先日、本を読んでいたら、おぉっと思う言葉があったので、メモしておきたい。

家にいるとき、家族の間においては、たいてい情が礼に勝ち、恩が義をだいなしにします。 
(『近思録 -朱子学の素敵な入門書-』編集朱熹 呂祖謙、訳解福田晃一、明窓出版、平成10年、p.264)

これはなかなかに鋭い指摘だ。ただ自分の場合は、「情が礼に勝ち」というよりは、「慣れが礼に勝ち」という感じかな。または、「甘えが礼に勝ち」ということもあるかもしれない。

慣れ、または甘えによって、「このくらい、別にいいじゃん」ということになり、礼を失した言動をしてしまうというパターンである。

これはよくないことだと知りつつも、ついつい安きに流れてしまうのである。親しき間にも礼儀ありという諺があることからすると、こういうことは自分だけでなく、世間一般にもよくあることなのかなあ。

「恩が義をだいなしにします」というのも、よく分かるなあ。でもこれは、家族間よりも、先輩、上司、恩師など目上の人との関係でありがちかもしれない。

目上の人が不正を行っていたとして、それを注意するのは並大抵のことじゃない。また目上の人から、不正を行うように指示された場合、それを拒否するのは難しいことだ。これはまさに、「恩が義をだいなしにします」ということではなかろうか。

ちなみに本書には、情や恩によって、礼や義をだいなしにしないためのヒントも記されている。

ただ剛直(まっすぐ)な人だけが、(情や恩などといった)私的な愛情のために理に反するといったことがありません。ですから、『易経』にある「家人(家族)」の説明では、剛を善としているのです。
(同上、p.264)

個人的には、「剛」という字には、ごうじょっぱりというか何というか、ジャイアン的なイメージがあったのだけれど、根がどこまでも単純にできている自分は、この文を読んだらすごくよい字のような気がしてきた。

自分も剛直(まっすぐ)でありたいなあと思う。たとえ恩師であろうが何であろうが、間違ったことをしていたら、きちんと諫めることができる男になりたいものである。 〈了〉