先日、とある議論を拝見していて、批判のあり方についていろいろと考える機会があったのだけれども、これは本当に難しいなあと思う。
 
まず悪口や誹謗中傷はよくなくて、正当な批判は認められるべきだというのは正論だとは思う。でも実際問題としては、両者の区別はけっこう難しい。
 
たとえば、一つの批判について、「誹謗中傷だ!」「いや、正当な批判だ!」と議論になることは少なくない。
 
またいくらか情緒的な話ではあるが、「正当な批判だからと言って、人の心を傷付けてもいいのか?」という疑問もある。
 
正当な批判は、全体の利益からすれば、ぜひとも必要なことではある。でもそれによって心を傷付けられる人がいるとしたら気の毒なことである。
 
でもだからといって、人の心を傷付けないために、正当な批判は控えなければならないとしたら、これも困りものである。
 
この辺りは、バランスを取るのは難しく、本当にややこしい。ここは万人が賛成できる結論はなかなか出そうにない…とほほ。〈了〉



*コメント欄のコピペ
(yahoo!ブログからの移行時に、最新20コメより前のコメは移行されなかったので、その部分も含めてコピペ)


コメント(132)
自由さん おはよう御座います^^

本当に仰る通りだと存じます(⌒-⌒; )

あちらを立てればこちらが立たず?

静観して日和見になってしまいます(-_-;)

最後に動く力は何なんでしょう?

人生一生勉強です( ̄▽ ̄;)💧

有り難う御座いました!\(^o^)/

感謝合掌🙏☺✨
2018/10/7(日) 午前 6:40[ ◯ ]返信する

顔アイコン◯さん、おはようございます!

>あちらを立てればこちらが立たず?

ほんと、これです。
なかなかに難しい。
2018/10/7(日) 午前 8:09[ 楽山 (自由) ]返信する

トラウマと学習は表裏です。

相手のレベルに合わせるのが正しいやり方です。
2018/10/8(月) 午前 1:29[ 易坊 ]返信する

あなたが立てたいのはstさんです。

具体的に指摘してほしいですか?
2018/10/8(月) 午前 1:41[ 易坊 ]返信する

あなたはコメントの投稿を承認制に変更しました。

一方シャロームさんはコメント欄ソノモノを閉鎖しました。

またある人はstさんの執拗なコメントによってブログそのものを削除してしまったそうです。

ものには程度があります。

行きすぎた正義は、悪と同じなんです。

テロリストや原理主義の正義と同じです。

あなたはフェアに徹しきれていません。
不十分といえます。
2018/10/8(月) 午前 3:43[ 易坊 ]返信する

顔アイコン> 易坊さん

自由さんのジャベール体験による心情的なアンビバレントではないでしょうか。
行きすぎた正義、過保護、過干渉などの“~~過ぎる、過ぎる~~”は防衛機制の反動形成のようですね。
2018/10/8(月) 午前 10:14[ shalom ]返信する

自由さん。
こんにちは(^.^)

本当に考え方も感じ方も人それぞれで難しいですよね。。。
お互いの気持ちを理解するのには
創造性や説明力や理解力などの努力が必要なのかなと感じます。

人も自分も考え方感じ方は人それぞれでその人の自身の自由を尊重したいと思いますが
心ならずも自分が気づかない内に人の心を傷つけてしまうこともあり
個人的にはたとえどんな理由があっても故意に傷つけていい理由にはならないと感じているので

小さな擦れ違いのうちに
お互いの気持ちの擦り合わせや
軌道修正できるお
互いの気持ちを聴けるコミュニケーションが大切ではないかと自分に言い聞かせたて思っています。

自由さんは
人のお気持ちを広く俯瞰的に見ていらっしゃる気がして
謙虚な優しさが伝わって来ます☆
至らない私も見習いたいです(^.^)
2018/10/8(月) 午後 3:00[ - ]返信する

顔アイコン>うさぎさん

やさしいコメント、ありがとうございます。
うさぎさんの言葉は、温もりがあっていいですね。
自分の方はといえば、褒めてもらってうれしいですけど、まだまだ未熟者ですよ。

コミュニケーションについては、ドラマ「結婚できない男」の名台詞を思い出します。
「ドッジボールではなくて、キャッチボールがしたい」という台詞。
ドッジボールのようにボールを当てて終わり、皮肉や批判を言って終わりではなく、
ちゃんと相手が受け止められるボールを投げるようにしたいと…。
うさぎさんのコメントを読んで、ふとそんなことを思い出しました。
2018/10/8(月) 午後 5:06[ 楽山 (自由) ]返信する

ジャベール体験てなんですか?
2018/10/8(月) 午後 6:01[ 易坊 ]返信する

顔アイコン> 易坊さん

自由さんのブログ記事一覧のカルト体験のなかに書いておられます。
2018/10/8(月) 午後 7:57[ shalom ]返信する

読みました。
自由さんはアンビバレントから一段階上のゲシュタルトを構築できればいいと思います。いつもアンビバレントのまま記事が終わっています。

ブログは一対一の対話ではなく、その他の読者にも宛てた言葉になります。キャッチボールがしたければ非公開で二人きりでやり取りしたらいいことです。
2018/10/9(火) 午前 0:06[ 易坊 ]返信する

顔アイコン易坊は、人に意見できるような人ではありません。易坊は、シャロームの味方として、私のブログを荒らしました。
シャロームが批判されるのは、彼がそれだけのことをしたからです。
易坊を荒らしと言うのも、あなたがそれだけのことをしたからです。
一生忘れることはないのです。恨みと言うより、再び繰り返されることのないように言っているのです。
ここを荒らすつもりならば、退場して二度と来ないでください。
2018/10/9(火) 午前 4:20st5402jp返信する

顔アイコン>
キャッチボールがしたければ非公開で二人きりでやり取りしたらいいことです。


これこそ、余計なお世話です。公開を望むから、公開しているのです。
そういうことを言うなら、あなたこそ、コメント書かずに、独り言を一生言ってればよいのです。
2018/10/9(火) 午前 4:23st5402jp返信する

顔アイコン易坊あなたが、シャロームに、アンビバレントという言葉を教えたのですか。
シャロームは、神はアンビバレントな御方だから、と讃美した気でいました。アンビバレントと全能は違います。シャロムに呆れて、神様って、病気が葛藤なの、・・と思いました。
あなたは、人のゲシュタルトを下げる人のようです。
2018/10/9(火) 午前 4:32st5402jp返信する

