『釈迦とイエス』ひろさちや著
 著者は本書の冒頭において、信仰上の仏陀とキリストではなく、人としての釈迦とイエスについて書くとしており、どんな話が読めるのかと期待したのではあるが、釈迦の出家の動機は、さとりのためというより、天女を抱くためであったしている箇所には意表を突かれた。
 著者によれば、当時のインドでは、この世において功徳を積めば、天界に生まれ変わり、美しい天女と戯れ、種々の快楽を味わうことができると信じられており、ヤショーダラーはそれがために釈迦は出家したと推測したという話が伝わっているのだそうな。
 また釈迦は、美しい婚約者のことが忘れられず、修行に身が入らぬナンダに対して、真面目に修行すれば天界に生まれることができ、そこでは美しい婚約者よりも、もっとずっと美しい天女を妻にできるのだぞと教え諭したという話もあるという。
 こうしてみると、著者の話には全く根拠がないわけではないらしい。でもそれでもやっぱり自分は、この手の話にはどうにも抵抗を感じないではいられない。信仰上の仏陀でなく、史実に基づいて人としての釈迦の実像を探るということには意義はあるだろうけれども、釈迦は俗人とさほど変わらぬ下心ありの男であったという見方にはどうにも承服し難いものがある。
 とはいえ、本書ではキリスト教については、興味深いことが書いてあった。著者によれば、「キリスト教においては、信ずることによって救われるのではない。その逆であって、救われた者のみが信ずることができるのだ」(pp160-161)とのことである。
 この考え方については、キリスト教の神学的な是非判断はともかくとして、この前に書いた記事のテーマと同じものなので、おぉっと驚き、感動できる言葉であった。本を読んでいると、こんな風に自分の考えている事柄に対する答え、ヒントと出会えることがあるので楽しい。