モラル・アニマル(下)
 上巻では男女の心理の相違について語られていたが、本巻ではいよいよ良心、モラルについて考察し、それらは進化の過程で形成されたものであり、それには「しっぺ返し」という生存戦略が深く関わっていることが明らかにされている。「親切な行為には親切な行為で返す」(p.42)という戦略は、はじめに親族内で、次にはもっと広い範囲で広まっていったと。
 自分は利他的行為の理由については、血縁淘汰の話は理解できても、それより広い範囲を対象にした場合は、どうしても群淘汰的な考え方をしてしまっていたのではあるが、「しっぺ返し」戦略の話を読んでおぼろげながらも群淘汰は間違いだということが了解出来た。
 恥ずかしながら自分の内面を見た場合、利他的行為は血縁者に対しては自分に近い相手ほど何らの見返りがなくとも続けられるが、そうでない者に対してはどうしてもそんな風にはできそうもない。自分の利他的行為に対して見返りは望まない、望んではいけないと思おうとしても、他人に向けたそれに対しては何の感謝も、お礼も、見返りもない場合は単発では可能でも、長期間にわたって続けるのはどうしたって無理だ。中途で嫌になって止めてしまうだろう。この点、利他的行為の根っ子には「しっぺ返し」戦略があるというのはリアリティがあるし、事実らしく感じられる。おそらくは他の人々もそうではあるまいか。
 ちなみに著者はこういう相互利他性について、人以外にも、チスイコウモリやチンパンジーの例を挙げて説明している。チスイコウモリは、満腹している個体は腹の中の物を吐き出して飢えている個体に分け与え、あとで両者の立場が逆転したときには、前のお返しとして今度は逆に食べ物を分けてもらうのだという。またチンパンジーは仲間同士で協力して敵と戦ったり、「愛撫をして元気づける」(p.46)こともあり、さらには裏切りにたいしては憤慨した様子を見せたりもするという。こうしてみると利他的行為は人に限定されるものではなく、人と動物とでは程度の差はあっても連続しているということは否定できないだろう。ウォレスは人の肉体については進化論で説明できても、その精神についてはそれはできず、神によって吹き込まれたものだと考えたらしいが、ことここに至っては人の肉体だけでなく、精神についても進化によってできたという主張を覆すのは難しかろうと思う。
 著者は註の部分で「おそらくいつの日か進化心理学者は、私たちが「良心」と呼ぶつかみどころのないものが、実はさまざまな機能を果たすためにデザインされたひとつひとつの適応からできあがっていると証明してみせるだろう」(p.272)と大胆なことを書いているが、これが本当に現実になるかどうかはともかくとして、今後ますます良心が存在するということの神秘性、宗教性は失われて行くと考えて間違いはなさそうだ。もちろんこれは人に良心がある理由について神を持ち出さなくとも説明できるということであって、神は存在しないということまでは言えないのではあるが、ただ今後ますます神の領域は狭まってゆくということだけは確かではあろう。