侍 (新潮文庫)

*分身
 このあいだ、遠藤周作の『侍』を読了した。あらすじは、侍らが主君の命を受けて欧州に行くというものだけども、正直、序盤は少し退屈したが、中盤に入って元修道士が登場した辺りからおもしろくなった。著者の作品は、「おバカさん」「わたしが・棄てた・女」「深い河」など、イエスの分身らしき人物が登場するものが多いけれども、どうやら本作の元修道士もそうらしい。
 著者は「イエスの生涯」において、イエスは現実的には無力であったが、虐げられた者に寄り添い、ともに苦しみ悲しみつつ同伴者として生きたというイエス観を述べているが、本作に登場する元修道士も無力であり、教会での生活から離れ、貧しく苦しんでいるインディオとともにあることを選択したという点では、著者のイエス観にピタリと重なる。
 また本作では、これ以外にもイエスと関連させた描写が散見される。たとえば、長谷倉らは旅先で誰からも敬遠され、孤立し、枕するところもなくなったり、宣教師べラスコはいくぶん野心まじりではあるものの愛と信仰に基づく正論を述べるも、枢機卿の語る組織の論理を前に無力であったり、長谷倉もべラスコも権力者たちの政治的な駆け引きによって不条理な扱いを受け、罪無くして裁かれることになったりしている。
 自分の知識では、本作とイエスとの関連はこのくらいしか見つけられないのではあるが、おそらくは自分より知識が豊富な人であればもっとたくさん見付けられるだろう。
 遠藤周作の作品はまだ少ししか読んでいないけれども、どうもこの分で行くと、その作品を開いてみるたびにイエスの分身と出会うことになりそうだ。著者は生涯を通じて自分の信じるイエスについて書き続けた作家だったのだろうな。


*もう一人の分身
 分身と言えば、本作の長谷倉には著者の分身となっている一面もあるようだ。著者は幼い頃に、キリスト信者となった母親によって、洗礼を受けさせられたあと、紆余曲折を経て信仰を持つようになったらしいけれども、長谷倉もこれと同じく、役目を果たすためにやむなく形だけ洗礼を受けることにしたのではあるが、その後イエスについて考えないではいられない状況になって行く。
 著者によれば、どのような形であれどもイエスと一度でも関わったならば、もう二度とイエスを忘れることはできず、そのことを考えないではいられなくなって行くものだそうだけども、長谷倉もそうらしい。


*イエス観
 著者のイエス観について、上で少し書いたけれども、作中では長谷倉と元修道士の問答という形で、もっと詳しく書いてある。たとえば長谷倉は磔にされたイエス像について、「あのような、みすぼらしい、みじめな男をなぜ敬うことができる。なぜあの痩せた醜い男を拝むことができる。それが俺にはようわからぬが……」と語り、これに対して元修道士は自分も昔は同じように考えたが、「今は、あの方がこの現世で誰よりも、みすぼらしゅう生きられたゆえに、信じることができます。あの方が醜く痩せこけたお方だからでございます。あの方はこの世の哀しみをあまりに知ってしまわれた。人間の嘆きや苦患に眼をつぶることができなかった。それゆえにあの方はあのように痩せて醜くなられた。もしあの方が我らの手も届かぬほど、けだかく、強く、生きられたなら、このような気持ちにはなれなかったでございましょう」と答えている。
「あの方は、生涯、みじめであられたゆえ、みじめな者の心を承知されておられます。あの方はみすぼらしく死なれたゆえ、みすぼらしく死ぬ者の哀しみも存じておられます。あの方は決して強くもなかった。美しくもなかった」とも言う。
 自分はキリスト教信者ではないので、こういう著者のイエス観が、教会からどのような評価を受けているのかはよく分からないのではあるが、著者に対してはキリスト教側からの批判があるという話は聞くので、著者のイエス観はキリスト信者全体が納得できるものではないのだろうとは思う。ただ自分には、こういう著者のイエス観はよく分かるし、共感するところもある。このことを本書を読み、再認識した次第である。


*ペトロの否認とイエス
 ちなみに自分は、上で語られているイエスからは、ペトロの否認の時のイエスを何となしに連想する。ペトロがイエスのことは知らないと三度繰り返したあとで、鶏がなき、「主は振り向いてペトロを見つめられた」(ルカ22:61)という場面である。この時のイエスの目は、人のみじめさも、かなしさも、すべて承知したものであり、やさしく、さみしい目であり、それだからこそペトロも泣かないではいられなかったのではないかと…。
 福音書のイエスは、やたらと厳しすぎるのではないかと感じられるときと、限りなく優しく、さらには、もの悲しく感じられるときもあるけれども、自分はどうも後者のイエスを想像すると堪らなく切ない心持ちになるようで、それだから遠藤周作のイエスに共感してしまうのだろうと思う。