高峰秀子の自伝的エッセイ『わたしの渡世日記(上)』を読んだが、予想以上におもしろい。どこがどうおもしろいかといえば、まず文章がいい。率直で飾らない人柄が感じられる活きがいい文章なので、読んでいるだけで、こちらまで元気になってくる。
 内容については、戦前戦中の映画界のこと、戦時下の生活、家族問題という三つの柱がある。これには著者は大正13年生まれで、子役として映画デビューして以降、戦前、戦中、戦後を通して活躍したこと、複雑な家庭の事情があったことなどが反映しているのだろう。こういう半生を送ったからこそ、自己の人生を語ればそれがそのまま日本映画史にも、昭和史にも、一女性の波乱万丈の半生記にもなるのだろう。
 ちなみに本書に紹介されているエピソードには、映画『馬』のロケ中、車で移動するときは、十代だった著者は大男の黒澤明の股の間にちょこんと座っていたとか、戦時中の慰問先での出来事だとか、戦地からファンレターや贈り物が届いたとか、子役時代から家族の生活を支えなければならず、仕事漬けで学校には行けなかっただとか、床の中で本を読んでいたら実兄が覆いかぶさって来て抱きすくめられ、今度生れてきたときは結婚しようと言われたとか、養母の激しい過干渉とか、仰天させられる話やら、微笑ましい話やら、義憤を感じざるを得ない話など、いろんな話があり、最後まで退屈することなく読むことができる。まさに名エッセイである。これなら出版当時ものすごい評判になったという話もうなずける。子役時代に男の子の役を多くやったというのも表紙写真を見れば合点が行く。
わたしの渡世日記〔上〕
 それにしても、こうして写真を並べてみると、長じてからもあまり変わってないようだ。というか親子に見える。どちらも本人だけど。
1954 二十四の瞳 高峰秀子



*追記
 戦時下の生活というと、官憲の横暴、自由の抑圧、空襲、食料や物資の不足などが語られることが多いが、著者の語る戦時下の生活は、人気女優という立場もあるせいか、普通とはだいぶ違っている。
 たとえば兵隊さんたちの慰問に行くと、御礼としてそのあと食事を提供されたりもするが、その際、陸軍は日本食、海軍は洋食となっており、後者の場合はレストランで食事をするように清潔、かつ御洒落だったとか、前線にいる見ず知らずの兵隊から手紙や贈物がたくさん送られてくるが、その中で外国製の口紅は宝物になったし、いい匂いのする石鹸は引き出しにしまって時々、匂いをかいで楽しんでいたという。また慰問先の兵隊と思われる人々が、自宅の前にトラックで乗り付けて、牛肉やら何やら大量の食糧を置いてゆくことがあり、家族で食べたり、撮影所の人たちを呼んでご馳走したともいう。
 この他にも、戦死者の遺族から、遺品として血で染まった自身のブロマイドが送られてきたとか、戦地で押収したアメリカ映画『風と共に去りぬ』『ファンタジア』が撮影所で特別上映されたことがあり、アメリカとの国力の差を痛感させられた話などもある。
 当たり前のことではあるけれども、こういう話を聞くと、ひとくちに戦時下の生活といっても、いち庶民と人気女優とでは大分ちがうようだ。
 こう言っては何だけど、戦時下の苦労話はもうたくさん聞いたという人でも、これらの話は耳新しく興味深いのではないかと思う。とりあえず自分はそう感じた。
 また映画関連の話では、著者は田中絹代、入江たか子らについて愛と尊敬をこめて語っているせいか、本書を読むと著者の影響を受けて彼女らのことが大好きになるようだ。山本嘉次郎についても同様。この意味では、本書は映画好きがますます映画が好きになる本だといえそうである。