生命の實相 愛蔵版 第16巻
 本書には、「耶蘇傳」「釈迦と維摩詰」「月愛三昧」の三篇が収録されている。
 「耶蘇傳」は福音書を下敷きにしているようだが、全体の話の流れも、登場人物の個性、行動も大胆に変更されている。イエスの説法では著者の思想が語られ、「本来××なし、実相あるのみ」という風な著者の好む表現が多用されている。十字架については、十字架に架けられたのはイエスではなく、弟のイスキリであるという東北の戸来にある伝説よりも、もっと大きな改変がされている。これには驚いた。
 「釈迦と維摩詰」は題名からも容易に想像できるように、維摩経と関連しているが、これも「耶蘇傳」がそうであったように、著者流に大きく変えられ、作中の維摩は著者の思想を語っている。
 「月愛三昧」は前半は釈迦伝で、後半は阿闍世太子の物語になっているが、これも一般的なそれとは異なり、著者流の設定、思想によって再構築されているところは上の二作と同じだ。
 自分はどちらかといえば保守的な方なので、伝統的な事は出来るだけそのままの形で保存し、むやみに改変はしない方がいいという考え方なので、古典聖典に記されたことや、昔からの言い伝えなどは変えるべきではないとは思うのではあるが、それはそれとして戯曲の中で語られている台詞には、よく納得できたり、感動したものも多かったのは事実ではあるし、この点は読んで良かった。もし古典聖典を下敷きにしたものでなく、著者自身のオリジナルの戯曲もあるならば、いつかそちらも読んでみたいと思う。