人は
見たいものを見
見たくないものは見ないという

また人は
信じたいものを信じ
信じたくないものは信じないという

こうしてみると
人という生き物は
どうしたって、偏見からは逃れられないのかもしれない

理屈としては
見たい、見たくない
信じたい、信じたくない
というような願望から離れれば
客観的に観察、評価できそうではある

でも、これを実践するのは
神様か、お釈迦様でもなければ無理っぽい

そうであれば
人が偏見を最小限に抑えるには
まずは
自分には偏見があるということを認めることが大事なのかなあと思う。