*つづき
 前記事のつづきです。
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ちょっと読んでみたのですが、
自称マグダラは、易坊と私の区別もつかないようです。
2018/11/5(月) 午前 10:55st5402jp



シャロームは、奇跡で救われた体験があって、それを神と信じているようです。実際は、自分を奇跡で救ってくれる神を信じているのだと思います。奇跡は、人の都合で起こるわけではないですし、実際、滅多に起こりませんから、シャロームは、自分を守る化け物を信じているのでしょう。その化け物のしもべに相応しい者になってきたのだろうと思います。
2018/11/5(月) 午後 4:55st5402jp



シャロームは、ジャベールのことを引用しておきながら、元になった「レミゼラブル」のストーリーを全く踏まえていないために、私のレスに、決めつけと邪推と妄想ですね、というカルトの防衛みたいな決めつけをしてきました。これは、ちょっとした間違いで済ませてよいことではなく、あらゆることについて、シャロームは、人のことなどどうでもよいと思っているための、習慣的ミスの一例だと思います。シャロームは、言葉も、態度も、人に対して、どうでもよいのです。だから、極めて不注意に、書いて、後悔しないでいられるから、記事もコメントも、いい加減に言い放って、そのまま黙り込んで、・・忘れるのでしょう。
2018/11/5(月) 午後 5:15st5402jp



>stさん
>自称マグダラは、易坊と私の区別もつかないようです。

易坊さんではなくて、エグゼルさんだろうと思います。
エグゼルさんの正体は、stさんではないかと疑ってるらしい。
2018/11/5(月) 午後 8:18[ 楽山 (自由) ]



>stさん

シャローム批判は、信仰問題に関してだけにとどめて、人格否定にはあまり踏み込み過ぎない方が無難とは思います。

これは前にも言ったような気がしないでもないけど、もし同じことを繰り返してたら、すみません。
2018/11/5(月) 午後 8:29[ 楽山 (自由) ]



ところで、今回のお二人の議論では、悔い改めについて、いろいろと考えさせられました。

>一旦批判が始まると相手が弱み、謝罪を示すまでとどまることはないようです。それをもって悔い改めだと考えておられるようです。
>2018/11/4(日) 午前 11:45[ shalom ]

>私は、シャロームの、神に対して悔い改めない態度と妄想的な信条を、信仰者としてあり得ないから、批判しています。私に対して、また、公における謝罪と訂正は、神に対する悔い改めの態度から、自然に生まれるものです。シャロームには、それがない、ということが、よく分かるコメントです。
2018/11/4(日) 午後 1:28st5402jp
2018/11/5(月) 午後 8:32[ 楽山 (自由) ]



>自然に生まれるものです

これは、謝罪そのものでなくてもいいのです。文章にコメントに、表れてくる、小ささ、低さ、弱さ、・・それら一切が、シャロームには、見られません。

それと、人格否定まで行かなければ、信仰批判にならない場合もあります。聖書のパリサイ人なども、一種のサイコパス的な人格だと思っていますから。

人格否定なら、シャロームもやっているでしょう。前に、侮辱などについては書いたはずです。シャロームは、信仰とは関係ないことで貶めてきます。私は信仰と密接に関係しているから批判しているのです。
2018/11/5(月) 午後 10:35st5402jp



易坊とエグゼルは、同一人物の成りすましの疑いがあります。確か、易坊のブログで、私が書き込んだとき、似たようなことを、交代しながら、書いていたような気がします。これから、調べて分かるかな・・
2018/11/5(月) 午後 10:40st5402jp



易坊とエグゼルは、思想の似かよった仲間なのかもしれません、疑惑は保留しておきます。
2018/11/5(月) 午後 10:45st5402jp



宗教については、なにか重荷を抱えている人であるか、人間とか存在とかに興味があって、共感が可能な人がいて、そういう人が惹かれる場合と、
ただ、人知を超えた者が好きで、結局、自分がそのようでありたいという欲望だけで入ってくる場合とがあり、
人格や体質や性格などとは、切り離せないような密接な関連があるということも考えるべきです。
2018/11/5(月) 午後 11:01st5402jp



> 自由さん

ちょっと疲れてきてませんか
2018/11/5(月) 午後 11:13st5402jp



あるいは、私に嫌気がさしてきたとか?

