*新しい動画
 与国氏の新しい動画を見たので、以下に感想を書いてみる。

・宏洋さん、加害者が被害者のフリはやめよう



*発端
 まず当該動画では、批判をはじめたのは宏洋氏の方が先であるとしている。宏洋氏が幸福の科学(HS)を批判したので、こちらは反論せざるを得なくなったのだと。
 でも私から見ると、宏洋氏のはじめの動画は、HS批判というよりも、世間に向けての退会宣言であったように思える。これに対してHSが過剰反応を示したことが、この騒動の発端ではなかったろうか。
 もう少し詳しく書くと、宏洋氏ははじめに、世間的には自分はHSだと思われているらしく、そのせいで仕事がダメになることが繰り返されているので、ここで自分はHSは信じていないこと、すでに退職したこと、HSとはもう何の関わりもなく、今後も関わるつもりはないこと、HSだけでなくアンチにもくみしないことなどを宣言したのであるが、これに対してHS側は宏洋氏は退職しておらず、あくまで休職であり、今もHSの一員であると主張して自宅訪問を強行し、宏洋氏はこれに激怒して、両者の批判合戦が始まったのではないかと…。
 私はこのように見るので、この騒動の原因は、HSが意固地になって、宏洋氏の退職を認めなかったことにあると思う。もしあのとき、HSが宏洋氏の退職をすんなり受け入れていれば、話がここまでこじれることはなかっただろう。
 もっともHSが、宏洋氏の退会宣言を自分たちに対する批判であり、宣戦布告と受け取ったとしても、それは理解できなくもない。HSは信者たちに対して、HSは社会的信用があると繰り返しているし、教祖が離婚した時には、宏洋氏も含めて五人の子供たちはみな教祖側についたとも主張していた。宏洋氏の退会宣言はそれらを否定するものであるし、HSがこれに反論したくなるのも致し方ない。
 でもHSの退会宣言というものは、HSを信じていないことを告白することであるから、どうしたってHSは信じる価値がないという主張につながるし、HSを少しも否定せずに退会宣言をすることはほぼ不可能だろうことを思えば、やはりHSはもう少し宏洋氏の退会宣言に対して寛大であるべきだったとは思う。


*信仰
 宏洋氏がはじめからエルカンターレを信じていなかったのか? それとも前は信じていたけれども後で棄教したのか? これは本人でなければ分からないことではある。
 でもいくら信仰者だからといって、常に100パーセントの信仰を持っているかといえばそういうわけではなく、心の中は信仰と懐疑とがせめぎあっているものではなかろうか。信仰が懐疑を圧倒しているときもあれば、懐疑が大きくなってきているときもあるというように。
 そうであれば、エルカンターレを信じていたのか、信じていなかったのかという問いは、いささか大雑把すぎるし、いまさらあまり意味がある問いとも言えなかろうし、そういう内面の問題は本人にまかせるしかないと思うのであるがいかがだろう。
 ところでHSは繰り返し、宏洋氏の過去の信仰告白動画を持ち出すけれども、中年以降の大人からしたら、この動画の宏洋氏はまだほんの子供にしか見えないし、そんな子供に公の場で信仰告白をさせた上に、それを後々になって当人を批判する材料にするなんていうのは、どうも良識ある判断とは言い難いところはある。
 仮にHS信者のなかに、宏洋氏の過去の信仰告白動画を発掘してさらす者がいたとしても、それが即、教団全体の汚点となるわけではなかろうが、HSの公式ページのなかで、こういう動画を繰り返しさらし続けるならば、それはHS全体の品格を疑わせる結果となり、決して教団の利益とはならないのではなかろうか。
 論争における勝敗と、世間の評判とは別問題であろうし、相手の言動の矛盾点を突いてやり込めたとしても、その方法が世間的に是認されるものでないときは論争に勝利したとしても、評判は地に落ち、その回復は不可能となる場合もなくもない。裁判もこれと同じだ。裁判に勝てたとしても、その過程において倫理的に問題ありとされる言動があれば、裁判なんてやらない方がよかったという結果にならないとも限らない。HSはこの辺りの判断はもっと慎重であってもよいのではないかとは思う。


*金太郎飴
 大川総裁が清水富美加はかわいいと言ったら、信者はそれに合わせないといけないという宏洋氏の発言は、ちょいちょい議論になっているけれども、傍から見ているとこれはあくまでたとえ話であろうし、これをそのまま大真面目に受け取って反論しているHSは、正直言ってちと滑稽に見える。
 でもあえてこの話にのっかっていうとすると、以前のHSでは、きょう子氏がそのような立ち位置にあったと思う。きょう子氏は教団内では、美の女神アフロディーテであり、とても美しいとされていて、これに異論を述べる会員なんていなかった。
 そういえばその当時、支部を訪れた二十歳前後の一般女性が、きょう子氏は美の女神アフロディーテだと聞かされて、けげんな表情をして何か言いたげな素振りを見せつつも口を閉じたまま何も言わないという微妙な反応を示し、その内心を察した周囲の会員も黙り込むという気まずい空気になったことがあったけれども、こんなふうに美醜の問題についてさえ、会員たちは大川隆法の言葉に従い、自分の判断を率直に口に出せないということはあったのだった。
 またこれとは別に、大川総裁が地獄的であると評した本、映画、人物などについては、昔も今も大概の信者たちは右へ倣えとばかりに同調しているだろう。これにはよほどの変わり者の信者でもなければ反対はできないだろう。
 もう少し踏み込んでいえば、大川隆法が、B、C、Dは高級霊または善きものだとし、E、F、Gは悪魔または悪しきものだとした場合、信者は自分の判断によってB、C、Dのどれかを特に強く支持することはできようが、E、F、Gのどれかを選び、支持することはできないだろう。これに対して、いくらHS側が信者はB、C、Dのうちなら自由に選べるのだから、HSは信者の個性と自由を認める団体だと主張したところで空しいだけである。
 HS側は、さもHSは個人の自由を尊ぶ団体であるようにいうけれども、ORの決めた枠内で思考し、行動することで満足できる人であればHSは自由と感じるだろうけれども、その枠内を超えて思考し、行動したい人からすればHSは窮屈きわまりないものなのだから仕方がない。
 それにそもそも大川総裁自らが、地上に降りた仏陀(大川隆法)が正邪善悪を決めるとか、自分の言葉が法となるなどと宣言していただろうし、この点、信者は自分の判断を大川隆法に合わせなくてはならないという宏洋氏の指摘は正しく、これをひっくり返すには大川隆法の語る言葉は法でも真理でもないとしてエルカンターレ信仰を真っ向から否定でもしない限りは無理である。HSはもっと正直になって、HS信者たちはみな、自分の価値観を、大川隆法の価値観に合わせることを目指していると言った方がよいと思う。


*伝聞
 さいごに、この動画では、与国氏は、在家信者氏から宏洋氏の動画内容について話を聞き、コメントするという形式になっている。まるで与国氏は自分で宏洋氏の動画をチェックすることなしに、人から聞いた話をもとに、あれこれ意見を言っているようだ。
 構成、脚本の都合でそうなっているだけかもしれないが、もし与国氏は、宏洋氏の動画を見ることなしに、伝聞だけであれこれ言っているのであれば、それはまずかろう。ここは修正した方がいいと思う。