顔アイコン荒らしの質問に答える必要はありません。
荒らしの問いかけに答えれば、蟻地獄に嵌ります。
蟻地獄、それが、易坊のゲシュタルトでしょう。
2018/10/9(火) 午前 4:38st5402jp返信する

顔アイコン> shalomさん

とうとう軍団を為してきたのか。偽善者と荒らし。
2018/10/9(火) 午前 6:06st5402jp返信する

顔アイコン易坊とシャロームの連携が明らかになっています。
2018/10/9(火) 午前 6:09st5402jp返信する

顔アイコンまた、長い記事になりそうな予感。
2018/10/9(火) 午前 6:18st5402jp返信する

顔アイコン> 易坊さん

ゲシュタルトとは統合という意味でいいのでしょうか。
2018/10/9(火) 午前 6:29[ shalom ]返信する

顔アイコン> 自由さん

私が「ジャベール体験による心情的なアンビバレント」と言ったのは、
自由さんの次の言葉に感じたことですが、それでいいでしょうか。
「批判と人の心を傷つける誹謗、中傷という人格攻撃の区別は実際問題としては、両者の区別はけっこう難しい。」・・・
「この辺りは、バランスを取るのは難しく、本当にややこしい。ここは万人が賛成できる結論はなかなか出そうにない…とほほ。」
2018/10/9(火) 午前 6:51[ shalom ]返信する

顔アイコン> st5402jpさん

「ここを荒らすつもりならば、退場して二度と来ないでください。」

荒らすつもりはありませんが、「ここを」とはどこですか?
stさんが「ここを退場して二度と来ないでください」と言えるところですか?
2018/10/9(火) 午前 7:03[ shalom ]返信する

顔アイコン> shalomさん

自由さんの今は、回心してカルトを脱しているので、昔とは違います。

シャロームの今は、回心することがなく、他者のあら捜しをして、自分を正しく見せかけようとしています。昔と変わらない偽善者です。
シャロームに、自由さんを、心情的アンビバレントなどと、決めつける資格は、ありません。
このように、シャロームは、どこまでも、状況と身の程を弁えないのです。
2018/10/9(火) 午前 7:35st5402jp返信する

顔アイコンシャロームあなたが、偽善が明らかになって6年たち、最近も嘘つきがばれたのに、今も、まともなふりをして書いてくるのに呆れます。

>stさんが「ここを退場して二度と来ないでください」と言えるところですか?

シャロームあなたには、いかなる言論の場にも、出て来て何かを言う資格はないと思います。
何故なら、あなたが言論するなら、あなたは言論の自由を行使することになりますが、あなたは、自由に伴う言論の責任を一切果たしてこなかったからです。

偽善者は、悔い改めて回心する気のない偽善者は、公共の場に、自由を主張する権利はないのです。あなたは、偽善者と、私は何度も書いてきたのに、あなたは、無視して、いったい、どの面を下げて来るのか。
2018/10/9(火) 午前 7:42st5402jp返信する

顔アイコン易坊についてならば、コメントに書いたとおりです。
荒らしは、ネットの公共の敵です。
2018/10/9(火) 午前 7:47st5402jp返信する

顔アイコン> shalomさん

今となっては、あなたが何を言っても、この前のように、謝罪めいたことを言っても、この前のように、嘘だったのだから、あなたの発言の信頼度はゼロです。知らない人が騙されていたら、ネットで分かる範囲なら私があなたのことを伝えます。

あなたは今、といっても私にとっては昔から、狼と少年、の状況です。

ですから、たとえ、悔い改める気になっても、どこか遠くの、よそでやってください。と書いても、また、嘘を吐いて、結局、悔い改める機会をことごとく失ってゆくのでしょうか。

ホントに、あなたが、コメントを書いて来れる精神が信じられないことです。
2018/10/9(火) 午前 7:57st5402jp返信する

顔アイコンそうだ、シャロームあなたは、過去に私が記事に書いた批判の対象となる記事の多くを削除するか、書き換えていますね。久しぶりに私の過去記事のリンクをクリックして分かりました。どこまで汚いのでしょう。隠蔽魔、どこかの政治家のようだ。
2018/10/9(火) 午前 8:07st5402jp返信する

顔アイコン> st5402jpさん
荒らすつもりはありませんが、「ここを」とはどこですか?
stさんが「ここを退場して二度と来ないでください」と言えるところですか?

返事は?

教祖が人を自他未分化状態の鎖で支配し、心情的網で絡めてしまうのがカルトです。
自由さんは永いカルトによるその心情的束縛から、自由になろうとしているのですが、あなたのようなカルト批判のような心情的共感を強調する言葉に心惹かれるのはまだカルトのしこりがあるからでしょう。あちら立てれば、こちら立たずの状態なのだと感じています。
自由さんすみません。
私もカルトに長い間苦しんでいた人を知っていますので。
私の勝手な推測でものを言っていますが…
2018/10/9(火) 午前 8:07[ shalom ]返信する

顔アイコンよく見なさい。根腐れシャローム。上に返事は書いている。

シャロームあなたには、いかなる言論の場にも、出て来て何かを言う資格はないと思います。
何故なら、あなたが言論するなら、あなたは言論の自由を行使することになりますが、あなたは、自由に伴う言論の責任を一切果たしてこなかったからです。

偽善者は、悔い改めて回心する気のない偽善者は、公共の場に、自由を主張する権利はないのです。あなたは、偽善者と、私は何度も書いてきたのに、あなたは、無視して、いったい、どの面を下げて来るのか。
2018/10/9(火) 午前 9:12st5402jp返信する

顔アイコンよって、こことは、全てのネットの書き込み欄です。

説教者が、自他未文化状態の根腐れで、人間の心を失い、白を切るのがカルトの断末魔です。日本語の文章、読めないのがカルトの非人間です。すべての良心を捨て去って言い逃れをするのが底まで腐っている偽善者です。100%悪意+とぼけが、シャロームという偽善者です。いなくなってください。シャロム臭、シャロム醜。
2018/10/9(火) 午前 9:23st5402jp返信する

顔アイコンやはり、シャロームと、易坊は、筆致が似ている。
2018/10/9(火) 午前 9:28st5402jp返信する

顔アイコン公共の自覚がなく、ゆえに、公徳心がなく、罪悪感を感じることがなく、反省することがなく、都合の悪いことは、とぼけておればよいという考えで、人間同士の遣り取りが出来ない。陰謀と嘘の悪臭を、自分だけが感覚できないでいる。近づく者を、次から次に病気にしてきたのだろう。ネットの病原二人がタッグを組んでいる。
2018/10/9(火) 午前 9:37st5402jp返信する

