*アドラー心理学
前に記事にしたことだけども、最近はアドラー心理学サロンさんのツイートをよく見てる。
ちなみに、「いいね」と思ったのは、この辺りのツイートだけど、自分なりの感想をちょこっと書いてみたい。(行間は詰めてコピペ)


あなただけは、あなたを否定してはいけない。
たとえ、みんながあなたをバカにしても、最後まであなたの味方でいられるのはあなただけです。
自己否定を始めたら、あっという間に人生の迷走が始まる。
「どうせわたしなんて…」と考える価値は無い。
必ず人生は好転する。 

これは元気をくれる言葉だ。
自分は、文章を書くときには、ついつい自己検閲して、「これはダメ、これもダメ」などと自分にダメ出ししすぎるところがあるので、この言葉には勇気づけられる。


気に入らない意見は、無視しましょう。
人の意見を変えさせようとするのは、無意味です。
他人の考えを変えられる人間は、この世に存在しません。
他人の意見がどうも納得いかないのなら、その人と距離を取るしかありません。
他人の課題に介入できないと割り切って、自分のことに集中しましょう。

一応は、どんな意見も聞いておいた方がいいのではないかという気はするが、やたらと難癖をつけてきくるとか、的外れ、嫌味、嘲笑、中傷…というものは無視するのが正解だろうとは思う。
どうしてもウマが合わず、相性が悪い相手とは、距離を取るしかないというのもよく分かる。
間違っていることをしている人に対しては、きちんと意見してあげるのが親切だという考え方もあるけれども、その者が子供ならともかく、大人であれば、一、二度意見すれば十分だろう。その後どうするかは本人の課題。


ムカつく奴が、頭から離れない?
腹の立つことを言われたり、されても、そんな人のこと考えてはいけません。
それでは、その相手の為にあなたの大切な人生の時間を使って、相手の欠点とその改善方法を考えてあげているのと同じです。
あなたの為に時間を使うのです。

嫌いな人、相性の悪い人のことは、ついついあれこれ考えてしまいがちではある。
不毛な議論に時間を費やしてしまうこともありがち。
でも、相手方が助言や援助を求めているならともかく、そうではないならば、ああすべき、こうすべきと要らぬ世話をやいても仕方ない。
そういうことに時間を使うよりは、もっと建設的で、愉快なことに時間を使った方がいい。
こういう考え方は、こすっからいような、けちくさいような気がしないでもないが、自分の人生を第一に考えた場合はもっともな結論とは思う。


失礼な人の相手をしてはいけない。
礼儀もマナーもわきまえないであなたに絡んでくる人に、律儀に対応しても無駄。
そんな人に好かれようとすることも、分かり合おうとすることも、無意味な努力。
相手にその気がないなら、あなたも律儀に相手にする必要性が無い。
あなたが消耗するだけですよ。

ずいぶん前のことだけど、釣り場の挨拶について愚痴った時に、こんなやり取りをしたことがある。
「釣り場では、先行者がいたら、挨拶をしてから、釣りを始めるのがマナーだけど、挨拶しても無視する人も多いんだよなあ。不機嫌オーラを出して無視されるのは面白くないんで、今度から挨拶しないことにすっかな」
「相手が挨拶しないからって、自分が挨拶しなくていい理由にはならんだろ」
たしかに、これは一理ある。たぶん、とりあえずは、こちらはマナー通りに挨拶して、挨拶が返ってきたら通常の対応をとり、無視されたら次からは距離を取るというのが賢明なんだろう。


人に執着してはいけません。
信頼していた親友であれ、大好きだった恋人であっても、裏切られたり、関係の維持が難しいなら関係を終わらせましょう。
親密度が高いと、関係を終わらせることに躊躇してしまうかもしれません。
しかし、これから先の人生、今のまま嫌な気分で過ごすのはもったいない。 

これは人情としては、とても難しいことのように思うが、自分の人生を守るためにはやむを得ないことではあるかもしれない。
毒親、サイコパスとか、そういった話を聞くと、たとえ肉親であっても、友人であっても、距離をとらなければいけない場合があることはわかる。
問題を抱えている人に対して、自分が支えてあげたいという気持ちになってしまうこともあるが、そういうことは素人には無理だし、最悪の場合は、共倒れになってしまいかねない。
やはりそういう相手とは、できるだけ速やかに関係を終わらせるのが賢明ではある。そう簡単には割り切れないかもしれないが、そうしなければ傷付くのは自分だということを忘れてはならないと思う。
 
以上、アドラー心理学サロンさんのツイートをみてると、あまりに直截的で、みもふたもないなあと感じることがないでもない。
でも一面の真理を語っているようだし、自分を大切にするのには有用な考え方であると思う。あまりどっぷりハマり込むのは問題だろうけれども、参考意見として読む分にはよさそうである。〈了〉