*この世界はすばらしい
次の言葉は、病気で亡くなった17歳少年(ゾシマ長老の兄)が言ったことだという。
「泣かないでよ、人生って天国だんだから、ぼくたちみんな天国にいるのにそれを知ろうとしないだけなんだよ。その気になれば、明日にでも世界中に天国が現れるんだから」だれもがそういう兄の言葉に目をみはった。 
(『カラマーゾフの兄弟2』ドストエフスキー著、亀山郁夫著、光文社、2007年、p.365)
ぼくのまわりにはこんなにすばらしい神の栄光が満ちていた。鳥たち、木々、美しさや栄光にまったく気づかずにいたんだ 
(同上、p.368)
「天国は」と彼はつづけた。「わたしたちひとりのうちに隠されていて、現にわたしのなかにもそれがあり、わたしもその気になれば、明日にもじっさいに天国がわたしに訪れ、それがずうっと一生つづいていくんです」
(同上、p.407)
ざっと読んだ印象としては、これはイワンとは正反対の世界観のように思う。自分の理解では、イワンは、この世界に起きた凄惨な事件を並べ立てた上で、神がいるなら、なぜこのような悲劇が放置されているのかという風に、神とこの世界を否定していた。

でも、ゾシマ長老の兄は、この世界はすでに天国であって、それに気付けるかどうかだと考えていたらしい。

大雑把に言えば、この世界は、イワンにとっては地獄のようなもので、ゾシマ長老の兄にとっては天国だったということかな。こういう正反対の認識があるというのはおもしろい。

また、ゾシマ長老の兄は、神のみを素晴らしいとするのではなくて、草木、鳥たち、すべてが素晴らしく、美しいとしている。誤読かもしれないが、神の被造物を讃美することで神をたたえるというよりも、神とは別にこの世界を独立したものと認めた上で讃美しているニュアンスも若干あるようでもあるし、もしそうだとしたら、ここも興味深い。

それから上の考え方は、ある意味、谷口雅春の「生命の實相」と似てるところはあるかも…。「生命の實相」は難しい本だけども、自分の理解では、生命の實相は本来は完全円満であるから、それを覚れば周囲の現実も生命の實相と同じく完全円満となるという考え方だったかと。

こういう谷口雅春の考え方と、この世界はすべてが素晴らしく天国であり、そのことに気付きさえすれば、その通りの世界になるというのは、ほんと、そっくりな世界観のように思える。

イワンの世界観が正しいのか、ゾシマ長老の兄の世界観が正しいのか、実際のところは分からないけれども、どっちが幸福になることができるかといえば、たぶん、後者の方だろうな。宗教の必要性も、この辺りにあるのかもしれない。