宗教では
信仰はもちろん
無私であることも
尊ばれているようだ

でも
信仰と無私
この二つを両立させるのは
実際には難しいのではなかろうか

たとえば
熱心な信仰者が
外面的には、穏やかで、柔和であっても
その内面は、とんでもない頑固者ということは珍しくない
短気で、ちょっとしたことで、すぐ怒るということもある

一方
これとは逆に
これといった信仰は持ってないのに
我を張ることなく、こだわりのない性格の人がいる
人の和を乱すことなく、すんなり人と打ち解けることができる人もいる

こういう例を、ちょいちょい見ると
必ずしも、信仰によってエゴは克服できるわけではなさそうだ
むしろ
信仰は持たない方が、エゴは弱まり、性格も丸くなるとさえいえるかもしれない

もしかしたら
信仰を強く持つということは
“信じている私”
“私が信じている”
というように、“私”という主体を、常に意識し続けることでもあるから
信仰を持つほどに、エゴも強まってしまうのかなあ…

世の中には
あちらを立てれば、こちらが立たずということは多いけれども
どうやら、信仰と無私も、そのうちの一つのようだ。