*過信
 前の記事に続いて、十二国記を読んでいたら、また耳に痛いことが書いてあったのでメモしておきたい。
貴方に恥ずべきこと――後悔すべきことがあるとすればただ一つ、それは確信を疑わなかった、ということです

(『華胥の幽夢』小野不由美著、新潮社、令和元年、p.296)
 恥ずかしながら、自分は若い頃に、カルトにハマってしまったことがあるのだが、そのような失敗をした原因は、まさにここに書いてある通り…「確信を疑わなかった」ことにあったのだった。
 当時の自分は、「この教えは真実だ!」「教祖はまさしく神だ!」「自分はこの宗教と出会うために生まれてきたのだ!」と強く確信して、それを少しも疑わないままに駆け出してしまった。
 本当なら、その確信は正しいかどうか時間をかけてよく考えてみるべきだったし、頭を冷やすためにいったん対象と距離をおいたり、他者の忠告にはもっと真剣に耳を傾けるべきだったのに、確信という幸福感に溺れてそれができなかった。これが自分の失敗の原因。いやはや、自分はあきれてしまうほどの愚か者だなと思う。反省。
 司馬遼太郎の講演で、思想的な酩酊体質について語ったものがあるが、思想・宗教について強く確信することは、思想・宗教に酔うことでもあって気持ちの良いことだが、酔えば判断力は鈍るものだし、思わぬ失策をすることもあるので、ここはよくよく注意すべきなのだと思う。