顔アイコン同一であるかのように。
2018/10/9(火) 午前 9:38st5402jp返信する

顔アイコンshalom、易坊、tensoba、こうさん、からのコメントが来た場合は、決して、真面目にレスしてはいけないと思います。
彼らの人格、つまり存在が有害であり、削除するか、未承認のままにするか、承認してもレスせずに放置するか、そして、知っているサイトには、情報を敷衍したほうがよいと思います。
2018/10/9(火) 午前 9:47st5402jp返信する

顔アイコンこういうときのシャロームを、オノマトペで表すと、

おう、おう、(これは、昔MLで実際書いていました。人を何とも思わないときの、人を食ったように笑う態度です)

ですから他には、ほう、ほう、ハハ、フフ、ププ、何を言っとる、エッヘッヘ、ヒヒ、などが思い浮かびます。失礼。
2018/10/9(火) 午前 9:55st5402jp返信する

顔アイコン> st5402jpさん

「荒らすつもりはありませんが、「ここを」とはどこですか?
stさんが「ここを退場して二度と来ないでください」と言えるところですか?」

返事がない。しない。できない。

カルトとの教祖に疑問があり質問、批判してごらん。
あなたのように「悔い改めて回心する気のない偽善者は・・・自由を主張する権利はないのです」というのです。
裁かれ救われない、地○行きとか、脅されるのです。

自由にも不自由にも○を絞められているstさん自身もカルトの被害者ではありませんか。

あなたの怒り、批判はその反動形成ではありませんか?
そういうことはstさんの方が詳しい専門家だと思いますが。
2018/10/9(火) 午前 9:57[ shalom ]返信する

顔アイコン感情的になりました。失礼。
2018/10/9(火) 午前 10:05st5402jp返信する

顔アイコン易坊だ
2018/10/9(火) 午前 10:06st5402jp返信する

顔アイコンヨシュアにも似ている。今さら、専門家とは白々しい。
2018/10/9(火) 午前 10:07st5402jp返信する

顔アイコン動物園を見ている、というスタンスがいいと思います。
2018/10/9(火) 午前 10:08st5402jp返信する

顔アイコン狂っているようだ。エサが不足なのか。私のブログのサブタイトルを書いてきた。楽しませてもらおう。
2018/10/9(火) 午前 10:10st5402jp返信する

顔アイコン上の4つのHN、同じことを聞いてくる荒らし+カルト+偽善者がいることを、折に触れて、敷衍してください。
2018/10/9(火) 午前 10:16st5402jp返信する

顔アイコンshalom、易坊、tensoba、こうさん、というHNを忘れないように。まだまだ書くでしょうから。
2018/10/9(火) 午前 10:19st5402jp返信する

顔アイコン3度同じことを書いてきて、一見、理屈を言っているように見せかけています。本性は、悪意によって不快と疲労とを与える攻撃でしかありません。こういうことだけを学んできた人、あるいは、グループです。決して相手が人間と思ってレスを書いてはいけないモードに入っています。彼らが選択したことです。あくまでも動物園の見学です。
2018/10/9(火) 午前 10:26st5402jp返信する

顔アイコン2つ目の記事が、ほぼ完成した。
2018/10/9(火) 午前 10:27st5402jp返信する

顔アイコン> st5402jpさん

「決して相手が人間と思ってレスを書いてはいけないモードに入っています。」

stさんはレスしているではありませんか。
あなたは人間扱いをしてくださっているのですね。
shalom!
2018/10/9(火) 午前 10:47[ shalom ]返信する

顔アイコン彼らは、既に、知性と感性を切除されて平板化されたピープルなのでしょう。同じような命題接続しか持ち合わせていません。食われていることにも気づかずに、食ってかかる連中です。
2018/10/9(火) 午前 10:49st5402jp返信する

顔アイコン私が易坊だと言ったことを否定しないとは。
易坊だ・・・見物客は人間です。生態観察です。
やはり書いてきた。
2018/10/9(火) 午前 10:53st5402jp返信する

顔アイコンなりすましのキャラ設定と文脈が、どんどん壊れてゆきます。
2018/10/9(火) 午前 10:55st5402jp返信する

顔アイコン何が目的なんでしょうね・・キリスト教、仏教、占い、理屈屋、人を騙して良いことなど何もありませんが。まさか工作活動じゃないでしょうね・・日本を駄目にするとかの・・。
2018/10/9(火) 午前 11:01st5402jp返信する

顔アイコンこんばんは。

私の方では、それぞれ別人だろうと受け止めてますよ。
2018/10/9(火) 午後 7:04[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン別人だという証拠はあるかと問われれば、返答に窮しますけど…。
2018/10/9(火) 午後 7:10[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン>shalom さん
>2018/10/9(火) 午前 6:51

うーん。私にはどうも、アンビバレントという言葉は馴染みがないので、アンビバレントかどうかと聞かれても何とも答えようがないというのが正直なところです。
それはそうと、一つ目のかぎカッコ内の文章は、私の言葉ではなくて、shalomさんの要約かな?
2018/10/9(火) 午後 7:12[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 自由さん

「批判と人の心を傷つける誹謗、中傷という人格攻撃の区別は実際問題としては、両者の区別はけっこう難しい。」・・・

本文記事から私が要約した言葉ですね。
「 」に入れる必要はありませんでしたね。
内容は間違ってましたか?
2018/10/9(火) 午後 8:29[ shalom ]返信する

顔アイコン細かいことかもしれませんが、
要約だと、人の心を傷付けるというのは誹謗中傷だけにかかってるみたいだけども、
私の意図としては、人の心を傷付けるのは、誹謗中傷だけではなく、正当な批判でもそうなり得るから注意が必要ではないかという感じですね。


どうも分かり難い文章ですみません。
2018/10/9(火) 午後 8:46[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンあと、一つの発言について、正当な批判か誹謗中傷かでは、その判断は人それぞれのところがあって議論にもなり、判断は難しいとか、そういう感じ。
2018/10/9(火) 午後 9:17[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンでは、話はもう少し続きそうなんで、引き続き、コメ欄はオープンにしときます。
2018/10/9(火) 午後 9:20[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 自由さん

私の要約は自由さんの理解通りです。

自由さんの意図について、私の考えは・・・
正当な批判はその人の考え方に対する批判にとどまるべきです。なぜなら、その人の言葉で表現された考えは人格の一部であり、正当な批判によって変わり得ることもあります。ですから人格そのものを否定するような誹謗中傷をしてしまうと正当な批判と考えた批判の正当性を失うのではないかと思います。たとえ誹謗中傷を正当な批判だと主張しても人格否定された人との関係は壊れてしまうのは当然だと思いますので、それ以上の対話はできなくなると思います。ですから人格否定である誹謗中傷はご法度で、してはいけないことだと思います。
2018/10/9(火) 午後 9:51[ shalom ]返信する

