まいまいつぶろ 510hoO72RoL._SL500_
 高峰秀子のエッセイが素晴らしいという話を聞いたので、さっそく代表作の『わたしの渡世日記』を読み始め、えぇっこんなことまで書いちゃうのかと驚きつつも、上下巻の量と内容の濃さに圧倒されてとりあえずは書棚に戻すことにして、まずは手頃な厚さで読みやすそうな『まいまいつぶろ』の方を読んでみた。
 自分は少し前までは高峰秀子のことは何となく名前は聞いたことはあるものの、その作品もどんな人かも全然知らないという知らない尽くしの状態だったのだが、ひょんなことから『カルメン故郷に帰る』を見てハマり、次に『二十四の瞳』を見て、「おバカなカルメンが、真面目で泣き虫の大石先生になっとる!」とその演技の幅に驚いたのであるが、今度エッセイを読んで絵も文章も素晴らしいのでまた驚かされてしまった。常套句ではあるが、天は二物を与えずというのはこの人には当てはまらず、何でもできる多才な方のようだ。

1951 カルメン故郷に帰る 高峰秀子
(『カルメン故郷に帰る』高峰秀子、1951年)

1954 二十四の瞳 高峰秀子
(『二十四の瞳』高峰秀子、1954年)

 本書の内容はと言えば、前半は出演作とその思い出がつづられており、後半は著名人との交流などについて触れられている。自分は高峰秀子の出演作はまだほとんど見ていないのではあるが、自分が好きな『カルメン故郷に帰る』が肯定的に語られているのはやっぱりうれしい。他の出演者、監督、スタッフがいるのだから特定の作品を悪く言うわけも無いのだけれども、その点を考慮してもやっぱりうれしい。
 また本書では、志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫との交流についても触れられている。自分として志賀直哉についてはその作品から、四六時中、不快がってる気難し屋のイメージがあり、太宰についての感想では何となしに冷淡さを感じたこともあったのだけども、高峰秀子の文章では親切な好々爺みたいな雰囲気に描かれているのはおもしろい。
 谷崎潤一郎については風呂の湯加減を見てくれた話などがつづられているけれども、偉ぶらず気さくな人柄を示すエピソードは他にもいろいろと読んだことがあるので納得である。
 三島由紀夫については、高峰秀子はつい辛口コメントをしたことがあり、そのあと、とある場所でたまたま遠くにその姿を見かけたときに、こっちに気付いて頭の上で拳骨を振り回してたという話が語られている。これはまるでその光景が見えるようで愉快である。
 『完全版 平凡パンチの三島由紀夫』(椎根和著)で、両者の対談時に、高峰秀子はえーい食べちゃえとか言って三島由紀夫の御膳に箸を伸ばして三島由紀夫を唖然とさせたとかいう話が紹介されていたけど、これからすると確かに遠くから拳骨を振り回されることもありそうではある。三島由紀夫もユーモアを解する良い人みたいだ。
 上はおもしろい話の例だけども、本書には悲しい話も綴られている。母親を亡くした子供が、他の家の養女になったという話だ。高峰秀子はこの子をいったん預かり、養父母のもとに送り届けたそうだけども、巻末の解説によれば著者は後年、この子のその後については語りたがらなかったらしい。ここはその子のその後のことは辛くて語れないのではなく、プライバシーだから語らないだけなのだろうと信じたいのではあるが、それはなかなか難しいのだから泣けてくる。どうか幸せになっていてほしいものだ。
 なんだか湿っぽい話になってしまったが、本書は全体的には、読みやすく、軽快な文章でつづられているし、著者のことや昭和初期の映画界の事情に疎い自分でも、さくさく読めるものになってた。ページ数もちょうどよく、ゆっくり読んでも、わりとすぐ読了できる。上のように泣かされる話もあるけれども、大体はさっぱりした話で読後感もいいので、就寝前のちょっとした読書にもいい、良質なエッセイ集と思う。いよいよ次は、中断してる『わたしの渡世日記』をまた読み始めるつもり。