*信者ブログ
 ひさしぶりに信者ブログを見ていたら、次の記事があった。


 これはいかにも信者らしい意見だと思う。


*よくあること 1
 ちなみに信者とアンチのやりとりでは、次のようなズレがよくある。

アンチ「大川隆法は神だというのはおかしい。そんなことはないだろう」
信者「神を信じるのはおかしくない。信仰は尊いことだ。信仰を否定するアンチは無神論者だ」

 上の記事は、楽山批判かどうか判然としないところがあるが、もしそうだとすればこれと同様のズレがある。たとえばこんな風に。

楽山「教祖(大川隆法)は神だと崇拝し、妄信して、自分を見失ってはいけない」
信者「きちんとした師の弟子となり、きちんとした指導を受けることは正しいことだ。師に学ばず、自分勝手流で学んだ気になってはいけない」

 これは、「生き神様信仰や個人崇拝はおかしい」というHSの問題を指摘する意見に対して、「神を信じることは尊いし、師に学ぶことは正しい」という一般論で返すというパターンだが、信者とアンチの議論ではこういうことが頻繁にある。
 自分は気が長い方だとは思うが、さすがにこんなことの繰り返しには疲れたし、いちいち注意するのも面倒くさくなったよ(笑)。


*原因
 ちなみに、このズレの原因は、信者が自分の信仰を客観視できていないことにあるように思われる。
 たとえば上のやり取りを、信者の内面を想像しながら書くとこうなる。

アンチ「大川隆法は神だというのはおかしい。そんなことはないだろう」
信者「(大川隆法総裁は至高神エルカンターレである。大川隆法総裁を信じることは神を信じることだ。)神を信じるのはおかしくない。信仰は尊いことだ。(神の中の神である至高神エルカンターレへの)信仰を否定するアンチは無神論者だ」

楽山「教祖(大川隆法)は神だと崇拝し、妄信して、自分を見失ってはいけない」
信者「(大川隆法総裁は仏陀である。仏陀のような)きちんとした師の弟子となり、きちんとした指導を受けることは正しいことだ。(それにもかかわらず、仏陀である)師に学ばず、(その教えに逆らい、否定するために屁理屈を積み重ね、詭弁を弄し)自分勝手流で学んだ気になってはいけない」

 本来なら、カッコ内の思いは特殊であるから、それが真であることを証明しつつ語らなければならないのではあるが、信者にはそれは特殊でも何でもなく、まぎれもない事実に思えているのだろう。だからそれが真であることを証明することなく、当然のこととして自説を主張するのだろう。
 この辺りの問題が解決されない限り…つまり信者がHSの信仰から離れるか、それはかなり特殊なものだと自覚しない限りは、こういう対話のズレは解消できないだろうと思う。


*よくあること 2
 ところで、信者とアンチのやりとりでは、次のようなブーメランもよくある。

信者「アンチは悪口ばかりいっている。それではいけない」
アンチ「大川隆法は、きょう子さんのことを口が臭かったとか、部屋もトイレも汚いとか、しょーもない悪口ばかりいってましたね」

 上の記事も、このパターンに陥っている。

信者「宗教を学ぶ際に、自分勝手な解釈はいけない」
アンチ「大川隆法は、イエスが主と呼んだのは自分(エルカンターレ)のことだと主張してますね。聖書のどこにそんなことが書いてありますか。自分は仏陀であるとか、仏陀も生まれ変わるとしてますが、仏典のどこにそんなことが書いてありますか。仏教もキリスト教も正式に学んだことがないのに、自分勝手解釈をして分かったつもりになってるのではありませんか」

信者「書籍を自己流に読んだだけで分かったつもりになってはいけない。きちんとした師から、きちんとした指導を受けることが大切だ」
アンチ「大川隆法は基本的に個別指導はしていませんね。長男宏洋氏とさえも、二人きりで話をしたことは稀だといいます。また個人相談などは行わず、講義や講演をテープや書籍にして学んでもらうのが効率的だともしてたでしょう。『読めばわかーる』として本を読みさえすれば分かるというのもこの流れでしょう。大川隆法には個別指導の大切さを理解してほしいですね」

信者「真によき教えを説き、行動しているなら、多くの賛同者が現れるものだ」
アンチ「大川隆法とHSとは、さまざまな分野への進出を試みていますが、宗教界だけでなく、政治、経済、教育…どの分野でも孤立していて、他者や他団体との協力も交流もないですね。教団広報では大川隆法は多くから支持され、讃美されているかのように宣伝するけれども、実際のところは世間的にはまだまだ無名であるし、世界宗教者会議のような場での講演を依頼されたということもないですね」

 このように、信者には気の毒なことだけど、信者が正論をいえば、それはそのまま大川隆法批判になってしまうという形になっているのが現状だ。
 信者にとって大川隆法は特別な存在であり、神聖不可侵であろうから、そんなことは思いもよらないことかもしれないが、これが現実なのだ。信者はこの点は気をつけた方がいい。そうでないとどんなに正論を語っても、アンチを批判しても、ブーメランになるばかりだ。