについて、寄りかかり傾いて、
反省したのでしょうか。いつぞやのテレビの、猿のように。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html

また、stさんは他人の内面を悪く想像し、決めつけ、貶めてる。これは悪い癖です。
2019/2/26(火) 午前 6:04 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >ゆるゆると、遠回しに、他者の言葉を借りて、人を侮辱してきた楽山です。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html

人を猿よばわりしつつ、こういうことを書くのはよくないです。
それに先日は、私の名前を、不自由さんとか、安楽山とか変な呼び方をしてバカにしてた。
こうしてみると、人を侮辱するというのは、自分の姿を他に見てるだけのような気がします。

ちなみに、ヨシュアさんはエグゼルさんの名前を変にしたり、猿よばわりしてた。この点、stさんとヨシュアさんは同じです。
2019/2/26(火) 午前 6:05 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >シャロームは、相手が低く出てくれば、さらに、さらに、舞い上がります。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20102535.html

これも、shalomさんというより、stさんご本人のことと思います。
shalomさんはどこでも誰に対しても、大体同じ態度です。

でも、stさんは大分ちがう。
たとえば、stさんは、shalomさんがコメントすると、楽山ブログや、よなたんさんとこには突撃してた。でも論客の易坊さんとこには行かない。

楽山ブログのコメント欄では、私が黙ってると傍若無人に振る舞い、私が意見するとピタリと来なくなった。

あと、私の文章に、st批判と受け取れるものがあれば噛みついてくるけど、マリアさんがst批判らしい記事をいくつだしてもスルー。マリアさんは反論する人だし、その背後には天敵のヨシュアさんが控えてるからでしょうか。

こうしてみると、相手が下手に出ると増長するのは、stさんの方かと…。
2019/2/26(火) 午前 6:11 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >楽山は、コメントでシャロームを援護したのち、直接、反論することをせず、ゆえに、黙っているかと思えば、ツイッターで、遠藤周作の文章から、善魔、という言葉を載せて当てつけ、さらに、他者の本から、赦しが先で改心があと、と書いてある文章を、よく吟味もせずに載せて当てつける、という卑怯な方法で対抗してきました。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html

ツイッターでは、趣味の他は、HS批判を呟いてます。善魔もその流れであり、HSを念頭においてリツイートしてたかと…。
また、自分の発言の根拠を示すために、その書籍の該当ページを貼るのは当然のことかと思います。それを当てつけと言われても困ります。
2019/2/26(火) 午前 6:12 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 言い難いことですが、HSとstさんには重なるところがあります。
だから、HS批判をすると、st批判に受け取られかねないこともある。

人それぞれの記事でいえばこうなるし、
「カルトや毒親の過干渉はスルーしてよい」
「stさんの過干渉はスルーしてよい」

善魔でいえばこうなる。
「HSは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
「stさんは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」

この辺りについては、私の目的はあくまでHS批判にあることを理解してほしいと思います。とりあえずは、stさんを名指ししてない限りは、HSを念頭において書いてると思っていただければ幸いです。
2019/2/26(火) 午前 6:16 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン というか、私にとって、stさんはあんまり批判対象にはなりません。
数万、数十万の信者がいるとされるカルト教団ならともかく、信者も、取り巻きもいないstさんを、批判しても仕方ないです。
stさんはいろいろ書いてるけど、読者は賢明なので賢明な判断をするでしょう。

それに私にとって、stさんはもとから議論の対象から外れます。私はこの記事にある基準から外れる相手とは、議論する気にはなれないので。

・議論の作法 (なぜ議論は難しいのだろう?)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41325846.html
2019/2/26(火) 午前 6:17 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン ちなみに、上と同じことを、shalomさんで試すとこうなります。

「カルトや毒親の過干渉はスルーしてよい」
「shalomさんの過干渉はスルーしてよい」

「HSは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」
「shalomさんは、自分の正義を押し付けてくる善魔だ」

