『世界から希望が消えたなら。』は、幸福の科学の教祖である大川隆法をモデルにした作品で、あらすじは、自己啓発本の作家が、大病することで、己の使命に目覚め、大成功するというものだ。
 以下に、映画を観てきた感想を率直に書いてみる。ネタバレありです。

・本編上映前の予告では、この世界の(さらにいくつもの)片隅に、男はつらいよ、東京裁判、カツベンが流れてた。カツベンでは館内で笑い声あり。
(予告を見ると、あれもこれも見たいと思うのであるが、今回は上の四編にうずうずした)

・自己啓発本を書いてる主人公は、鉛筆で原稿を書いてる。
(字はうまいとはいえず)
(講演録でなく、執筆なんだな)

・千眼美子(清水富美加)は、主人公の秘書役なのだろうか。
(キャラ、演技は、さらされのヒロインと同じ。後半には変わるかと思ったが、、最後までこの調子。なんか清水富美加がもったいない)

・主人公が体調を崩しつつも頑張ってる描写が繰り返されている。
(後で倒れる伏線ならもう少し控え目でいい。いくらなんでもこれは体調不良でも頑張ってるアピールしすぎだ。これだとわざとらしすぎて、主人公は大丈夫かと心配する気になれない)

・主人公の声。
(ハスキーな声は嫌いではないというか、むしろ好きだが、主人公の声は耳障りに聞こえる)

・主人公の妻(さとう珠緒)は、悪妻、毒親というキャラになってる。
(でもバラエティーでのキャラのイメージが強いせいか、悪態をついてる場面でも、かわいく見える)

・場面転換などの風景描写。
(幸福の科学の映画は、映像と音楽はいつもよい。ただ歌アリの場合は、メロディが古臭く感じることが多い。よく言えば昭和っぽいけど、その昭和っぽさは、昭和の名曲の雰囲気というより、昭和のB級歌謡曲の雰囲気。歌詞についてはもう何も言わん)

・主人公の心臓は動いてないとか言ったりしてるようだが、主人公の身体につながってる医療機器には数字が出てる。動いてるじゃん。
(ここでは医師の言葉も、妻の言葉も、支離滅裂だ。ようは、これほどの重症で意識を保ち平然としていられるわけがないというのを、すでに死体なのに生きていると大袈裟に表現してるってことかな)

・パパ、長女、秘書らは善玉で、妻、長男、若い方の医師、記者などは悪玉になってる。
(人物造形は類型的であり、物語をすすめるための記号にすぎない。
主人公は自分は使命を果たすんだと言い、妻はそれには反対だと言うだけで、単眼思考になってる。自分は間違っているかもしれないと内省したりしない。キャラの内的世界に深みがないので感情移入できない。
長男は病院で無作法に振る舞っていたが、母親が妹弟たちに、長男は本気でそうしているのではなくて、沈んだ空気を快活にしようと長男なりに気を使って、無作法に振る舞ってみせてたのだから、お兄さんを悪く思ってはいけないなどと説明する場面があったりすると、母や長男のキャラに厚みが出たろうと思う)

・言い回しは少し違うかもしれないが、看護師が主人公に「あなたを絶対死なせません」と宣言してる。
(ドクターXの「わたし、絶対失敗しないので」みたいだ。看護師が患者にこんなことをいうことってあるんだろうかね。ちとリアリティない。
医師と患者(主人公)が話してるときに、横に立ってた看護師は会話に割り込み、患者に話しかけてた。これもリアリティない)

・主人公が押し入れにため込んでた洗濯物を見て、親らしき人が嫁が必要だと言って、結婚をすすめていた。主人公もそれに同意してた。
(今の時代、こんな場面を挿入するなんて驚いた)

・主人公は病を経験したことで、改心して、自分の使命を果たし、世界を救うなどと決意している。
(改心ものでは、道をあやまった者が、今後は正しく生きようと決意するのが定番だ思うが、本作では世界を救うと決意している。
改心した結果、「これからは正しく生きよう」というなら応援したい気分になるけど、「自分には世界を救う使命がある」というなら、ちょ、ちょっと待って…と言いたくなる)

・主人公も、他の者たちも、死んではいけないと考え、死は避けるべきものとしている。生きて事を為すのが大切だとしている。
(死の受容だとか、そういう考え方はないようだ。厭世、諦観、諸行無常という雰囲気は皆無。こういう要素がないと、深み、味わいは出ないと思う。
主人公の母親は、そういう味わいを出す可能性のあるキャラだけども、結局、健康と生を謳歌する方向に行ってるので、明るい雰囲気は出せても、深みは出せないで終わってる)

・主人公は不惜身命を連発している。
(主人公が言う不惜身命は、より積極的に生きるという意味らしい。使命を果たすために何としても生き抜くと。
でも過去には、諌死というものがあったという。主君を諫め、これは自分のためでなく、あくまで主君のため、民のためである証明として腹を切ると。
近年でも、谷口雅春にいわせると三島由紀夫の自決は諌死とのことである。聡明な三島のことであるから、クーデターが成功するなどとは、はなから思っているわけもなく、あれは諌死だったのであろうと。
こういう事例をみると、主人公が不惜身命を連発するのは、文字通りの意味ではなくて、「本気で頑張ります」宣言を大袈裟に言ってみただけのように思える)

・全快祝いの食事風景で、長男は左利きになってる。
(宏洋氏は左利きなんだろうかね)

・主人公は、心の力で病気は治ると主張している。
(そういうこともあるかもしれないけど、こういう考え方が広まると、病気になるのは心が悪いからだというような考え方も広まり、病気の人が虐げられることになってしまうかもしれない)

・主人公は、テロの危険があっても、講演は止めないという。
(主人公はそれでよくても、聴衆の安全も考慮しないとだめだろう)

・主人公の英語説法は、大川隆法を真似ているらしい。
(これはニヤニヤしてしまう)

・家族争議がもちあがり、長女は、パパを信じるかどうかの踏絵を差し出してる。
(人は、家族、血縁、宗教、地域、会社、学校、趣味…さまざまな集団に属しているのが自然であるし、だからバランスが保てる。それぞれの集団が完全に重なることなく、重なってる部分もあれば、そうでない部分もあるというのが健全な状態だ。
たとえば家族、血縁、宗教などの交わりが重なっていないからこそ、どれかに偏ることなく、バランスがとれる。
家族の中で、パパを信じる者だけが残れというのは、家族の中からパパを信じない者を排除し、信仰と家族の集団を完全に重ねようとする試みだけれども、こういうのはブレーキのない車に乗るくらい危険だと思う)

・妻は手荷物だけ持って、一人で家を出て行ってる。
夫も、子供も、秘書も、誰一人、妻を追いかけて連れ戻そうとしたりしないし、話題にさえしない。
(この不人情さは、はんぱない。
でも、妻のキャラだと、誰も追いかけて来ないと、「何で誰も追いかけて来ないのよ」と家に怒鳴り込んできそうな気がする)

・エンディングにオチなし。
(最後に何かあるかもしれないと思って、ずっと待っていたが何もなかった)

 以上。メモ帳には、まだいろいろ書いてるけど、とりあえずここまで。
 ちなみに自分は幸福の科学には批判的な立場ではあるけれども、その立場はいったん保留して、アンチHSではなく、一人の映画ファンとして感想を書いてみたつもりではある。