*つづき
 前記事のつづきです。
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> 楽山 (自由)さん

「塩狩峠」は実話が元になっている

そうですね。ひとりのクリスチャン者青年が結婚を前にして、乗っている列車が峠の下り坂でブレーキが利かなくなり、加速し、脱線し、多くの人が死傷するのをわが身を挺して列車を止めたという実話ですね。イエスさまも死を彷彿とさせる実話ですね。
泥流地帯は読んではいませんが、三浦さんが泥流地帯を描くために取材した話を読みましたが、今は多くの人に北海道の最も人気のある観光地富良野として知られるところに生きた人たちの実話なのですね。
2019/2/14(木) 午前 8:32[ shalom ]



> 楽山 (自由)さん おはようございます

「だから、これが神だと指し示せるものではなく、生きているということが神の体験になっているから拝むのです。それを、どうしても近代人は、拝んでいる対象が神だと間違ってしまう。ここが非常に大事なところです。」

精神分析の始祖フロイドとは異なり、ユングやインディアンであるネイティブ・アメリカンの人たちはとても日本人の感性と共通するところが多いと本で読んだり、話も聞きましたが、上記の言葉はそのことをよくあらわしている言葉かなと感じます。
神が創造されたものに、神の息吹を感じることは自然なことだと思います。あらゆる芸術作品に作者の人となりを感じさせられることと同じだと思います。芸術作品は人による作品ですから、人となりを表していますが、自然は神の創造物だとすると、神の神ご自身の尊厳性を表していると言えるでしょうか。
2019/2/14(木) 午前 9:42[ shalom ]



人は神のかたちにかたどって造られたとすれば、きっと神は人の属性である知性、感情、意思があり、それを言葉と働きで表現できるでしょう。しかし、その言葉と働きは人とは異なり、全知、全能、さらに聖、愛、義に背くものではなく人格的であり、かつ永遠、普遍の霊的存在者であると信じます。イエスはまさに神であり、人であることを証ししておられる方です。
山本七平によって指摘された日本教と言われることがらとの決定的な相違だと思います。人が神として信じる神に人格性である明確な知性、感情、意思がなく、それが言葉や働きによって表現されたりしない神とは芸術家の作品と同じであるというに等しいことだと言えないでしょうか。
2019/2/14(木) 午前 9:43[ shalom ]



仏陀が神のような存在については無記としたというのは人としての限界を悟った深い知恵を表していますね。
人としての限界を受け容れることこそ、明(アキ)ら目、諦めであり、悟り、解脱、救いを涅槃寂静という言葉で表したように思われます。人が神ご自身についてあれこれ言うこと自体、限度を超えた不遜ということだとおもいます・・・。
神の啓示と神の民イスラエルの歴史とイエス・キリストによって証しされたことに基づいて証しする以外に神について証しする道はないと思います。証しされたことの真実は神ご自身が実証されることを待つことが信仰と言えるのでしょう。
2019/2/14(木) 午前 9:43[ shalom ]



(私)
アドラー心理学を知っているわけではないが、心理学というのなら、それは学問であり、学問は人に、こうしなさいとか命令はしないはずだ。それが、安楽山を見ていて感じるのは、こうするといい、みたいなことになっている。それは、恐らく、こうすれば、人を気にせずに生きられる、これはいいことですね、という教えになっているからではないか。つまり、アドラー心理学は、アドラー教になっているように思える。
2019/2/14(木) 午前 11:10st5402jp



(記事引用)
「いびりのような当てつけ」
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/20024186.html
「人は人、自分は自分」という考え方 (アドラー心理学)
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41442356.html
この記事には
「気に入らない意見は、無視しましょう。」
「人の意見を変えさせようとするのは、無意味です。」
「他人の考えを変えられる人間は、この世に存在しません。」
などと書いてある。
しかし、人間は、他者との関わりの中で成長するものである。
傷つかないで済むものなのだろうか。
2019/2/14(木) 午前 11:11st5402jp



