前記事のつづきだけど
『残穢』には、次のようなことも書いてあった

つまりは、虚妄、なのだと思う。
「虚妄」とは仏教用語で、真実の対語だ。真実とは異なること、迷いから起こる現象をいう。「虚妄見」といえば誤って本当でないものを本当だと思い込むことだし、「虚妄対相」といえば、煩悩や先入観に囚われた目により、本来存在しないのに存在すると思い込んでしまった状態や姿をいう。 
 (『残穢』〈新潮文庫〉小野不由美、新潮社、平成27年、pp.46-47)

これは小説の主人公の思惟だけども
怪奇現象なるものは
錯覚にすぎないということらしい
たしかに、そういうもんかもしれないなあと思う

そもそも
人の認識能力は
かなり、不確かなものだ

たとえば
騙し絵というものがあるけど、その手のものを見れば
人の目の頼りなさはよくわかる

人は
目に見えるものでさえ、見間違うのであり
目に見えないもの…霊など…を、見間違わないわけがないのだ

そうであれば
「怪奇現象を体験した!」
「霊を見た!」
というのは
大方は、虚妄だろうと判断しても、まちがいはなさそうではある

「怪奇現象や、霊の存在を否定することこそ、虚妄だ」
と言えば言えなくもないけど
それらが存在することを証明できてない現状では
そんなのはただの屁理屈にすぎないとみなされても仕方がない

ただ
怪奇現象や幽霊は、虚妄に過ぎないとしても
それをリアルに感じたり
恐怖におののくことがあるのは事実ではあるから、ややこしい

この点
心の平安を得るための
お守り
お祓い
などは、とても大切なものになってくる
宗教の役割は、この辺りにあるかなあと思う。