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*棄教者の心情
 『ジョイランド』については、以前、記事にしたことがあるのだが、先日再読したら、次の台詞が心にしみた。
少女のころは、それを一所懸命信じようとしたけどできなかった。神様と天国は、歯に住んでいる妖精より四年は長持ちしたけど、やっぱりうまくはいかなかった。

(『ジョイランド』スティーヴン・キング著、土屋晃訳、文藝春秋(文春文庫)、2016年、p.314)
 これは有名な伝道師である実父から離反した娘の告白であるが、信仰は本人の意志のみによっては保つことはできないということがよく分かる言葉である。信仰とは人の自由にはならず、いってみれば本人以外の何か…環境、遺伝、自然、運命などによってもたらされ、また奪われるものなのだろう。
 こうしてみると、宗教に関しては、自身の努力によって達成できることは想像以上に少ないのであろうし、信仰も棄教も神の御業によるとする考え方が生まれた理由も分かる。
 ちなみに、本作『ジョイランド』は、年取った男が遠く過ぎ去った青年期の失恋、仕事、友人、初めての経験、殺人事件の調査、犯人との遭遇などを語るといったミステリー・ホラー風味の青春小説である。





◇◆ 追記 2021.4.11 ◆◇


*切実な祈り
 谷口雅春の詩を記事にしたことを思い出したので、ここにも貼っておきたい。
背教の心起これば野に出でて霧に泣きぬれひれ伏して祈る

(谷口雅春『生命の實相 頭注版 第19卷』(自傳篇上)日本教文社、昭和50年、p.140)
 谷口雅春についてはさまざまな評価があるだろうけれども、少なくともこの詩からすると信仰について本気で悩み抜いた人なのだろうと思う。