(私)
そうなると、騙されやすくてカルトに弱い人は嵌りやすく、実際、人を気にしなければ楽ではあるから、その実感をもって、幸福になったような気がするのだろう。そのムーブメントのような気がしてならない。上の安楽山の記事を読んでいると、相当な自己中心の考え方であり、人が何と言っても、また、人を傷つけても、自分が傷つかないことだけを考えられるような誘導をしているように思える。危険な臭いがしてくる。
2019/2/14(木) 午前 11:12st5402jp



(私)
つまり、HSという強面のカルトから、アドラー教というお気楽なカルトに向かっているのではないかという気がする。カルトからカルトへ、旅する以外ないのだろうか。そのような宗教が、最後にたどり着くのは、死にかけた人に、死ぬことをの幸いを熱心に説いている姿である。人を気にしない究極的な解放は死ということになりかねないからだ。
(私)
これは、シャロームの、罪を気にせず悔い改めない、悪いことをしても、嘘を吐いても、都合の悪いことは平気で忘れる、という、自己中心の偽キリスト教と、実に、酷似している。シャロームは無視の境地、安楽山は無関心の境地のように思える。どちらも他者はどうでもよくなる。気が合うはずだと思う。
2019/2/14(木) 午前 11:13st5402jp



> 楽山 (自由)さん
かなり長い記事です。
私はまだ一部しか読んでいませんが・・・。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm

これは抜粋したものです。

『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』

イザヤ・ベンダサン Isaiah BenDasan 著 山本七平訳 文藝春秋 1972年刊
2019/2/14(木) 午後 2:19[ shalom ]



>shalomさん、こんばんは。

そんなページがあったんですね。知的所有権が気になるところですが、ちょっと懐かしい本です。
少し読んでみたけど、[省略]部分が気になって、元本を読みたくなりますなあ。
2019/2/14(木) 午後 8:20[ 楽山 (自由) ]



「塩狩峠」の話は、一応、wikiで確認してみたらこんな感じのようです。小説ではたしか婚約者が現場を訪ねる場面があったと思うけど、そこはたまらなく切ない場面でした。

>最終急行列車が塩狩峠の頂上付近に差し掛かった時、最後尾の客車の連結器が外れて単独で上り勾配を逆行・逸走する列車分離事故が発生した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%8B%A9%E5%B3%A0
2019/2/14(木) 午後 8:21[ 楽山 (自由) ]



>2019/2/14(木) 午前 9:42
>2019/2/14(木) 午前 9:43
>2019/2/14(木) 午前 9:43

これは信仰についての話だと思うけど、自分の場合は、最近はどうも、そういう話ができなくなってきてます。
日に日に、無宗教的な状態になってきてるからかもしれません。
神様はいない気もするが、でも神様を感じることはあるし、祈ることはある。でも「神様を信じるのか? 神様はどんな存在か?」と問われれば、どうにも答えようがないとか、そんな感じかな。
2019/2/14(木) 午後 8:21[ 楽山 (自由) ]



ところで、自分の場合は、無記といえば、毒矢の譬えを連想します。前は、この譬えを読んでも、「そうはいっても、霊魂は実在するか、宇宙に果てはあるのか。果てがあるなら、宇宙の外はどうなってるか、パラレルワールドはあるのか…」みたいなことは知りたいよなあと思ったりしてました。
でも最近は、その手のことには興味は薄れてます。特定の世界観とか、物語とかにはのめり込めない。
ただまだ「人はいかに生きるべきか」「善く生きるとはどういうことか」みたいな問いへの興味は残ってます。
2019/2/14(木) 午後 8:25[ 楽山 (自由) ]



ちかごろは、自分のツイッターで、『こころの深呼吸』(片柳弘史著)という本の話がよく流れてきます。著者の片柳神父のツイッターをフォローしてるから当たり前なんだけど。
先日ついでがあったので、本を読んでみたら、生き方についての平易な短文がつづられていてよかったです。内容は当たり前すぎるという感じもしますが、自分にはそれだからこそ、いいんだと感じます。十字架の意味とかそういう難しい教義のことは分からないけれども、これなら自分でも共感して読めるようです。
2019/2/14(木) 午後 8:26[ 楽山 (自由) ]



