ghostwhisperer_s2_L ゴースト ~天国からのささやき シーズン2
 最近は、よくGYAO!を見ているのだが、また新しい心霊ドラマが配信されている。タイトルは『ゴースト ~天国からのささやき シーズン2』。
 シーズン1は見てないし、シーズン2から見てもつまらないかと思いつつも、ものはためしと「#1 危険な心の隙間」を見てみたら、やっぱり話の内容はさっぱりわからん(笑)。でもかまわず見続けていたら、中盤あたりからシーズン1からの流れは大体わかってきたので一安心。わかってみると、まずまずおもしろい。
 でも海外の心霊もののドラマや映画を見ていていつも思うことだけども、日本のそれと比べると、スピリチュアリズムに則って描かれていることが多いように思える。
 たとえば本作の「#1 危険な心の隙間」でいえば、悪霊が姿を現しつつも遠くに立っているだけで近づいてこないことに対して、主人公(霊能者)は、彼は愛で満たされている場所には近付けないのだというようなことを言っている。
 また本話では、善霊ではあるけれども、生前の過ちを悔いすぎて罪の意識にとらわれてしまい、自分には天国に行く資格はないと思い込み、光の方にはどうしても行く気になれないでいたら、そこを悪霊につけこまれて暗い方につれていかれそうになるという展開もある。でも過ちを犯した自分自身をゆるしたとき、罪の意識から解放され、悪霊にも惑わされず、光の方にすすむことができるようになる。こういう設定は、もろにスピリチュアリズムだという感じがする。
 この他、最近見た『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』にしても、クリント・イーストウッド監督の『ヒア アフター』にしても、ホラーの「死霊館シリーズ」にしても、その設定にはスピリチュアリズムの影響が濃厚だ。『奇跡の輝き』のような映画は、スピリチュアリズムの布教映画みたいなものだろうから、その世界観に基づいて描かれていても不思議はないのだけれども、普通の娯楽作品にもスピリチュアリズムの設定が流用されているようなのは、なんやかんやいっても西洋ではスピリチュアリズムの影響力はそれだけ大きいということなのだろうか。皮肉っぽい見方をすれば、スピリチュアリズムはそれだけエンターテイメントと相性がいいということだろうとも言えそうだが、どうもそれだけではないような気がしないでもない。この辺、どうなってるんだろうな。よく考えてみよう。