*つづき
 以下は、前記事のつづきです。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


> shalomさん

あなたは、「人が有限で、相対的」を認めながら、なぜ、十字架の贖いによって罪は赦されるから気にしなくていい、などと言うのでしょう。また、そう言ったことを、なぜ、ここに書かず、体のいいことばかり書いてくるのでしょう。
2018/9/30(日) 午前 2:30st5402jp



そして、なぜ、あなたは、訂正不能なのでしょう。また、迷い、葛藤しながら、生きていくことが大事だなどと書いていますが、なぜ、あなたは、誠実に向き合い、などと言いながら、おびただしいコメントを、日々、自分で削除しておきながら、神に任せるのが一番、などと白々しい嘘を言ったのでしょう。
2018/9/30(日) 午前 2:36st5402jp



> shalomさん

息を吐くように嘘を吐く、というのは、あなたのこと。
2018/9/30(日) 午前 2:40st5402jp



私の「いのちのパン?」に
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18423721.html
その一部を書いています。
2018/9/30(日) 午前 2:46st5402jp



stさんと、shalomさんのやり取りなどを見ていて思ったのだけど、
shalomさんは、リベラル寄りなんでしょうかね。
聖書に対する向き合い方とか、なんとなくそんな気がしたのだけど…ちがうかな。
2018/9/30(日) 午後 5:10[ 楽山 (自由) ]



コメ欄をざっと見直してみたけど、shalomさんは挨拶的なことは書いても、嫌味とか、悪口とかは書いてないみたいですね。
でもstさんからしたら突っ込みどころ満載のようだし、うーん、この辺りはなかなか難しい…。
2018/9/30(日) 午後 9:07[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん

シャロム氏は、自由というより放任だと思います。自分が肯定されれば、人のことはどうでもいいんじゃないかと思います。だから世辞が多い。批判するだけの理路を組み立てられないからだと思います。言葉の使い方がいい加減で、最近覚えた言葉というのを使いたがるようです。今は、未分化とか。彼は不分化でしょうけど。以前、アンビバレントという言葉を覚えたら、早速言ったのは、神はアンビバレントなお方だから・・と。神は葛藤や病因を抱えて悩むのか、って話です。失礼しました。
2018/10/1(月) 午前 3:20st5402jp



> 自由さん おはようございます
リベラルと言う言葉の意味を確かめてみました。

1 政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意。
2 因習などにとらわれないさま。

ということであれば、そうかもしれませんね。
自分はリベラルだとあんまり意識していることはありません。

沖縄県知事選 台風渦中の選挙で心配しましたが、よかったですね!苦難の歩みは続きますが…
2018/10/1(月) 午前 6:45[ shalom ]



>stさん

自由というより放任…実を言えば、これは我が身にも思い当たるところがあります。気をつけねば。
なんというか、人の心は変えられないということを痛感することが多かったせいか、その方向に行ってしまうんですよね。
2018/10/1(月) 午前 7:04[ 楽山 (自由) ]



>shalomさん

この辺りについてはどうでしょう。

・キリスト教のリベラル派とは?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1295290097
・自由主義神学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%A5%9E%E5%AD%A6
2018/10/1(月) 午前 7:05[ 楽山 (自由) ]



私が、シャロムを放任と言ったのは、間違っていると思うけど批判しない、あるいは、する勇気がない、ということではなく、
シャロムは、自分が正しいということについて無条件に神の啓示?を根拠していて、そこで無思考であるということで、人それぞれと言って、他者のことなどどうでもいい、というのは、やさしくもなく弱くもなく、しばしば嘲笑いを感じるほどに、バカにしているということです。つまり、敬虔の反対、信仰上あってはならない傲慢に当たります。自由でもなくリベラルでもなく、何も自覚できないまま、考えないまま、ふんぞり返っていられる、ということです。
2018/10/1(月) 午前 10:12st5402jp



シャローム氏が、他者に何の影響も与えないのであれば、彼が自己中心に思い込み信仰であっても、批判する必要はないのです。
シャロームが変なことを信じているから批判するのではなく、彼が変なことを言って人に影響を与えようとしているから批判しています。
2018/10/1(月) 午前 10:19st5402jp



> 自由さん

キリスト教のリベラル派とは?
自由主義神学についてを読んでみますと、
どちらかといえばリベラルではないと思います。また自由主義神学の立場でもないと思います。だからと言って、聖書の一言一句が逐語霊感説をとるものでもありません。
聖書は決して、歴史的、科学的なことを証ししているのではなく、神と被造物である人間と自然との関係、交わりの在り方を神によって神の民とされたイスラエルの歴史を通して証しされた信仰告白としての記録の言葉であると考えています。超越的な生ける神がイエスをマリヤによって受肉された神の子として、この世に遣わされ、神ご自身を証しされたように、有限で、相対的で死すべき人の知性や理性、経験によっては理解することができないことが書かれているとしても、聖書の言葉によってご自身の証しとしての啓示を記録として、神に対する信仰の基盤として私たちに与えられたことを信じています。
またその言葉が神に対する信仰告白の言葉であれば、信仰告白へ導き助けられた聖霊の助けなしには神の言葉として理解することも困難であると思います。それが自由主義神学の立場をとらない理由だと考えます
2018/10/1(月) 午前 11:47[ shalom ]



しかし、聖書がイスラエルの歴史における記録である以上、またすべての原書が残存しているわけでもありませので、批評研究の対象とされることを否定するべきではありませんが、文言として矛盾し、理解できないことがあるとしても、神の言葉であることを否定するものではないとも考えています。
聖書の言葉は生きていて力があるという聖書の言葉、証言は決して虚しい言葉ではありません。私の60余年の信仰の歩みによって私に与えられた確信です。
2018/10/1(月) 午前 11:48[ shalom ]