>『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm

このページのはじめの辺りを少し読んでみたけど、考えてみたら、shalomさんは、反対意見を言われても怒らない人ですね。
ここは話しやすくていいです
2019/2/14(木) 午後 9:10[ 楽山 (自由) ]



> 楽山 (自由)さん こんばんは

『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』

読みづらくてまだ全部読んだわけではありませが、
私は初めてです。
ちょっと理解がついて行かないこともありますが、日本教について少し理解を深めることができました。日本教にもはっきり教条化され、自覚されてもいないけれど教理がある、その中心は人間であって神ということではないことが最重要なことだということのようです。
やはり私も今まで、すべてのことを受容と排除という論理ではない選択によって吸収同化され、日本教化される底なし沼のような風土を感じさせられ、それは母性的、共依存、自他未分化的傾向が濃厚な人間関係の深さとして感じさせられていますが、
日本教キリスト教派についても書いてありますので
私ももう少し日本教について知りたくなりましたね。
2019/2/14(木) 午後 10:03[ shalom ]



「ただまだ「人はいかに生きるべきか」「善く生きるとはどういうことか」みたいな問いへの興味は残ってます。」

私たちがいかに生きるべきか、よく生きるとはを問うことはdoingだと思いますが、doingの土台としてbeingを問う必要があるのではないかと思いますね。
日本人はいつ、どのような問題に直面してもとても器用にその時、その場を乗り越えて今日の日本があると思いますが、世界的なグローバリズムの激しい流れのなかで対外的な価値観、世界観に適応することが難しくなっているような気がします。これは西欧キリスト教国にとっても同じだと思いますが。国も個人も多様性を受け容れあいながらも、統合化の道を模索しなければならない厚い壁に直面しているようなそんあ気がしています。それがいかに生きるべきか、善く生きるかということだと思うのですがどうでしょうね。
2019/2/14(木) 午後 10:04[ shalom ]



(私)
今まで書いてきたように、シャロームは、信仰を語るのに、
「神が創造されたものに、神の息吹を感じる」「自然は神の創造物だとすると、神の神ご自身の尊厳性を表している」
というような誇大的で一見よさそうな話しか出来ず、人間の問題に、とりわけ、自分の問題に、恐ろしく無頓着か、気にしていないか、だと思います。それで、誇大的な、大仰な、わざとらしい神聖への讃美言葉がシャロームの口から溢れてくるだけであることに気づかないと、その気色わるさに気づかないと、餌食になってゆくのです。
2019/2/14(木) 午後 11:53st5402jp



(私)
シャロームは、神とキリストの人格的な部分に感受性を持ちません。今まで、そういう共感のある記事を書いたことがないからです。また、シャロームの書くものに、しんみりした心情を感じたことがありません。
その反動のように、神については、絶対言葉、全知、全能、永遠、不変、霊的存在、ということばかり言ってきた人です。そして、べた褒めするのです。
シャロームは、神の人格面については「知性、感情、意思があり」という教理をなぞるしかないのです。シャロームは、私に、人間の共感は必要ないと言いました。
「人格性である明確な知性、感情、意思がなく、それが言葉や働きによって表現されたりしない神」を信じて、奇跡信仰の思い込みで、人間性を踏みにじっているのが、シャロームです。騙されないようにしてください。
2019/2/14(木) 午後 11:53st5402jp