なんか、いまいち重ならないですね。
この点については、HSとshalomさんは別ものですね。
2019/2/26(火) 午前 6:19 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >シャロームshalomと楽山を、上から命令を下す硬派カルトに対して、刷り込みや印象操作を手段とする軟派カルトと呼んだのは正解だったようです。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html

印象操作といえば、stさんがいつもやっていることかと思います。
相手の意見を、変に捻じ曲げて、さも変なことを言っているかのように吹聴するというやり方。
2019/2/26(火) 午前 6:20 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >二人は、無視することによって邪魔なものを排して楽をしているために、洞察力や、文献の理路を検討する努力や、多面的に検討する思慮と、さらに、真実への深い共感性も欠けていることが、言説に表れています。
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20101472.html

私としてはstさんとの対話は難しいと判断しています。誤読、曲解、思い込みが激しくて、事実に基づいた対話は無理と…。
口出しするな(黙れ)と言ったり、無視するな(しゃべろ)と言ったり、発言がコロコロ変わるところも、対話不可能と判断する理由でもあります。

さらには、こういうことは他の人も気づいていることだろうと想像してます。
なので、私からいちいちstさんを批判することもなかろうし、スルーするということになります。

思うに、stさんは自分から狭い方に進んでます。孤立する方に進んでます。ほぼ無抵抗のshalomさんの内面を悪く想像して、悪く言うのは止めて、仲直りした方がいいです。こういうことは恐らくは他の人も勧めてきたのだろうけど、私もお勧めします。
2019/2/26(火) 午前 6:40 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン ところで今、HS界隈は大騒ぎの最中です。私もHS批判する機会は増えるかと思いますが、stさんにはそれを自分に対する当てつけだと勘違いして怒らないでほしいと思います。再度お願いしておきます。

・大川隆法長男が語る「『幸福の科学』決別の理由は清水富美加との“結婚強制”」
http://bunshun.jp/articles/-/10791
・「神託結婚」― 異常性の発現
http://algorabarchives.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

・「清水富美加との結婚強制」はまったくの嘘 大川総裁が宏洋氏と週刊文春の間違いを指摘
https://the-liberty.com/article.php?item_id=15452
・「週刊文春」(2019年2月28日号)インタビュー記事 「大川宏洋氏の虚言・誹謗中傷」に反論する
https://happy-science.jp/news/public/6702/
2019/2/26(火) 午前 6:50 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 長いメールありがとうございました。

悔い改めの後先については書いておられることでいいと思います。最初にアダムとエバが罪を犯したとき、私たちが今もよくしているように、二人はすぐ枯れてしまう木の葉で身を隠しますが、神は毛皮の衣(罪のあがないと赦しのために流される血)によって覆ってくださり、さらにカインが荒野へ放浪の旅立ちをするとき、だれでも私を見つける者がわたしを殺すと恐れ、私の罰は重くて負いきれませんと呻き苦しんでいる時、神はカインの額にある印をつけてカインを守ることを約束しておられます。その印もまた毛皮と同じく、イエスさまの十字架を指示していますし、新約聖書においては神によって与えられた義の衣と記されています。
2019/2/26(火) 午前 10:09 [ shalom ]

顔アイコン 古今東西すべての人が神の赦しと愛のなかに生かされているのです。しかし、そのことは信仰によって受け容れることによってはじめて、人の現実となるのです。受け容れないとしても神の赦しと愛のなかに生かされていることに変わりはありませんが。

「今、HS界隈は大騒ぎの最中です」

そうのようですね。
「・大川隆法長男が語る「『幸福の科学』決別の理由は清水富美加との“結婚強制”」」という記事が
私は読んでいませんが、有料記事が掲載されていましたね。

「私としてはstさんとの対話は難しいと判断しています。誤読、曲解、思い込みが激しくて、事実に基づいた対話は無理と…。
口出しするな(黙れ)と言ったり、無視するな(しゃべろ)と言ったり、発言がコロコロ変わるところも、対話不可能と判断する理由でもあります。
2019/2/26(火) 午前 10:09 [ shalom ]