顔アイコンしかし、人が傷つくのは批判する人の言動に起因するばかりではなく、聞いた人のうちに既にある傷が引き出されていることもあリ、また人格を否定するような誹謗中傷をする人の心にも、既にその人のうちにある傷によって誹謗中傷してしまう原因があったりします。お互いに自分の内なる心の傷に向き合うことが必要だと思うのですが、そんな容易なことではありませんから、やはりむずかしいことだと思います。

どうも分かり難い文章ですみません。(苦笑)
2018/10/9(火) 午後 9:52[ shalom ]返信する

顔アイコンその辺りは、私も、shalomさんと大体同じですね。
議論するにしても、人格批判はできるだけ止めておいた方がいいだろうし、
ましてや人格否定よくないですね。
人の古傷にむやみに触れるのもよくない。
ただこれはあくまで私の信条であって、他者に強要することはできないのだけど…。

あと私は、誹謗中傷はよくないと思うけど、嘲笑、慇懃無礼とかもよくないと思ってます。
これらは相手を愚弄し、その人格を否定することに通じかねないので。
2018/10/9(火) 午後 10:54[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンところで、shalomさんはコメントの最後で、私の言葉を繰り返して、(苦笑)としてるでしょう。

>どうも分かり難い文章ですみません。(苦笑)

私はこういうのは、ちょっとした冗談として受け流すけど、stさんはこういうのはあんまり好きではないかも。
2018/10/9(火) 午後 10:58[ 楽山 (自由) ]返信する

ゲシュタルトはいい訳語がないのであえてゲシュタルトのまま使っています。

統合でもいいけど。
2018/10/10(水) 午前 1:03[ 易坊 ]返信する

私がアンビバレントと言ったのは、自由さんの記事が両論併記しただけで終わってしまっている点です。
2018/10/10(水) 午前 1:09[ 易坊 ]返信する

批判の適正についてはケースバイケースだから、あとは具体的にその批判を批判したらいいです。

ブログのやり取りは言語ゲームなので、どうしてもルールは移ろいでいきます。
なるべく語の定義や目的など、ルールを当事者間で確認しながら進めることで適正を維持できます。
2018/10/10(水) 午前 1:18[ 易坊 ]返信する

>その辺りは、私も、shalomさんと大体同じですね。
議論するにしても、人格批判はできるだけ止めておいた方がいいだろうし、
ましてや人格否定よくないですね。
人の古傷にむやみに触れるのもよくない。
ただこれはあくまで私の信条であって、他者に強要することはできないのだけど…。


強要する必要はないけど、批判したらいいです。あるいはルールの確認をしたらいいです。
stさんはシャロームさんに人格攻撃をしています。
2018/10/10(水) 午前 2:52[ 易坊 ]返信する

ときには批判から一歩踏み込んで、諌めたり戒めたりすることも必要です。
判断は自分の信条に従えばいいです。
強要とは異なります。

ブログの議論には、裁判や競技ディベートのようにジャッジはいません。
ジャッジがいないから、当事者が互いにルールを維持するしかありません。
2018/10/10(水) 午前 3:00[ 易坊 ]返信する

シャロームさんがゲシュタルトを確認したかったのは、アンビバレンスと統合失調の関係に興味があるから、ですか?
2018/10/10(水) 午前 3:10[ 易坊 ]返信する

顔アイコン人格攻撃のスペシャリストが、易坊とシャロームです。

易坊とシャロームは、いつ見ても、嘘を練り込んだ金太郎飴みたいです。
2018/10/10(水) 午前 4:52st5402jp返信する

顔アイコンつきあっていても、彼らの狙い通りに、消耗し疲労するだけなので、記事で全否定してゆきます。相手に改めさせる批判ではありません。読者に注意と警戒を促してゆきます。
2018/10/10(水) 午前 5:05st5402jp返信する

顔アイコン私のほうに、今までの、シャロームの侮辱と、易坊の荒らし、という経緯があるので、見方にバイアスがかかっているかもしれませんが、どこがバイアスなのか、もはや分かりません。
ただ、私は、この二人、尋常ではないと思うので、全否定するしかない、ということに変わりはありません。
2018/10/10(水) 午前 5:09st5402jp返信する

顔アイコンおはようございます。
昨夜は、shalomさんにきつかったかなあと後悔してましたが、コメントを読み返すとやっぱりそんな感じですね。失礼しました。
2018/10/10(水) 午前 5:54[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコンやはりどうも自分には批判的なことを言うのは向いてないですね。
物言えば唇寒し秋の風とはよくいったもんです。
2018/10/10(水) 午前 5:55[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> stさん
バイアスがかかってるかどうかは、
自分の場合は、批判箇所を見つけたら、それと同じだけ善い点を見つけられるかどうかで考えたりすることがあります。
批判箇所は十あるけど、善い点は二つしか見つけられなければ、自分はかなりアンチ寄りの立ち位置なのかなあとか。

もっともこれは対象が尋常でない場合は、あまりアテにならないですけど、それでも大雑把な目安にはなるんじゃないかとは思います。
2018/10/10(水) 午前 6:13[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン立ち位置といえば、

少し前、ツイッターを見てたら、某教団の信者が、
信者とアンチが同じことを言ったのに対して、
信者には「いいね」として、アンチにはダメ出ししてたので、
その点を問いただしてみると、
「自分は信者だから、信者を支持します!」みたいに、ぬけぬけと言ってた。

これには、正直な人だなあと思わず笑ってしまいましたよ。
2018/10/10(水) 午前 6:53[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 自由さん

私は自由さんの気持ちが少しはわかるような気がしますので、共感的冗談?でした。受け流してくださりありがとうございます。
受け止め方の選択も自由で、いつも人それぞれだと思います。
2018/10/10(水) 午前 8:23[ shalom ]返信する

顔アイコン> 易坊さん

「私がアンビバレントと言ったのは、自由さんの記事が両論併記しただけで終わってしまっている点です」

いつも両論併記で、自分の考え、立ち位置をはっきりしないのは確かに、その人との関係、対話の在り方に戸惑ったりすると思いますが、それはその人が自分の考え立ち位置をはっきりさせることで、自分の中や人との間に軋轢が起こるのが苦手だという、その人が人の心情を大事にする人か、論理的なことを大事にする人かいう気質の違いであったり、または体験的に議論、論争を避けたいということもあるような気もします。
2018/10/10(水) 午前 9:19[ shalom ]返信する

