『日本国紀』百田尚樹著(2018年)

*日本人はすごい!
 『日本国紀』を通読してみた。日本人の優秀さを示すエピソードがいくつも紹介されているので、「日本人はすごい!」と思えた。
 とはいえ、万世一系に関する記述については疑問に感ずるところはあった。


*万世一系
 まず著者は、万世一系についてこう書いている。
我が国、日本は神話の中の天孫の子孫が万世一系で二十一世紀の現代まで続いているとされている。こんな国は世界のどこにもない。 

(『日本国紀』百田尚樹著、幻冬舎、2018年11月10日第一刷、p.8)
日本は神話とともに誕生した国であり、万世一系の天皇を中心に成長した国であった。

(同上、p.486)
 日本は「万世一系の天皇を中心に成長した国」だというのは、保守としては当然の主張だと思う。


*王朝交代あり?
 でも著者は、他の箇所では皇統は断絶しているとしている。
歴史研究家の中には、この時に王朝が入れ替わったのではないかという説を唱える人が少なくない。仲哀天皇は、熊襲との戦いで戦死し、代わって熊襲が大和朝廷を滅ぼして権力を掌握したという説だ。なら、なぜ日本書紀にそれが書かれていないのか。記紀が書かれた八世紀頃は、「皇統は万世一系であらねばならない」という不文律がすでにあったので、記紀編纂者がそのあたりをうまく工夫して書いたというのだ。定説にはなっていないが、私はこの説はかなり説得力があるものと考えている。

(同上、p.26)
現在、多くの学者が継体天皇の時に、皇位簒奪(本来、地位の継承資格がない者が、その地位を奪取すること)が行われたのではないかと考えている。私も十中八九そうであろうと思う。つまり現皇室は継体天皇から始まった王朝ではないかと想像できるのだ。

(同上、pp.31-32)
 万世一系に対して異説が存在するという紹介だけなら、さして問題はない。
 でもここでは、その説を紹介するだけにはとどまらず、強く支持するところまで踏み込んでいる。
 これは、日本は「万世一系の天皇を中心に成長した国」だという先の主張と矛盾するのではなかろうか。


*著者の見解
 この矛盾について、著者の真意はどういうものなのかと頁を繰ってみると、こんな記述があった。
「万世一系」という考え方がどのようにして生まれたのかはわからない。しかし『日本書紀』編纂時にはすでに、崩してはならない伝統としてあったと見られる。これ以後、千三百年以上にわたって男系は一度も途切れることなく継承されている。

(同上、p.34)
 つまり万世一系は途中からだということらしい。
 著者はさらりと書いているけれども、これは保守、右派という立場からすれば相当に大胆な発言だろうと思う。



*いろいろな歴史観
 本書にはさまざまな批判があり、その中には「歴史ファンタジー」という揶揄もあった。
 自分はこれらを読んで、本書は相当に右寄りなものなのだろうと想像していたのだけれども、上記の点を見る限りにおいては自分にはとても右寄りとは思えなかった。むしろ左寄りではなかろうか。もっともこの辺りの判断は相対的なものにすぎないかもしれないけれど…。
 ところで、『日本国紀』の評価は人それぞれとしても、一人の作家による通史というアイディア自体は実に面白い試みであると思う。これを機会に、他の著者による通史も読んでみたいものである。
 通史ブームが到来し、幾人もの作家たちがそれぞれの視点から綴ったさまざまな通史…皇国史観によるもの、唯物史観によるものなど…を刊行したなら愉快だろうと思う。