これは森田草平が夏目漱石について語った文章である。どうやら森田草平から見た漱石は、むやみに人を疑うようなことはしなかったらしい。
實際、先生は自分で嘘を云はれないから、他人の言葉もその儘正直に受取る癖があつた。

(『漱石全集月報』岩波書店、1976年、p.308)
 恥ずかしながら自分の場合はどうかと考えてみると、常々、相手の言葉をそのまま素直に聞くように心掛けてはいるものの、被害妄想の気もあってか、嘘をつかれているのではないか、騙されているのではないかなどと無用の心配をして人を疑ってしまうことは少なくないというのが正直なところだ。
 また自己顕示欲が強いせいか、自分は物事の本質を見抜き、嘘を喝破することができるということを人に見せつけて、自己を誇りたい気持ちもあって、必要以上に相手の言葉のウラを考えてしまうことも無きにしも非ずなのだから情けない。
 でもこんな自分であっても、ネットを見るようになってからは、そういう欠点をよりはっきりと自覚できるようになったのはよかった。ネット上の議論を見ていると、相手の言うこと為すことをやたらと疑う輩がいるし、信じることを尊しとする宗教信者(一部のHS信者)でさえそういう風に疑心暗鬼に陥っている場合がある。また相手の言葉を変に捻じ曲げたり、おかしなウラ読みばかりしたあげく、ちょっとした事実誤認や間違いを見つけては、さも相手の嘘を見破ったかのように誇らしげに語り、自慢する人もいる。
 自分としてはそういう場面を見るたびに、我が身の至らなさを反省しないではいられないし、人の言葉はなるだけ素直に受け取ることができるようになりたいと思うのだ。人の振り見て我が振り直せというけれども、昔の人は本当にうまいこといったものだ。あまり好きな言葉ではないけれども、自己研鑽のためには、理想に学ぶだけでなく、時には反面教師に学ぶということも必要なのだろうと思う。