(シャローム)
仏陀が神のような存在については無記としたというのは人としての限界を悟った深い知恵を表していますね。
人としての限界を受け容れることこそ、明(アキ)ら目、諦めであり、悟り、解脱、救いを涅槃寂静という言葉で表したように思われます。人が神ご自身についてあれこれ言うこと自体、限度を超えた不遜ということだとおもいます・・・。
神の啓示と神の民イスラエルの歴史とイエス・キリストによって証しされたことに基づいて証しする以外に神について証しする道はないと思います。証しされたことの真実は神ご自身が実証されることを待つことが信仰と言えるのでしょう。
2019/2/14(木) 午前 9:43[ shalom ]返信する

(私)
「人としての限界を受け容れる」のならば、なぜ、シャロームは、なぜ、奇跡の守りを信じているのでしょう。なぜ、人間としての罪を認めず、悔い改めることをしないのでしょう。なぜ、神の啓示や聖霊の導きを、自説の根拠にするのでしょう。「人が神ご自身についてあれこれ言うこと」をしてきたのは、まさに、シャロームであります。だから、言ったそばから、
2019/2/14(木) 午後 11:54st5402jp



神の啓示と神の民イスラエルの歴史とイエス・キリストによって証しされたことに基づいて証しする以外に神について証しする道はない
という超常の根拠を、浅ましく書いてくるのです。酷い矛盾ですが、平気なのです。シャロームは、そういう人なのです。ゆえに、何もせず、何も考えず、「証しされたことの真実は神ご自身が実証されることを待つことが信仰」などと言って、自らの嘘と偽善に対して悔いることなく改めることなく、神の名で、正当化してくるのです。シャロームは、嘘っぱちであり、偽善者であり、ペテン師としか言えないのです。そのことだけが明らかになってきた7年間です。
2019/2/14(木) 午後 11:54st5402jp



(ネットより引用)
仏教は、実にいろいろなたとえを用いますが、その中でも特に有名なのが「毒矢のたとえ」です。
これは、自己とか世界とかについて、哲学的に満足のいく答えを聞かないうちは修行に励む気がしないという哲学青年に向かって、お釈迦さんが説いたものだとされています。
『ある時、人が毒矢に射られたとする。
ところが、もしもその人が、かけつけてくれた医者に対して、
「この矢を射たのは一体だれであるのか。
弓はどのようなものであるのか。
弦(つる)は何でできているのか。
矢羽は、どんな鳥の羽であるのかが分からないうちは矢を抜くな」
と言ったなら、その人は、それが分かる前に死んでしまうであろう。
必要なのは、まず毒矢を抜き、応急の手当てをすることである』
なんだのカンダノと哲学的なことを考えても、この世に現実としてある様ざまの苦しみが消えてなくなるワケではない。
重要なことは、その苦しみをどうすれば無くすことが出来るかという事だ。
2019/2/14(木) 午後 11:55st5402jp



上は、
http://www.daianzi.com/howa/howa0097.htm

(私)
応急手当をするためにも、先ず、毒矢というものがあり、それを使う者がいることを認識しないといけないはずです。つまり、実践においても必要な知識や心構えが必要ということです。目先の安楽や美味しい事実や利便性や用途や実用性ばかりにこだわって、警戒しない姿勢からは、毒矢を毒矢と気づかず、なんだろう、と思うだけで、考えず疑わず、それゆえに、洗浄や消毒や解毒や回避その他、予防することも手当てすることも出来なくなる、という、無知による不幸の結果が招来されるだけでしょう。年寄りがオレオレ詐欺にやられる不用心のと似たことかもしれません。用心するべき、そして、断るべき、ペテンを生業とする相手が目の前にいるのです。
2019/2/14(木) 午後 11:55st5402jp



(私)
「人はいかに生きるべきか」「善く生きるとはどういうことか」ということを、まるで考えることが出来ずに、ころっと騙されていることが、次のコメントで明らかです。それは、一般または特定の、人がどうあるか、ということを考えないことでもあります。

(安楽山)
>『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm
このページのはじめの辺りを少し読んでみたけど、考えてみたら、shalomさんは、反対意見を言われても怒らない人ですね。
ここは話しやすくていいです
2019/2/14(木) 午後 9:10[ 楽山 (自由) ]返信する
2019/2/14(木) 午後 11:56st5402jp



