「第十八講 ヨブの見神(二)」を読んだので、印象に残った箇所と感想をメモしておきたい。
  • 「第三十八章の研究」。
  • 「有名なるドイツの科学者フンボルトは科学者は自然現象を説明し得るもその意味を説く能わずというた」。
  • 海の動揺(心の動揺)は人には制御し難い。しかし「我らより熱誠なる祈の出ずる時、神はその大なる御手を伸ばして海を制し給う」。
  • 「神の造りし荘大なる宇宙とその深妙なる運動、神の所作と支配、そこに神は見ゆる」。
  • 「一人の人を真に知らんためには、その人の作物を見るを最上の道とする」。神を見るには「彼の所作物たる宇宙とその中の万物を見るべきである。その中に彼の真の姿が潜んでいる」。
 自然の中に神を見るというのはよく聞く話ではあるし、それは自分も感じたことはある。「このようなものが偶然にできるものだろうか。そんなことがあるとは思えない。このようなものが存在するということは、やはりその背景には何らかの意思があるはずだ」など。
 でも自然の中には美しいものばかりではなく、醜いもの、酷いことも多くある。肉食獣は他の動物を生きたまま貪り喰うし、寄生バチ、カッコウなどの残酷な習性をもつ生物もいる。これまでに多くの種が無残にも絶滅したともいう。これらの事実からすると、自然は神に由来するという考え方にはどうにも疑問を感じないで入られなくなるし、自然によって神を知ろうとするのは想像以上に困難な道になりそうにも思えてくる。もしかしたら自然の見方が浅いせいでこのような考え方をしてしまうのかもしれないが、とりあえずはこれが現時点での正直な感想ではある。