*HSとキリスト教の相違点(信者)
 前々から思っていることだけども、幸福の科学(HS)とキリスト教とでは、批判に対する態度が大分ちがっているのはとても興味深い。
 たとえば、ネット上での議論では、HS信者は、批判に対して猛反発することが多い。批判内容についてさして考察するのでもなく、頭ごなしにアンチだとか、唯物論者だとか決めつけて非難してくる。批判までいかない疑問の提示くらいでも、不信仰だと怒る。相手の話をきちんと聞いて返事をする者は極めて稀だ。
 これに対して、キリスト信者はどうかといえば、過去に匿名掲示板で議論した経験からすると、批判に対して、アンチだ、唯物論者だ、不信仰だなどと決めつけ、罵ってくる者は皆無だった。自分はこれは意外だったので、その理由についてたずねると、「批判するということは、それだけ関心があるということだから、無関心よりずっとよいです。キリスト教を批判していた者が、のちにクリスチャンになるということは、過去にもあったことです」とのことだった。また救世主を自称する大川隆法を批判しなくてよいのかと問うたときは、「自称救世主はたくさんいますから、いちいち相手してられません」とのことだった。
 キリスト信者にもいろいろな人がいたが、HS信者のように批判に対して猛反発してくるとか、人の話を全然聞かないという人は稀だったとは言える。


*HSとキリスト教の相違点(教団)
 次に信者個々ではなくて、教団の対応について比較すると、HSの方は、批判記事を掲載した週刊誌を訴えることが多いし、元信者との訴訟では、「「批判的言論威嚇目的訴訟」(スラップ)という独自の類型を成立させる」ことにもなったという過去がある。
 キリスト教の方はどうかといえば、現代日本において、批判者を訴えたという話は聞いたことがない。検索すると、キリスト教のなかでは、クリスチャントゥデイについての議論、裁判があったようだが、キリスト教が、HSのように批判記事や書籍の著者を訴えたという話は聞いたことがない。


*結論
 HSも、キリスト教も、どちらも宗教であるという点では同じである。けれども上のような比較をしてみると、両者を同列に論じることはできないのは確実だ。
 もちろんどちらにも、いろいろな信者がいるわけで、それを無視して、どうだこうだと決めつけることはできない。でもそれはそれとして、全体的な印象からすれば、やはり両者にはかなりのちがいがあると言わざるを得ない。HSは宗教の中では自分らが一番であるというけれども、もっと謙虚になって他宗教を研究し、見習うべきところは見習った方がいいのではないかと思う。
 蛇足ながら、今までにいろいろなキリスト教批判を読んだことがあるけれども、そのなかには一神教は排他的、攻撃的であるとする主張がよくあった。でも上のような自分の経験からすると、必ずしもそういうわけではないし、ことはそれほど単純ではないと思う次第である。