HSの教義はその時々で改変されるものなので、いまはもう変えられたかもしれないが、自分が会員だった頃のHSでは、拝み屋さんや伝統宗教についてはかなり否定的な見方をしていたのだった。拝み屋さんのほとんどは偽物で悪霊に憑依されているとか、伝統宗教は形式主義に陥っているだとか…。
 自分は会員だった頃はこれをそのまま信じていたのだが、退会したあとは、実際に拝み屋さんと会ったり、宮司さんの仕事ぶりを見る機会があったりして、段々とそういう考え方からは離れて行った。
 まず自分が会った拝み屋さんは物静かで、落ち着いた雰囲気の人だった。悪霊に憑依されていると感情の起伏が激しくなり、ちょっとしたことで激怒したり、常識から外れた奇行が出たりするというけれども、そういうところは全くなかった。神様のことを信じていて、神様の話をすることが大好きで、迷っている霊がいればたすけてあげたいと思っている優しい人だった。
 肝心の儀式の際には、拝み屋さんは祭壇に向かって正座をし、二、三時間にわたって一心不乱に祝詞を唱え続けていた。その間、背筋を伸ばし、膝を崩すこともなく、気を引き締めて、本気で祈りつづけていた。それでいてお金はロウソク代という名目で二千円だった。
 次に伝統宗教について書くと、自分が出席したとある神葬祭における宮司の祝詞は、故人の生涯を語り、労い、讃え、平安を祈るものであって、もし故人が聞いたらきっと喜んでくれるにちがいないと思えるものだった。この宮司さんは神葬祭のときはいつも、遺族から故人の話を教えてもらい、それをもとにして祝詞を用意する人だとのことである。きっとそれだからこそ、宮司さんの祝詞には、参列者のみなが熱心に聴き入ったのだろうと思う。これはどんな詭弁を用いても、形式主義に陥っているなんて言えなかろう。
 もしかしたら自分が出会った拝み屋さんも、宮司さんも宗教界では例外的な存在であり、自分はたまたま当たりを引いただけなのかもしれない。でも自分は根がお人好しにできているせいなのか、これが普通であるように思えてならない。拝み屋さんにしろ、宮司さんにしろ、基本的には善い人が多いのではないかなと…。そういうわけで、先に書いたようにHSでは他の宗教者を低く見るところがあって、自分はそれを信じてしまったこともあったけれども、いまははっきりとそれは間違いだったんだと思うようになっている。