顔アイコン私事ですが、私の連れ合いは人の話をよく聞くことがとても上手ですが、自分の考え、意思をはっきりしませんし、しようとしても、うまく言葉にすることができないようですね。つまり八方美人のように感じてしまうことがあります。私は当たり障りのないことは話できても、それ以上のことはあまりできないなと感じたりしますが、でも人にはとてもやさしいいい人だと言われていますね。隣近所の人から良くいろんなものをもらうというご利益があります。私にとっても結構、聞き上手ということではとても助けられていると思います。それで、私は私、人は人だということができているとも思いますし、今年は50年の記念の年なんです。めでたし、めでたしということでしょうか。(笑)
2018/10/10(水) 午前 9:19[ shalom ]返信する

顔アイコン> 易坊さん
「シャロームさんがゲシュタルトを確認したかったのは、アンビバレンスと統合失調の関係に興味があるから、ですか?」

それは全くありません。
ゲシュタルトという言葉は心理学、カウンセリングでよく聞いて知っていましたが、その意味がよくわからず、日本語に変換したかったからです。統合でいいということで納得しました。
ありがとうございました!
2018/10/10(水) 午前 9:42[ shalom ]返信する

人それぞれにブログをやる趣旨があり、記事には記事の主旨があり、批判には批判の、議論には議論のそれらがあります。

これを確認することで、ヘンテコな方向にずれないようにすれば、当事者間で一段階上のゲシュタルトを構築することができます。

人それぞれの上の視点です。
2018/10/10(水) 午後 1:54[ 易坊 ]返信する

stさんの批判や議論は、為にするものです。目的がないんです。ただシャロームさん貶める為です。

作法や手法の問題ではなく、目的がはじめから邪なんです。
内容に踏み込んで適正かどうかの問題ではなく、目的が無意味なんです。

反論したり、指摘したりしても、そこからは何も生まれません。

stさんはおそらく病気なのでまともな議論は不可能です。
2018/10/10(水) 午後 2:06[ 易坊 ]返信する

私が自由さんを批判したのも、マリアさんやこうさんを批判したのも、stさんとの無益な議論に参加するのを制止するのが目的です。

ああいうのはほっとくしかないんです。

stさんは死ぬまでやめないです。
それが彼の生き甲斐なんです。

stさんは幸いなんです。神の国は彼ものだから。
2018/10/10(水) 午後 2:13[ 易坊 ]返信する

>その人が人の心情を大事にする人か、論理的なことを大事にする人かいう気質の違いであったり、または体験的に議論、論争を避けたいということもあるような気もします。


論理が扱うのは真偽であり、議論で争うのは事実です。語り得ないことは沈黙するしかありません。心は関係ないです。

価値観は人それぞれですが、真偽や事実は人とは関係ありません。
2018/10/10(水) 午後 2:25[ 易坊 ]返信する

シャロームさんは議論の途中、聖書を引用しますが、あれは論理ではなく、シャロームさんの価値観です。

stさんとマリアさんやこうさんやヨシュアさんたちの議論も、議論ではなく、価値観の押し付け合いでした。

それによって得られるのは疲労だけです。
2018/10/10(水) 午後 2:30[ 易坊 ]返信する

聖書の記述はその人の価値観や動機の理由にはなるだろうけど、論理を裏付ける根拠にはなりません。

真偽と事実を積み重ね、語り得ないことを排除し、語り得ることは何か、どこまで語り得るかを探るのが議論です。
2018/10/10(水) 午後 2:37[ 易坊 ]返信する

ゲシュタルト
全体性を持ったまとまりある構造
2018/10/10(水) 午後 4:35[ 易坊 ]返信する

顔アイコン易坊も、シャロームも、今まで書いてきたように、他者の心情を大事にすることはありません。彼らは、羽を伸ばしたいだけです。
シャロームは、嘘を、丁寧語で、ごまかします。
易坊は、理屈を言っても、心情を大事にしないので、理路が壊れてゆきます。そして、インテリぶった言葉を使いたがります。
二人は、欲望だけを欲する者たちで、相手が自分を認めるまで、手段を選ばず、貶してきます。そして、荒らしではないと嘘を吐きます。
彼らと合意に至ることはありません。それが可能であるかのように、受け入れらていれる間だけ、あたかも理論家であるかのように振る舞います。受け入れられなくなると罵詈雑言しかないのは、真実の追求ではなく、自己顕示のみを追及しているからです。
すでに、荒らしのモードです。ぽんぽんと単方向に悪口だけが飛び交っています。
2018/10/10(水) 午後 6:17st5402jp返信する

顔アイコンここで長く書いているのは、相手をする人がいるからですが、また、どこへ行っても、まともに相手にされないために、怒りだして、自分で一方的に壊してきたからでしょう。
2018/10/10(水) 午後 6:30st5402jp返信する

顔アイコンシャロームとの間に、議論は成り立ちません。シャロームが自己満足で交流を持ったと思うだけです。とても卑怯は裏の顔を持っています。
2018/10/10(水) 午後 6:36st5402jp返信する

顔アイコン> shalomさん


私は当たり障りのないことは話できても、それ以上のことはあまりできないなと感じたりしますが、でも人にはとてもやさしいいい人だと言われていますね。


あれだけ嘘がバレた後で、このようなことを平気で書いてきます。異常人格です。

人には優しいと思われるように丁寧語でごまかし装うことだけを学んできたのでしょう。この底意地の悪さは、何を受け取ったか、何を無視したか、何を偽ったか、何を笑ったか、考えてみると、明らかなのです。

多くの人々は、その脅威を、うわべのことによって、はぐらかされているのです。・・などと言うことを、繰り返し言っても、彼は、無感性で無反応なのです。その分、恐ろしく残酷な人格です。
2018/10/10(水) 午後 6:36st5402jp返信する

顔アイコン>
隣近所の人から良くいろんなものをもらうというご利益があります。私にとっても結構、聞き上手ということではとても助けられていると思います。それで、私は私、人は人だということができているとも思いますし、今年は50年の記念の年なんです。めでたし、めでたしということでしょうか。(笑)


あれだけ嘘がバレた後で、このようなことを平気で書いてきます。根腐れです。

この期に及んで、また笑っています。批判されても、全てを無視して偽善を続けるだけの不感不応の厚顔なので、笑えるのです。嘘を吐いても、それがバレても、偽善を続けても、悪いことをしたという罪悪感が湧かないサイコパス的な人なのです。身の毛が弥立ちます。
2018/10/10(水) 午後 6:37st5402jp返信する