>人格否定にはあまり踏み込み過ぎない方が無難とは思います。

私、今はもう、無難な道、歩いているつもりはないです。
2018/11/5(月) 午後 11:15st5402jp



荒らしやカルトや偽善者は、元々、無難な道など選んではいないのです。それなりのネットの遣り取りのわざも持っているわけですから。

お疲れなら、休み休みとか、したほうがよいです。
2018/11/5(月) 午後 11:18st5402jp



疲れというか、伝え方を考えてます。
んで、ちょっと恥ずかしいけど、自分の経験を書いてみたいと思います。
自分の考えを伝えるには、多分、これが一番よさそうなので。

まず一つ目は、批判はある程度を超えると無効化されるということ。
私は、幸福の科学は、カルトだとして、批判してきたわけですが、
信者は少しの批判なら聞くことはあっても、
批判がある程度を超えると、「悪霊に憑依されて悪口言ってる」というようにレッテル貼って、まったく聞かなくなります。

また、アンチ幸福の科学で、超過激な批判をする人もいますが、
この人は、信者、アンチ、一般からスルーされがちになってます。

だから、批判のやりすぎには注意した方がいいと思うわけです。
2018/11/6(火) 午前 7:09[ 楽山 (自由) ]



もう一つは、人格批判のことですけど、
幸福の科学の信者と議論してきて感じたことですけど、
信仰問題について議論しているうちに、信仰態度への批判、人格批判という風になってゆくこともありました。
この場合、人格批判に踏み込み過ぎると、信仰についての議論がダメになることが多かったように思います。
全部の議論が台無しになってしまうわけです。
これはもったいないです。

…とりあえず、今はここまでです。
2018/11/6(火) 午前 7:11[ 楽山 (自由) ]



今はここまでと言いつつも、もう少し書くと、
信仰問題について議論していれば、
それを読んでる読者は、議論をしている人たちの人格がいかなるものであるかは自然と感じ取るものだし、
そうであれば、いちいち相手の人格に批判をくわえる必要もなかろうというのもあります。
2018/11/6(火) 午前 7:16[ 楽山 (自由) ]



>まず一つ目は、批判はある程度を超えると無効化されるということ。

今ごろ言われるのが不思議な感じです。自由さんは、議論の原則を言っておられます。
それが、全く成り立たないのがシャロームです。

私は、コメント欄を記事にしています。遣り取りを読んでほしい対象は読者です。深くえぐったからこそ、シャロームは、根拠のない人格攻撃をすることによって、本性を表してきました。前に言ったと思いますが、シャロームと議論して変えようということは、とうに諦めています。こういう人がいるから、引っかからないように、という読者向けの警鐘です。私は、ずっとそうなのです。もちろん、成否はあるでしょう。でも、既に議論ではなく、闘争というつもりで書いています。
2018/11/6(火) 午前 11:25st5402jp



>読者は、議論をしている人たちの人格がいかなるものであるかは自然と感じ取るものだし、

驚きました。間違っていると思います。
シャロームは、そこを柔和に見せかけ、凶暴性を隠すプロです。
シャロームは、殆ど本音など言いません。

程よく議論し、人格攻撃をしない、これは、シャロームの思うつぼです。

失礼ながら、今に至って、そういうことを言われるというのは、騙されやすいんだな、と感じました。

本音を言えば、私はシャロームを怒鳴って追い返したいのです。どこにも、彼が、彼の好きなペースで、書けないようにしたいと、出かけてコメントを書いていますが、ご理解いただけなくて残念です。
2018/11/6(火) 午前 11:29st5402jp



うーん。そう言われると、なんだか自分の方が見当違いを言ってるような気がしてきました。

でも一応、私も一読者であろうし、上に書いたことは一読者としての感想でもあります。
2018/11/6(火) 午後 9:10[ 楽山 (自由) ]



ついでにもう一つ感想を書くと、シャロームさんのことで不思議なのは、皮肉とか、(笑)とかを何度も書いてることです。
stさんはそういうことは嫌がるのは分かってるはずなのに、それによって余計に批判は強まるのもわかってるはずなのに、なぜ何度も繰り返すんだろうね。
2018/11/6(火) 午後 9:15[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん

少しも動じていないよ、という余裕を見せたいのではないかと思います。
そして、そうすることが不自然だ、あるいは火に油だ、あるいは無効だ、という自己モニターによる状況判断が全然できないのでしょう。
2018/11/7(水) 午前 3:42st5402jp



それも可能性の一つと思います。他にも思いつくものを並べるとするならば…。

①批判に対して、少しも動じていないことを見せるための強がり
②全然、気にしてない。stさんのことはあまり考えてない
③たくさん批判されているので、一矢を報いている
④いわゆる釣りであって、わざと怒らせようとしている
⑤その他

先日の本人の弁だと、stさんとのことはあまり大問題とは考えていない風なことを書いてたので、②ということになるかもしれません。
あと以前は、③みたいなことをチラッと書いてたのを読んだ気はします。記憶はおぼろげだけど…。
2018/11/7(水) 午前 6:44[ 楽山 (自由) ]



ちなみに、昨日、私が書いたことは、④を想定してました。

・シャロームさんが、わざと(笑)を使う。
・それに対して、stさんは大量の批判をする。
・読者は、「ちょっと、(笑)を使っただけで、こんなに責められて、シャロームさん、かわいそう」と思い、シャロームさんに同情が集まる。

こうなるよりは、こちらの流れに持っていけないかと。

・シャロームさんが、わざと(笑)を使う。
・stさんは、「大事な話をしているときに、ふざけないでください」という一言だけにとどめる。
・読者は、「stさんの言うことはもっともだ。シャロームさんの態度はよくない」という感想を持つ。
2018/11/7(水) 午前 6:51[ 楽山 (自由) ]



うーん、やっぱり上は考えすぎかな。
実際のところは、①②③あたりが正解なんだろうと思います。

でも、そうは言っても、議論慣れしてたり、ズルい人であれば、④の可能性も無きにしも非ず。
議論などでは、相手を怒らせて、失言を誘うというのはよくある戦法なので、用心しておいて損はないとは思います。
2018/11/7(水) 午前 6:52[ 楽山 (自由) ]



> 自由さん おはようございます
今日も気持ちの良い小春日和ですね。
昨日は自転車で2時間、29.2㎞ほど走り、ちょっと汗をかいてしまいました。

ところで

2018/11/6(火) 午前 7:09 [ 自由 ]
2018/11/6(火) 午前 7:11 [ 自由 ]
2018/11/6(火) 午前 7:16 [ 自由 ]

以上の素晴らしいコメントに自由さんのマインドコントロールからの自由な判断にナイス!でした。

ちなみに、昨日、私が書いたことは、④を想定してました。
2018/11/7(水) 午前 6:51 [ 自由 ]

「議論などでは、相手を怒らせて、失言を誘うというのはよくある戦法なので、用心しておいて損はないとは思います。」とのこと。

自由さんなかなかやりますね!
私へのとても良い助言をありがとうございました!

自由さんは何か運動をしていますか?
私はジムへ行って、有酸素運動、筋トレと汗をかいて、ひと風呂浴びるのを日課にしています。
2018/11/7(水) 午前 10:46[ shalom ]



自由さんへ。
②全然、気にしてない。stさんのことはあまり考えてない
先日の本人の弁だと、stさんとのことはあまり大問題とは考えていない風なことを書いてたので、②ということになるかもしれません。

それでいいのです。こちらもシャロームに打撃を与えて、何とかしよう、とかいうことは考えていないわけです。シャローム批判は、使命であり、うまくいっているかどうかは、反省しても、こだわりは捨てなければいけません。

伝えたい相手は、一般の読者、特にキリスト者ですから、とんでもない人の、とんでもない有り様を伝える努力が、今はすべてです。

>④いわゆる釣りであって、わざと怒らせようとしている

わざと怒らせて、去らせる、これは、恐らく、シャロームや、荒らしや、カルトの、常套手段だと思っています。

>議論などでは、相手を怒らせて、失言を誘う

まさに、そのとおり。
2018/11/7(水) 午前 11:59st5402jp



①批判に対して、少しも動じていないことを見せるための強がり
②全然、気にしてない。stさんのことはあまり考えてない
③たくさん批判されているので、一矢を報いている
④いわゆる釣りであって、わざと怒らせようとしている

