「不合理なれども、我信ず!」

以前は
この言葉は、けっこうすきだった
言葉に勢いがあって、響きもいい

でも近頃は
ちょっと疑問に思うことがないでもない

というのも
理性で分からないものや
理性を超えたものについて
あえて、信じることを選ぶというのはよいとして
理性ではっきりバツ判定できるものについてまでも信じるというのは
信仰とはちょっと違うのではないかという気がするのである

「不合理なれども、我信ず」という言葉の真意はよく分からないが
理性を超えたものを信じるというのならまだしも
理性によって明確に否定されるものを信じるというのであれば
それはあまり立派な考え方ではないなあと思う。