顔アイコンシャロームは、何も受け取っていません。何も感じていません。何も変わりません。必要な感性と情感がないのです。何を言っても改善せず、笑っていることを、神の平安と呼ぶ人です。コメントを書くのは、自分で満悦するためだけなのです。
2018/10/10(水) 午後 6:53st5402jp返信する

顔アイコンstさん、そこは、shalomさんはご自分の奥さんのことを言ってるんじゃないかと思います。
言葉を、〈〉で補うとこんな感じかも。


私は〈連れ合いのことを〉当たり障りのないことは話できても、それ以上のことはあまりできないなと感じたりしますが、でも人にはとてもやさしいいい人だと言われていますね。

2018/10/10(水) 午後 7:11[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 易坊さん

「ゲシュタルト
全体性を持ったまとまりある構造」

なにもわからずに、ふと夢想したのですが、
病院は人間の命にかかわる身体と心の診療をしていますが、どのくらいの数の診療科目があるのでしょうか。
各診療科目は人の身体とこころの診療科目全体と密接不可分な科目だと思うのですが、まだ人間を「全体性を持ったまとまりある構造」として扱える診療科はないように思います。また人には人格という要素もあるのですが、それらすべてを統合し「全体をまとまりのある構造」として、いずれゲシュタルト科と言うような診療科をつくることができるのでしょうか?また人間とはなにか?どのような存在か?について説明できることば、あるいは学問分野はあるのでしょうか?
2018/10/10(水) 午後 7:31[ shalom ]返信する

存在論という分野で抽象のレベルといいます。
レベル オブ アブストラクション

自転車をこぐとき、
力を入れる
足を曲げる
力を入れる
足を伸ばす
といちいち考えないと思います。
それがゲシュタルトです。
抽象のレベルを一段階上げて一つの動きとして捉えているわけです。

ゲシュタルトをあえて分解したり、また戻したり、そうやって物事を正しく見るんです。

脳と心は抽象のレベルが違うだけで同じものです。

心を心として捉えるのが心療内科です。
2018/10/10(水) 午後 8:46[ 易坊 ]返信する

stさんは情報の統合、ゲシュタルトの構築がうまくできない病気と思われます。

情報の抽象レベルを整理出来ずアンビバレントに扱うから統合に失敗しているんです。
2018/10/10(水) 午後 9:07[ 易坊 ]返信する

顔アイコンシャロムの文章は、いつ見ても腹が立ちます。心を持たない者が、ゲシュタルトを語って、しかも、唐突に思い付きで医療を語っています。シャロームの組み立て不能の理路は、殆ど触覚のように、話がでたらめになっています。何も受けず、何につなげるわけでもなく、文脈の後先なく、ゲシュタルト≒全体像という言葉だけの思い付きで、知的な話をしたつもりになっている。何が言いたいのかというと、何も切実に言いたいことなど無いのです。明日には忘れてしまうような、いい加減な連想と発想です。ずっと、そういう人・・
2018/10/10(水) 午後 9:31st5402jp返信する

顔アイコンそういうシャロムの特徴は、重要なテーマと語る上でも、いつも、興ざめな、場違いな、素っ頓狂な、傍迷惑な、話の持っていき方になります。そうやって、無駄な時間と空間を増やして、大事なことをおざなりにしてきたのでしょう。誰も理解しないが、誰も文句を言わないような、無駄話の仕方が、シャロームの処世となって、話が信仰という命の問題になっても、空疎な讃美だけで、宗教と信仰を渡ってゆけるという安易さになっている。本質を求める者にとっては、いてほしくない不真面目で怠慢で見るだけで億劫な空しさを提供する存在になっているのです。
2018/10/10(水) 午後 9:39st5402jp返信する

顔アイコン易坊は、元々、シャロームと同様に、心を持ちません。いつも、言葉をいじっては、その脈絡だけで話を勧めますが、同類か、社交だけの者以外には、疎外されてゆきます。話がどこまでも抽象的な断片をめぐるものだから、結局、見る側は、うんざりしてしまい、話をやめようとしますが、そこで、易坊は、烈火のごとく怒り狂って、同じ問い詰めや言い張りを繰り返したり、程度の低い、自分は完全だ、というような自慢話を始めたりするので、そういう人なんだと、愛想を尽かされて、相手にされなくなるのです。その不満足を慰められるところ、今はここで、また、人を罵って、得られるはずのない充足に浸ろうと、バタついているのでしょう。
2018/10/10(水) 午後 9:47st5402jp返信する

顔アイコン> 易坊さん

ふとワイルダー・ペンフィールドというカナダの脳科学者のことを思い出しました。
確か臨死体験について書いてありました。検索しましら、次のような記事がありました。

脳科学者というのは、基本的に、「すべては脳内現象である」と考える傾向がある。
物質である脳の中での化学物質の分泌や電気信号のやり取りが、人間の「意識」を生み出すと考える。

そうした中で、最近、テレビにも出ている脳科学者・茂木健一郎氏が面白いことを言っていた。
「現代の脳科学者は、物質である脳からいかに心が生まれるのか、その第一原理を理解していない」

脳科学者(=唯脳論者)たちでさえ、
なぜ物質である脳から「心」が生まれるのか、まったく分かっていないのだ。

・・・

カナダの脳外科医 ワイルダー・ペンフィールドは、
脳の側頭葉に電気刺激を与えることで、臨死体験を起こすことができると主張している。

これなども、臨死体験は「脳内現象」に過ぎないという意見の一つだろう。
2018/10/10(水) 午後 9:58[ shalom ]返信する

顔アイコンだが、このブログの過去の記事、
「臨死体験について」
「再び、臨死体験について」
で書いたような臨死体験事例を、単なる脳内現象と言って済ますことができるんだろうか。

