前の記事を書いてから

神様が
人を救おうとするとき
いちいち条件なんかつけないのではないか
と感じる理由について、いろいろ考えてみたけれど
これは結局、幼児体験が影響しているのかなあと思う

思い返してみれば
自分が小さかった頃
親の愛情を疑ったことはなかった気がする
それを得るために何かしなければならない
というプレッシャーを感じたことはなかった…

多分、この辺りのことが
神様は無条件で、人を愛し、救うだろう
ということをリアルに感じる理由になってそうである

そういえば
かつて自分が共感した宗教の教えも
神は、人を裁かないというものだった
具体的に書けば、こんな感じである

神は、無償の愛を体現している
すべての人を愛している
ゆえに人を裁いて、地獄に堕としたりはしない
罪人は、神に裁かれずとも
自らすすんで、罪を償うために地獄を選ぶのだ
濁り水を置いておくと
重いものは下に、軽いものは上に分かれるように
地獄的な人は下に、天国的な人は上に、自然に分かれるのだ…云々

神のイメージは
人それぞれ違うのだろうけど
自分の抱いている神のイメージは
以上のような理由から
裁く神というよりは
赦す神という感じなのかなあと思う。



◇◆ 追記 ◆◇

臨死体験の話によると

臨死体験の中で
光の存在と
会うことがあるという

この光の存在は
圧倒的な愛に満ち溢れていて
臨死体験者のすべてを受け入れ
心からの安らぎを感じさせてくれるという

これは
自分の神のイメージと
けっこう重なるところがあるように思う。