野村傳四氏によると、夏目漱石は悟りについて次のように言っていたそうだ。
私は途中、先生に「悟り」と云ふ事を御尋ねしたら、先生は言下に「彼も人なり我も人なりと云ふ事さ」と敎はつた事を明らかに記憶して居る。

(『漱石全集月報』岩波書店、1976年、p.355)
 これは「一切は過ぎ去ってゆきます」と言うように、目の前の現実をそのままを語っているだけで、言葉としては随分単純なものではある。でも自分はミジュクであるせいか、いまだにこの考え方を身につけることができていないのだから恥ずかしい。言葉の意味は分かっているつもりなのだが、どうにもこうにもこの言葉通りの思考ができないのだ。
 生まれつき、根がどこまでも理想主義者にできているせいか、いったん相手に惚れ込んでしまうと、極端に美化して神のような存在にまつりあげてしまったり、はたまた臆病で被害妄想の癖があるせいか、相手によくない印象を持った時には、その人は悪意に満ちたモンスターかなにかのように決めつけてしまったりして、ついつい相手も自分と同じ人間だということを忘れてしまうのだ。これは本当に反省しなければならぬ。
 そういえば随分前に見たジョン・レノンのドキュメンタリーでとても印象的な場面があった。ジョン・レノンは自宅の庭内に忍び込んできた熱烈ファンらしき若者に対して、自分の姿をよく見ろ、他と変わらぬ人間だろうとか何とか言っていたのだった。どうも自分のことを英雄視したり、偶像化するなということらしかった。そしてその後は、しょんぼりしている若者に朝食は済ませたかを問いかけ、まだなら食べて行けと優しく声をかけていた。
 これはヤラセ無しの事実だったのか、それとも脚本があったのかは分からないが、どちらにしても名場面であろうし、ジョン・レノンは「彼も人なり我も人なり」を悟り、身につけた人だったのだろうと思う。
 でも自分はこの場面を思い出すたびに、やっぱりジョン・レノンはすごいと、ますます神格化してしまっているのだからどうしようもない。自分がこれを悟るにはまだまだ時間がかかりそうだ(笑)。