聖書の一言一句が逐語霊感説をとるものでもありません。
聖書は決して、歴史的、科学的なことを証ししているのではなく、神と被造物である人間と自然との関係、交わりの在り方を神によって神の民とされたイスラエルの歴史を通して証しされた信仰告白としての記録の言葉であると考えています。

科学的でないのは言わなくてもいいことです。その後、神の民であるイスラエルの問題点を書いていません。それが旧約聖書の核心であり、キリストの登場の必然性であります。
2018/10/1(月) 午後 1:39st5402jp



超越的な生ける神がイエスをマリヤによって受肉された神の子として、この世に遣わされ、神ご自身を証しされたように、有限で、相対的で死すべき人の知性や理性、経験によっては理解することができないことが書かれているとしても、聖書の言葉によってご自身の証しとしての啓示を記録として、神に対する信仰の基盤として私たちに与えられたことを信じています。

神、受肉、神の子、証、という超常、まるのままという説明です。極めつけに、知性や理性や経験で理解できない、そして、シャロームの自己正当化の便利ツールであるところの、啓示を持ち出しています。彼は正当化したいのは、神ではなく、彼自身なのです。
2018/10/1(月) 午後 1:39st5402jp



またその言葉が神に対する信仰告白の言葉であれば、信仰告白へ導き助けられた聖霊の助けなしには神の言葉として理解することも困難であると思います。それが自由主義神学の立場をとらない理由だと考えます

そして、もう一つの、シャローム教の根拠として、彼がでっち上げたのは、聖霊です。前から、私が言ってきたことです。その助けなしには理解できない、つまり、自分は聖霊の助けによって理解できるというわけです。人間を不自由に縛り付けるシャローム自己中心の神理解の立場が明らかになっています。
2018/10/1(月) 午後 1:40st5402jp



聖書がイスラエルの歴史における記録である以上、またすべての原書が残存しているわけでもありませので、批評研究の対象とされることを否定するべきではありませんが、文言として矛盾し、理解できないことがあるとしても、神の言葉であることを否定するものではないとも考えています。

まわりくどい。神の言葉だ従え、ということを、シャローム特有の、柔和気取りの、気色の悪い書き方です。真に受けないでください。
2018/10/1(月) 午後 1:40st5402jp



聖書の言葉は生きていて力があるという聖書の言葉、証言は決して虚しい言葉ではありません。私の60余年の信仰の歩みによって私に与えられた確信です。

シャロームは、聖書の言葉を、奇跡が起こる根拠としてのみ受けて、現実の、生きる心の魅力を全く無視して、伝えようとするのです。それが、シャローム60余年の反信仰の歩みによる訂正不能の確信すなわち妄想となっているのです。

異常、シャロームの社交的詭弁教室の正体です。インテリ気取りの文章に騙されないでください。
2018/10/1(月) 午後 1:41st5402jp



異常(誤)→以上(正)
2018/10/1(月) 午後 1:42st5402jp



アップ予定の私の記事がどんどん増えてゆきます。
2018/10/1(月) 午後 1:49st5402jp



シャロームは、本当に気持ち悪い詭弁家です。
2018/10/1(月) 午後 1:52st5402jp



このような、シャロームの、柔和と丁寧に見せかけた、とても回りくどいがゆえに詭弁だと気づきにくい詭弁は、ときに反対者への侮辱や嘲りに形を変えて、シャロームの自己愛と正当化のために使われてきました。今後、ぜひ、信仰では全く通じない言説の悪い見本として「シャロームの詭弁」を語り継ぐべきと考えます。
2018/10/1(月) 午後 2:01st5402jp



シャロームの社交と世辞は、それが全く必要のないところでも、使われます。彼の体質かもしれませんが、長い間に処世としてみについたものでしょう。
他のコメント欄での「ご自由に」「ざんねんですね。」「stさんへの神の素晴らしいみこころ、恵みが無にされていること」「自分のブログでの批判だけでは足りないのですか。」「(批判は)あなたの生きる証しでしょうから、これからも元気で続けられたらいいでしょう。」
これらは、対立している者に、そういうコメントの流れで、言ってはいけない、相手を軽く見ている揶揄の言葉になります。ぶん殴るより悪いこと、になりうるのです。
2018/10/1(月) 午後 2:20st5402jp



> st5402jpさん

失礼しました。
2018/10/1(月) 午後 4:45[ shalom ]



このシャロームのレスの意図は、その場しのぎのような気もしますが、まだ不明です。
今後のコメントや記事に表れるものよって判断する必要があります。
2018/10/1(月) 午後 5:01st5402jp



なお、私は、謝罪を求めてはいません。一連の批判の目的は、シャロームの信仰の誤りを指摘し、それをもって、シャロームが、キリスト信仰の名を用いて、自説を伝道することに、広く一般の読者が感化されないようにすることです。

キリスト信仰の伝道のあり方の問題ですから、シャロームが詫びを入れることで収まるような簡単な問題ではないです。シャロームが本音で議論が出来るとは思えないので、悔い改めるか、記事やコメントを控えるか、という問題になるでしょう。
2018/10/1(月) 午後 5:10st5402jp



>stさん

相変わらず手厳しいですね。
でも、あんまり厳しすぎると、shalomさんも言いたいことも言い難くなりそうだし、少しゆるめてもいいような感じはしますが、どうでしょう。
2018/10/1(月) 午後 6:38[ 楽山 (自由) ]



>shalomさん

リベラルというのは、自分の見当違いだったみたいですね。失礼しました。リベラル云々というのは引っ込めることにします。
2018/10/1(月) 午後 6:42[ 楽山 (自由) ]