顔アイコン さらには、こういうことは他の人も気づいていることだろうと想像してます。
なので、私からいちいちstさんを批判することもなかろうし、スルーするということになります。

思うに、stさんは自分から狭い方に進んでます。孤立する方に進んでます。ほぼ無抵抗のshalomさんの内面を悪く想像して、悪く言うのは止めて、仲直りした方がいいです。こういうことは恐らくは他の人も勧めてきたのだろうけど、私もお勧めします。」

きのうメールした後にstさんの記事を読み、stさんの私と自由さんに対する批判コメント読みました。
stさんとの対話が無理なように、きっと仲直りも難しいと思います。仲直りを望まれて断る理由はありませんが、stさんの病的体質が変わることは難しいでしょうから、関わることはないと思います。
shalom!
2019/2/26(火) 午前 10:10 [ shalom ]

顔アイコン 関わることはないと…そうですか。それも仕方ないですね。余計なこと言ってしまったようで失礼しました。
2019/2/26(火) 午後 8:57 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン ゆるしについては、マリアさんが記事を書いてたので貼っといてみる。

・摂理では赦しが先に用意されているけど、
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43246392.html
・なんであれ、神様の言うとおり、。
https://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/43246696.html
2019/2/26(火) 午後 9:00 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン ゆるしにもいろいろありそう。

・悔い改めによってゆるされる。
・神は全能であり、罪びとを消滅させることもできる。でも慈悲によって、その存在をゆるし、悔い改めを待っておられる。
2019/2/26(火) 午後 9:15 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 「関わることはないと…そうですか。それも仕方ないですね。余計なこと言ってしまったようで失礼しました。」

少しも余計なことではありません。
とても大事なことです。でも私たちは神に赦され、愛されていることを頭で知っても、心に届かない現実があります。そのために人を赦し愛することができないことも事実なのです。その力が自分自身のうちにないのです。それでは神様からどんなに赦され愛されていると信じても無意味な虚しいことでしかないではありませんかと思うのも当然です。ですから信仰をもつと互いに赦し合い、愛し合おうと努力をするのです。
2019/2/26(火) 午後 11:29 [ shalom ]

顔アイコン しかし、疲れてしまうのです。そして疲れると、自分は神に赦され愛されていると信じていると言いながら、人を赦し愛し、ありのままで受け容れ仲直りをすることもできない、私の信仰は偽りだ。あの人の信仰は偽りだと自分を裁き、互いに裁きあうようになってしまい、その結果、信仰を失ってしまことが多いのです。
何が問題かというと、神との和解、仲直りは信じて、神さまはこんな私をありのままで赦し愛しておられると信じながらも、自分自身との和解、仲直りができないと、神さまの赦しと愛が他の人へと流れることができないのです。なぜ神さまの赦しと愛を信じているのに、他の人を赦し愛することができないかの理由は自分を赦し愛し、自分をありのままで受け容れることができないからのようです。自分で自分を赦し愛し、受け容れるなんておかしいと思われるかもしれませんが、自他未分化状態ではこの気づきがとても難しいのです。それが例えば、投影というような様々な自己防衛機制となって表れるのです。このことに気づくのはそう簡単なことではないようです。
2019/2/26(火) 午後 11:30 [ shalom ]

