前記事では、人は変わらない時は変わらないが、変わる時はガラリと変わると書いた。

では、なぜそうなるかといえば、そこには自然の意思が関わっているのかなあと思う。人の心は、本人の意思に従うというよりは、もっと別の働きに従っているのであって、強いて言えばそれは自然ということなのだろう。

以前、聖書で、神は彼の心を頑なにしたというような記述があって奇妙に感じたことがあったけど、ひょっとしたら聖書の作者は、人の心には、本人の努力でも、周囲の説得によってもどうにもできない部分があることを知っており、それを神の御業であるとしたのかなあと思う。

まあ実際のところは分からないが、人が変わることについては、人の意思とは別の要素が多分に関わってそうなのは確かであるし、それこそが自然だとか、神だとか言われるものなのだろう。

そうであれば人が自分で自分のすべてをコントロールしようとすることは、ある意味、自然や神に抗うことでもあり、徒労に終わることは目に見えている。それならいたずらにこれに抗おうとするよりは、何とか折り合いをつけて行くのが賢明だということになる。

自分を変えようと頑張ることは尊いことであるし、全否定されるべきことではないけれど、以上のような考え方から行けば、自分にしろ、他人にしろ、人の在り方については無理に変えようとするのでなく、まずは神を信頼し、任せるという行き方もアリではないかと思う。〈了〉