これらの事例では、臨死体験者は明らかに、
本来は見えないはずの周囲の状況を見ている。

だが、ペンフィールド博士が行った実験を無視することもできない。
側頭葉に電気刺激を与えれば、臨死体験が起こることも事実なのだろう。

・・・

ペンフィールド博士の実験。
一方で、単なる脳内現象と言い切ってしまうのは困難な臨死体験事例の存在。

これをどう解釈したらいいのだろうか。
2018/10/10(水) 午後 10:01[ shalom ]返信する

顔アイコンこの後は、かなりアバウトな内容になってしまう。
お許し願いたい。

もし、魂の座が側頭葉にあると考えれば・・・
人間の身体の中には魂が宿っている、その宿っている場所が側頭葉なのだと考えれば・・・
一応の辻褄は合う。

・・・

いずれにしても、
脳科学者 茂木健一郎氏の言うとおり、
「現代の脳科学者は、物質である脳からいかに心が生まれるのか、その第一原理を理解していない」

「心」を生み出すものは何なんだろうか。
それこそが魂なんじゃないだろうか。

そして、「脳内現象説」では説明不可能な臨死体験事例を見る限り
やはり、人間は死んだ後も、魂は生き残るのではないか、と感じざるを得ない。

そんな風に考えてしまった・・・


《shalomコメント》

脳と心についての興味ある記事だと思い引用しました。
2018/10/10(水) 午後 10:02[ shalom ]返信する

私はその答えを持っているけど、今の方法論では立証できないので心に置いています。
2018/10/10(水) 午後 10:03[ 易坊 ]返信する

顔アイコンシャロームは、後先を考えた思考が出来ません。易坊は、幼児的な欲求不満を処理できません。
どちらも、心がないために、理路に、重みや、説得力を持たせることが出来ません。自己満足しかない必然の悲劇を内在していると思われます。にもかかわらず、自覚がないまま、出てきては、煩わしい言葉の薄片を、質量を当たえられず、余計なものをくっつけたり、折り曲げたり、ちぎったりしながら、量だけはぶつけてくるので、正常な感性と理性を持っている人には、耐えられない不快な塵埃をかけられることになるのです。
2018/10/10(水) 午後 10:07st5402jp返信する

茂木のクオリアはアートマンです。

私はあくまで縁起を取ります。
2018/10/10(水) 午後 10:12[ 易坊 ]返信する

顔アイコンそういう特徴は、言い換えると、共感性の欠損とも言えるでしょう。共感するセンスの欠乏とも言えますし、共感する気がないとも言えるのですが、他者の話の流れからは、的外れにしかならず、応答は必然的に少なくなります。そして、彼らの話が、自己中心ではないか、と気づかれることになります。

そこからの惨状は、彼らの今までのあり方によるもので、自己中心に発散し短絡して行方知らずの理路は的外れになり、かつ、誰が何を指摘しても、訂正不能で功を為さないことから、周囲に鬱陶しさを持たれて、人々は遠ざかります。そこから生まれる不全感や怒りや憎しみを、彼らは正常に処理できません。事態が理解できないからです。
2018/10/10(水) 午後 11:28st5402jp返信する

顔アイコンシャロームは交流したと自己満足して動じないコンクリートのような偽善者となり、何も刺激がない不感不応の状態を神の平安と呼んで凌ぎます。そして自分は正当な福音伝道者だと思い込み続けます。それで解決するはずはないのです。

易坊は怒りや憎しみによって火山のように噴石を飛ばし荒らしとなり、いつも、人を自分より下に見るナルシストになって凌ぎます。そして自分は正当な理論家だと思い込み続けます。もちろん、それで解決するはずはないのです。

彼らは、経過と結果において、理路も情感も必要とされないような、ただ、相槌や社交の世辞としての賛同を与えてくれる環境だけを愛するでしょう。しかし、そのようなところでは、真実追求の議論としては、何も交わってはいないし何も生まれてもいないのです。
2018/10/10(水) 午後 11:28st5402jp返信する

stさんさ詩人の才能があります。

論理はダメです。
2018/10/10(水) 午後 11:40[ 易坊 ]返信する

内部表現は意識の一部にすぎません。

熟睡中も無意識は外界の情報をちゃんと感じ取っています。
2018/10/10(水) 午後 11:45[ 易坊 ]返信する

顔アイコン記事で、あえて、二人のHNを出しているのは、匿名のAとかBとかで書いた場合、彼らは、全く不感不応で気にしないでいられるからです。そういう感情鈍麻であるかもしれませんが、上記のような成り行きで、彼らが、身につけた不感不応とも言えるでしょう。

彼らには、というより、議論や交流というものを大事にする立場を持つ人々が彼らから守られるためには、彼らに対して、持続的な戒めの質量を公共の場に上げ続けることが必要だからです。そして、何よりも、読者が、彼らに好意的に近づかないことが大事だからです。

以上は、コメント欄に、ポンポン書いたことのコピペだけだと、私のほうも断片的になりやすいことから、最初から記事を意識して、これまでのネットにおける事実に基づいた推測です。
2018/10/11(木) 午前 0:01st5402jp返信する

神の国はあなたのものです。
2018/10/11(木) 午前 0:04[ 易坊 ]返信する

顔アイコン> 易坊さん おはようございます 超早起きしてしまいました。

立証できない答えですか?!
まさか易坊さんの信仰ではないでしょうね!?

「茂木のクオリアはアートマンです。
私はあくまで縁起を取ります。」

もうすこしわかりやすく説明できませんか?
クオリアとかアートマンとか縁起とか・・・
一つ一つの言葉の説明とつながりなど。

これからまた寝ます。おやすみなさ~い
2018/10/11(木) 午前 3:20[ shalom ]返信する

引用
(3)「意識とは何か」とは何を問うのだろう

さてそうなると、クオリアや意識とは幽霊みたいですらある。しかし、幽霊が肉体とは別個の存在と信じられているのに対し、意識はあくまで脳を離れては存在しない。脳の働きなしには生成しない。そこは科学の立場が今のところ譲れない点だろう。つまり脳と意識は二元論ではない。ただそれでも、意識がもし脳と違って科学の対象になるような物理的実体ではないということ自体、これはもう単純な一元論とも言い切れないのか…。


茂木は二元論です。
肉体と関係なく魂がある、というスピリチュアリズムです。そういう魂をバラモン教ではアートマンといいます。

心と体は一つで、体を離れて心は存在しない、というのが釈迦の縁起です。

心と体は抽象レベルが違うだけです。
2018/10/11(木) 午前 4:15[ 易坊 ]返信する

>立証できない答えですか?!
まさか易坊さんの信仰ではないでしょうね!?