顔アイコン ですから人と人との和解、仲直りは人が作り出すことではなく、神の御業なのです。神のみわざが私たち間で和解、仲直りを生み出すのは、初めに神との和解に始まり、その次に神を信じた人とその人自身との関係が和解し、仲直りする必要があるのです。
そうして初めて神の赦しと愛が信じる人をとおして他の人に流れていくのです。とても回りくどい言葉を羅列していますが、
このことが分からないために、多くのクリスチャンの人が信仰生活に疲れて信仰を失ったり、教会に混乱、分裂が起こったり、異端に走ったり、挫折し、教会から離れてしまわれるのです。
私もその一人で、そのことが分からず随分回り道をし、自分だけではなく、多くの人を傷つけました。そのことを気付いた今でも他人事ではないのです。なぜ自分のことで悩んだり、他の人との関係で悩んだりするのか、その原因は他の人にあるのではなく、自分自身と和解できないことに原因があることが多いようです。それを私たちは自分に向けたり、他の人に向けてしまうことで苦しんでいるのです。
2019/2/26(火) 午後 11:31 [ shalom ]

顔アイコン 私たちの心のからくりを解きほぐし、自由にしてくださるのは神の赦しと愛による他できないことだと痛感させられます。
私が
「stさんとの対話が無理なように、きっと仲直りも難しいと思います。仲直りを望まれて断る理由はありませんが、stさんの病的体質が変わることは難しいでしょうから、関わることはないと思います。」と書いたのはstさんと自由さんに謝罪し、撤回し、削除すべきだと思います。
stさんの病的体質が変わることは難しいと書きましたが、それはstさんだけではなく、私自身のうちにもあることです。それは私と他の人との和解、仲直りを妨げている障害は私という自分と自分自身との和解、仲直りができていないことにあり、自分との和解を妨げている病的体質の気づきの難しさだということです。
このことを抜きにして私たちがどんなに仲直りをしようとしてもそれは出来ないと思うのです。
私の思いをつたない言葉と文字で書きあらわすのは難しいのですが、少しでも伝えることができればうれしいです。
2019/2/27(水) 午前 7:51 [ shalom ]

顔アイコン おはようございます。

「日本教の社会学」の一章をまだ読み終わってはいませんが、
日本教の問題点について触れられ、嫌な言葉ですが、「日本人にはわからない」と繰り返されていることを不快に感じながらお気づきだと思います。私が書いていることが日本教、日本教キリスト派の核心だと思いますがどうでしょうか。私もまた日本教キリスト派のひとりにほかなりません。そこから解放し、自由を与え、名実ともにイエスキリストにある神の子としてくださり、その完成に向かって助け、導いておられる方がイエス様であることを信じていますが、私たちのこの世における人生はその旅路の道程だと思います。
2019/2/27(水) 午前 8:44 [ shalom ]

顔アイコン 5:13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
5:15 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
(新約・ガラテヤ人への手紙5章13~17節)
2019/2/27(水) 午前 8:44 [ shalom ]

顔アイコン 5:23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
5:24 あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
(新約・第一テサロニケ人への手紙5章23,24節)
2019/2/27(水) 午前 8:45 [ shalom ]

顔アイコン こんばんは。
難しい文章ですけど、ありのままの自分を受け入れることが、他と良好な関係を築くことにつながるというのは分かる気はします。
思い返してみれば、自分の場合も、ありのままの自分を受け入れるに従って、喧々諤々の議論をすることもなくなってきたと思うので。
2019/2/27(水) 午後 7:52 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン >削除すべきだと思います。

すいません。確認ですけど、「2019/2/26(火) 午前 10:10」の削除依頼と受け止めましたけど、それでよろしいでしょうか。
2019/2/27(水) 午後 7:53 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 楽山(自由)さん こんばんは

「2019/2/26(火) 午前 10:10」の最後の私のstさんとの関わりについてのコメントは間違いであることを謝罪と撤回をしたうえで、そのあと私の考えを書きましたので削除せずにそのまま残してもいいのかなと思っています。

私はだれとの関わりについても言えますが、連れ合いや家族関係も含めて自他未分化を前提としたような関わりに対しては程良い間を取り、互いに自立したありのままのひとりの人として尊重し合い、基本的には不即不離でありたいと考えています。

shalom!
2019/2/27(水) 午後 9:48 [ shalom ]

