*新鮮な考え方
 宗教では信じるか信じないかということは重要な論点ではあろうし、自分もそのように考えていた。
 でも中村圭志氏の著書を読んでいたら、それとは正反対の考え方が提示されていたのでメモしておきたい。
一般的に言って、宗教に関してむしろわたしたちが気にすべきことは、「信じる/信じない」の境界線ではなく、宗教を構成する要素(教義、儀礼、歴史、開祖に関する事柄)を「知っている/知っていない」の境界線の方です。信じるか信じないかは、こう言ってよければ、主観的な問題です。しかし、基本的な情報を知っているか知っていないかは客観的な問題です。非信者の側として、注意すべきはこちらのほうでしょう。

(『信じない人のためのイエスと福音書ガイド』中村圭志著、みすず書房、2010年、p.9)
 著者が言うには、たとえばキリスト教を信じるといっても、福音書にある奇跡を文字通りに信じる人もいれば、それを信じない人もいるし、そもそもそんなことはどうでもいいという人もいる、イエスを超能力者か何かのような存在だと信じる人もいれば、イエスの徳の高さこそが神の証と信じる人もいるなど、その信じ方は様々で原理主義的なものもあれば、信じないに近いものもある、信じるか信じないかの間には明確な区分はなく連続している、それならばそこにこだわる必要はないのではないかということらしい。
 そう言われてみれば確かにその通りではある。信じるか信じないかという主観にこだわりのある信者からすればこれに同意はできぬかもしれないが、そこにはこだわらず客観的な情報を得たいと考える非信者にとっては信じるか信じないかはそこまで突き詰めて考えねばならぬ必然性はなく、それよりは知っているか知っていないかの方がよほど重要ではあるだろう。


*愉快
 知ることと信じることについては、自分なりにあれこれ考えてきたつもりではあったが、恥ずかしながら自分は上のようなことは思いつきもしなかった。
 それだけに本書を読んでこういう考え方を知ることができたのは愉快である。近頃は読書欲が衰えてきていたのだが、やっぱり読書というものはいいものだと改めて感じた次第である。