形而上の領域だから現状では語り得ない、ということです。仮説として考えています。
2018/10/11(木) 午前 4:23[ 易坊 ]返信する

茂木はクオリアについて出版したとき情報の抽象レベルを知らなかったんです。ウィトゲンシュタインの私的言語についても知りませんでした。
だから、ヘンテコなスピリチュアリズムに陥っていました。今はどうか知りませんが。

インテリでも間違えるんです。

なので私はインテリぶりたいとは思っていません。
2018/10/11(木) 午前 5:20[ 易坊 ]返信する

>この辺りは、バランスを取るのは難しく、本当にややこしい。ここは万人が賛成できる結論はなかなか出そうにない…とほほ。

抽象レベルを混同しているからです。

私はやや踏み込んで説明しています。

こうさんやマリアさんにはたぶん理解できないだろうけど、自由さんは解ると思います。シャロームさんも解ると思います。
2018/10/11(木) 午前 5:50[ 易坊 ]返信する

子供に説明するときと大人に説明するときでは説明のしかたが違うんです。

違うとしても、それは矛盾ではないんです。

レベルが異なるだけです。
2018/10/11(木) 午前 5:52[ 易坊 ]返信する

未知の知識を吸収するのはストレスが伴います。

既知の知識を反芻したり、他者と共感したりするのは心地好いんです。

トラウマにならない程度のストレスが学習につながるんです。

適度なストレスは、イタ気持ちよく感じます。

もちろん適度は人によって違います。

一対一と一対多数では説明のしかたが変わるということです。

痛いと感じたり、心地好いと感じたり、くすぐったかっり、かゆかったり。

ブログは一対一ではありません。
2018/10/11(木) 午前 6:19[ 易坊 ]返信する

自由
こんばんは。
この件については、こうさん、マリアさんも同じ考えではないかと想像します。あちらの記事、コメント欄を見てると、すごく難渋してたようなので。
2018/10/10(水) 午後 7:32


顔アイコンst5402jp
この件って、どの件が分かりませんが、自称マグダラさんは、カルトですから、全然違うと思います。自称ヨシュアと同じで、教えを守ることを教えて、けらっと笑って批判者を罵ります。教えを守れないことを知るのがキリスト信仰です。私は、批判では、真剣なので、極力、笑わないようにしています。カルト、荒らし、偽善、今のキリスト教は、ひどいものです。
2018/10/11(木) 午前 1:38
2018/10/11(木) 午前 6:29[ 易坊 ]返信する

噛み合わないんです。

stさんは統合を失調しているんです。

挨拶とか日常会話はできるけど、議論はできません。
2018/10/11(木) 午前 6:32[ 易坊 ]返信する

顔アイコン>stさんは統合を失調しているんです。

ヨシュアと同じ、シャロームと同じ、病気と決めつけてきた。

>議論はできません。

あなたのことです。恐らく誰とも。
2018/10/11(木) 午前 7:14st5402jp返信する

顔アイコン独り舞台の易坊
2018/10/11(木) 午前 7:15st5402jp返信する

顔アイコン> 易坊さん

>立証できない答えですか?!
まさか易坊さんの信仰ではないでしょうね!?

『形而上の領域だから現状では語り得ない、ということです。仮説として考えています。」


「茂木は二元論です。
肉体と関係なく魂がある、というスピリチュアリズムです。そういう魂をバラモン教ではアートマンといいます。

心と体は一つで、体を離れて心は存在しない、というのが釈迦の縁起です。

心と体は抽象レベルが違うだけです。」
2018/10/11(木) 午前 9:57[ shalom ]返信する

顔アイコン形而上の領域だから現状では語り得ないと考えますが、それはあくまで限界ある人間から見ればという人間学の立場から見解のようですね。

ヨハネ1:1、2・・・14
初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。・・・そして言葉は肉体となり、私たちのうちに宿った。私たちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みとまこととに満ちていた。

言葉であり、神である言葉が肉体。イエス・キリストとなったというのがキリスト教信仰の不動の基礎であり、仮説でもなく、二元論、肉体と関係なく魂がある、というスピリチュアリズムでもなく、バラモン教でいうアートマンでもなく、心と体は一つで、体を離れて心は存在しない、というのが釈迦の縁起でもなく、生ける神による受肉による語り掛けです。
2018/10/11(木) 午前 9:57[ shalom ]返信する

顔アイコン> 易坊さん
「生ける神による受肉による語り掛け」

生ける神の名は「その名は不思議」というほかはありません。
神の人の思い、思考を超え、議を超えた方のようです。
2018/10/11(木) 午前 10:05[ shalom ]返信する

顔アイコン> shalomさん

神は神の義である。なんだ、義を超えた方というのは?・・あなたの言う何でも赦してくれるバーゲンの神か。呆れる。また、分かりもしない造語で、讃美する大仰者。
あなたは、義を持たず、思考を持たず、信仰を持たない。

その神を、シャロームは、どれだけ誉めまくりながら、裏切ってきたか。
相変わらず、恥を知らない人、何か言うたびに、偽者ぶりが表れる。
2018/10/11(木) 午前 10:15st5402jp返信する

顔アイコン> st5402jpさん

「なんだ、義を超えた方というのは?」ではありません。
「議」です。人の議を超えた方です。

漢字は表意文字ですから、自分の気持ちに流されないように注意しながら、よく文字をよく見て読みましょう。
2018/10/11(木) 午前 10:27[ shalom ]返信する

顔アイコン易坊だ

教条主義のことですか、と気軽に書いて、おしまい。

シャロームと易坊は、楽だね。何も感じないように、人格をすっかり変性・変容させている。まともな神経じゃ、なかなか耐えられない。
2018/10/11(木) 午前 11:16st5402jp返信する

顔アイコン一生、そうやって過ごすんだろうな・・と、ふと思う。
2018/10/11(木) 午前 11:17st5402jp返信する

顔アイコン> 易坊さん

「神の人の思い、思考を超え、議を超えた方のようです。」
2018/10/11(木) 午前 10:05

神の人の思い➡神は人の思い…の誤りです。
2018/10/11(木) 午後 0:01[ shalom ]返信する

> shalomさん
私はキリスト教も仏教も興味ないです。
2018/10/11(木) 午後 1:23[ 易坊 ]返信する

顔アイコン> shalomさん

言うことが、どんどん気色悪くなってゆくね
2018/10/11(木) 午後 4:10st5402jp返信する

顔アイコンおはようございます。
雑談スレッドみたいになってしまってたけど、どうやら一段落ついたみたいですね。
では、shalomさんとstさんの対話は、とりあえずいったん終了ということで、そろそろ通常状態(承認制)に戻そうと思います。
2018/10/12(金) 午前 5:59[ 楽山 (自由) ]返信する

顔アイコン> 自由さん おはようございます

きょうは気持ちの良い秋晴れですが、だいぶん冷え込みました。
ありがとうございました!shalom!・・・神からの平安がありますようにという意味で、イスラエルでは一日中、いつもこの挨拶の言葉を交わしています。
2018/10/12(金) 午前 8:00[ shalom ]返信する