顔アイコン > shalomさん

了解しました!
では、コメントは削除せず、そのままにします。


「人間関係 距離感」については、検索したら、こんなのが出てきました。

・人間関係でちょうどいい距離感を保つには、自分のクセに気づくこと
https://sararitositamainiti.com/how-distance/
・親しい人間関係の適度な距離感…友だち・親友・恋人も
https://allabout.co.jp/gm/gc/371259/
2019/2/28(木) 午前 6:53 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 自他未分化では、ずいぶん前に聞いたジョークを思い出してしまった。


A「自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけない。自分がされて嬉しいことは他人にもしてあげなさい」

B「そんなこと言ったって、相手も自分と同じ趣味とは限らないじゃん」
2019/2/28(木) 午前 6:55 [ 楽山 (自由) ]

顔アイコン 面と向かって、直接言わず、こんなところに書いているのは、言いがかりに過ぎない証拠。息子への断ちがたい愛と、ゆるす行為を、混同している。こういうことで、悔い改めないシャロームが何をやっても赦されるという妄想に同調したから、楽山は、汚い人として、シャロームの仲間として、批判対象となった。今も、これも、汚いと思う。
2019/7/25(木) 午前 3:46 st5402jp

顔アイコン 父は、愛ある人のようだが、楽山は、それに乗じて、殺しても、それより先に赦していると、赦しというものをシャロームの都合に合わせている。楽山は、人間の気持ちが、まるで分らない人。ゆえに、この話が聖書に乗っているということに思いが至らない人。それは、丁寧なだけの深みのない話として、随所に表れてきた。
2019/7/25(木) 午前 3:47 st5402jp

顔アイコン どこまでも、心を思わず、言葉面を追うだけで、主張する楽山。
父は神のたとえ、子は私たちのたとえ、楽山は、シャロームが父を殺してゆくのに、味方をしているようなもの。言い逃れしかできない者。案じている愛と、赦しは別。赦しは、神事として、たとえられていることを想像できない楽山は、聖書を読んだことにならない。これからずっと黙ってほしい。
2019/7/25(木) 午前 3:47 st5402jp

顔アイコン (私)
にもかかわらず、シャロームは、罪は悔い改めなくても赦されると言って、はばからない。楽山の狂言は、心が無いので、それになびく。
(私)
息子が、悔い改めないならば、そのことは、そのうち知られ、もし仮に父が赦せば、いかなる悪事でも赦されることになる。このことに気づかないのがシャロームと楽山の情緒と理路の腐敗である。いくら詭弁を弄しても同じだ。楽山は、難癖をつけるだけで、良識のない、思っていた以上の無知で非常識。
2019/7/25(木) 午前 3:48 st5402jp

顔アイコン (楽山)
stさんは、人の心を悪く想像し、その意見を歪曲して非難するということを繰り返してます。気をつけてください。
2019/2/26(火) 午前 6:02 [ 楽山 (自由) ]

(私)
楽山は、シャロームの心を良いほうにばかり解釈し、その良識を曲げて、かばうということを繰り返している腐った思想の持ち主。気をつけて、というより、罠に嵌らないように近づかないでください。
2019/7/25(木) 午前 3:50 st5402jp

顔アイコン (私)
いつの発言を言ったのだろう。恐らく、厳しく言ったことを言っているのだろう。楽山の、やさしい言葉で操ったり、揶揄したりするよりは、はるかにマシと思うが、やさしいだけで、気に入って従う者もいるんだろうという状況だ。
(私)
3者の成りすましを疑っているからだ。今は、Mineを加えて4者となる。おかしなことを言う。易坊は、私のブログを荒らした50~100コメ以上の張本人だ。むやみに問い詰めを繰り返すことで、もたらされる疲労は繰り返さない。あとで、易坊が来たときには、一貫して去れと言い続けた。楽山のブログにピタリと来なくなったのは、楽山が、全く中立ではなく、シャロームの味方をして、その仲間だとバレた時です。
2019/7/25(木) 午前 3:51 st5402jp