ウチの母が宗教にハマりまして
*まえおき
 巷では宗教離れが進んでいるそうだけど、どうやらその流れは自分にも影響しているらしい。最近はどうもその手のことへの関心が薄れてきている。でも今回はひさびさに宗教関連の本を通読できたので感想を書いてみたい。


*本の中身
 本書は、タイトルからカルト批判の本だと思って手に取ったのだけれども、いざ中身を見てみると、カルト絡みのエピソードもないではないが、全体的な立ち位置は、カルト批判というより、宗教への理解を深めようというものであって、宗教信者に同情的でさえあるようだ。
 もうちょっと具体的なことを書くと、本書では、ヤバい宗教にハマってる人を退会させようとしたがダメだった話、新興宗教の二世信者の彼と結婚した女性が、熱心信者の義母と衝突して難渋する話、ミュージシャンがカルトにハマって人が変わってしまった話などが紹介されている。
 著者の体験談では、母親が宗教にハマり、お墓や仏壇などに百万単位のお金を使ってしまい、父親ともめた話、母親の信仰は傍から見たら奇異なものではあるけれども、数十年に渡って、自分のことはわきに置いて、ひたすら家族の健康と幸福を祈り続けていることから、やがては父も、娘の自分も、その信仰を頭ごなしに否定することはできず、尊重するようになっていった話などである。


*カルト、マインド・コントロール
 本書では、カルト、マインド・コントロールについても、分かりやすく説明してくれている。
 まずカルトの定義については、人権侵害や違法行為の有無が基準だとしている。カルト教団とは、非常識、アブノーマルな団体というのではなく、「憲法に定められた基本的人権を守らない団体」であり、また「あなたの入りたい宗教団体が現代の法律に触れるようなことをしていないか 入信前も入信した後もそこんとこ見極めて下さいね」とのことである。この辺りは、藤倉善郎さんの書いていた基準と同じだ。


 マインド・コントロールについては、「「昔からのその人らしさ」を封印したあと新しい考えを信じ込ませ まるで教祖のロボットのようにしてしまう作業のことです」「本人はあたかも「目覚めた」ように感じ普通に生活できるので操られていると気付きませんし「自ら選んだ道だ」と信じてしまいます」としている。
 本来の自分を失い、教団に操られているのに、そのことには気付かず、自分のことは自分で決めたと思い込まされるというのは、なんとも怖ろしいことである。これはあまりに怖すぎる。


*反省
 カルトとは人権侵害や違法行為をする団体であって、傍から見ていくら奇妙、不気味であるからといって、カルトとはいわないというのは、頭ではわかっていても、感覚的にはなかなか受け入れにくいところはある。
 いくら人権侵害も違法行為もないといっても、新興宗教によくある奇妙、不気味、それから悪趣味さを目の当りにしたら、どうしたって「こりゃ、カルトじゃん」という感想を抱かないではいられない。
 でも信者本人からしたら真面目に信じているのだろうし、それを即、カルト呼ばわりするというのは、ちと不人情ではあるかもしれない。だいち自分の視点から相手の信仰が奇妙、不気味、悪趣味に見えたなら、相手からもこちらの信仰は奇妙、不気味、悪趣味に見えているのだろうし、それならお互い様ではある。
 とすれば、やはりカルトか否かの判断は、個人的な宗教観ではなくて、人権や法律を規準とするのが公平ではあるだろう。自分はどうも個人的な宗教観で、カルトかどうかを決めてしまうところがあるので、ここは注意することにしよう。