この中では、③の、一矢報いる、などという殊勝な気持ちを持ちうる人ではないと思います。
不感不応と書いたように、①なのですが、感受性も捨てているようです。

④は、サディストなのでしょう。相手を去らせる、ということと、相手の狼狽を上から見て喜んでいる態度です。シャロームの不感不応と訂正不能は、ホラーです。
2018/11/7(水) 午後 0:00st5402jp



それで、シャロームの10:46
おはようございます
今日も気持ちの良い小春日和ですね。
昨日は自転車で2時間、29.2㎞ほど走り、ちょっと汗をかいてしまいました。
自由さんは何か運動をしていますか?
私はジムへ行って、有酸素運動、筋トレと汗をかいて、ひと風呂浴びるのを日課にしています。

重大な問題で批判されているときに、時候のあいさつ、日常の話題、などを書くことが、白々しいとか、問題を直視していないふざけた態度とかは、思っていないようです。そういう感受性と弁えが無いのだろうと思います。

自分は、信仰によって強いから、かつ、柔和だから、それを示しているつもりで、何も応えてないよ、という態度を示すのです。しばしば、状況と文脈からは不自然なことを、余裕ありげに書いてきます。

いつも、自分大物、相手小物、というスタンス。しっかり読者に見てもらいたいところです。
2018/11/7(水) 午後 0:01st5402jp



「議論などでは、相手を怒らせて、失言を誘うというのはよくある戦法なので、用心しておいて損はないとは思います。」とのこと。
自由さんなかなかやりますね!
私へのとても良い助言をありがとうございました!

シャロームが怒らせる、ということを、相手が怒らせようとしている、にすり替えて、良い助言として自由さんを褒めています。いくらなんでも、この臭み満載の世辞と詭弁を、真に受ける人はいないと思いますが、一応、要注意です。

こういうことを、シャロームは、信仰について、聖書についても、してきたのでしょう。責められそうな聖句は、人に向け、救いと恵みだけを自分に向けて、酸味の讃美をしてきたのでしょう。

人間離れした信条による不感不応で、結果として、人間離れした不自然な感じ方と思考を一途に養ってきたのがシャロームです。もう人間らしいところへ戻る気もないような気がします。だから、継続して批判が必要なのです。
2018/11/7(水) 午後 0:02st5402jp



たいていの場合、シャロームは、自分の書いた言葉によって、斬られることになります。
ですから、シャロームに対する批判は、とても、シンプルになってきました。
2018/11/7(水) 午後 0:59st5402jp



シャロームがやっていることは、ネットの遣り取りでの手練手管なんです。前にも書いたように、彼は、まっすぐ本音を言うことは殆どありません。味方を増やす、ここでは批判を退ける、という目的のために、都合のいい言葉を利用し、他者の言葉をも利用するということです。
2018/11/7(水) 午後 2:00st5402jp



シャロームは、議論や付き合いの礼儀作法を盾にして、批判を退けようとしています。しかし、その礼儀作法を、削除、侮辱、無視、などによって、見えないところで踏みにじってきたのが、シャロームに他ならないのです。
2018/11/7(水) 午後 2:29st5402jp



私について言うならば、怒らせるためにという故意の操作のようなもので書いてはいません。シャロームに向ける辛辣さは、それに対応するシャロームの行状を比喩したものが多いと思います。もちろんそこには社交の手加減はなく、私は、ずっと本音で書いているということです。

むしろ、シャロームのほうが、ここで笑えば怒りを買う、というような状況判断をせず、あるいは、できず、余裕を示すために笑わなければ、という、見栄と虚勢を張っているか、どうしようもなく、そういう人格であるかだろうと思います。
2018/11/7(水) 午後 4:10st5402jp



私は、気を使うべき時と所においては、また、相手に対しては、精いっぱい、気を使っているつもりです。もちろん、修復可能だったり、不能だったりしますが、不能の場合は私の罪ということです。それは仕方ないです。

私がシャロームに騙されていた数年間を経たのちは、私にとって、シャロームは、もはや、気を遣う相手の中には入っていません。
2018/11/7(水) 午後 4:18st5402jp



ここまでを、一応、明日か明後日、記事にする予定です。
「笑う偽善者(6)」・・シリーズになってしまいました。

さて、次の「笑う偽善者(7)」があるでしょうか。コメント欄の展開を待ちます。
2018/11/7(水) 午後 4:22st5402jp