(私)
「殴られるより悪いことがある」ということを、安楽山は知らないようです。
人を屁とも思っていないシャロームの悪意と嘲笑いと欺きに、まだ気づかないようですから、シャロームとしては、実に付き合いやすいでしょう。
(私)
気づかない不幸が進行しつつあります。
(私)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9388/nppon.htm
の冒頭の言葉ですが、
「日本人がいかに理解しにくい民族であるか。理解したと思い込んだとき、実はそれが誤解にすぎない場合でも、それを誤解だと証明することすら不可能に近い、という事実をまず指摘したいと思います。」
シャロームは、人の言ったことを理解しておらず、気にしてもいません。言葉の上っ面を分かったように挙げて、あとは、自分の言いたいことだけを言って満足するのです。こういう嘘の受け入れ姿勢は、言葉とか真実とかに全く無頓着でいられる詐欺師の語り口に見られるものです。言論の快楽だけを求めるシャロームその人です。
2019/2/14(木) 午後 11:57st5402jp



シャロームは、怒らないのではなく、無視して、気にしていない、ということです。それは、シャロームの処世術だろうと思います。安楽山のアドラー教に似ています。
2019/2/15(金) 午前 0:25st5402jp



シャロームの処世術は、真実を隠蔽し、嘘と偽善を促進しますから、甚だ迷惑であり、社会悪だと思います。ゆえに、何より、シャロームは、キリスト信仰を破壊する者です。シャロームは、そういう人だから、平気で、背きながら讃美する、ということが出来るのです。
2019/2/15(金) 午前 0:36st5402jp



だから、気づきませんかね・・。シャロームは、怒らないのではなく、他者の意見を受け取っていないのです。それで、表面的に返して、あとは自説をだらだらと書いてゆく、という筆致です。それが、シャロームにとって、上から丁寧に教える伝道者気取りの快感なのでしょう。
本気で議論する気があるなら、怒ることもあるし、それを抑えることもあるし、弱ることもあるのですが、シャロームにとっては、自説を語るための世辞に過ぎませんから、怒らないで、柔和芝居を続けることが出来るのです。
2019/2/15(金) 午前 0:47st5402jp



(私)
外面的には、キリスト教関連ブログや、信仰日記のようなブログには、讃美言葉の聖書語が並んでいるサイトはいっぱいあります。そういうサイトとシャロームとの違いは、そういうサイトの多くは、抱えているものの重さも伝わってくるということです。シャロームには、そういう重さが全く伝わってきません。
(私)
一方で、ある種の呆れるような軽さの表れとして、過去に自分が言ったことを全く気にしていないことが、「(笑い)」とその態度や「ですね」口調などもそうですが、しばしば見られることです。信仰の思い込みがそうさせたのか、かなり怖い体質的なものなのか、それしか見られないということが、誰も近づいてはいけない、という批判の根拠です。
2019/2/15(金) 午前 0:54st5402jp



批判中心に、次の記事にします。
2019/2/15(金) 午前 1:40st5402jp



(私)
>「日本教にもはっきり教条化され、自覚されてもいないけれど教理がある、その中心は人間であって神ということではない」<
シャロームのように、聖書の解釈が、罪を認めず悔い改めない、というキリスト教と正反対で、そのまま信じると人格も信仰も人間も破壊するような、ひどい解釈で、かつ、自分の解釈を絶対化しているなら、その中心は、神ではなく、シャローム自身の独善ということです。
(私)
>「すべてのことを受容と排除という論理ではない選択によって吸収同化され、日本教化される底なし沼のような風土」<
理路を持たず、企みによって受容と排除という恣意的な選択をして、吸収同化しようとするのは、シャロームの妄想信条の大きな特徴です。
(私)
>「母性的、共依存、自他未分化的傾向が濃厚な人間関係の深さとして感じさせられています」
子育て放棄の親のように、また、相手に対してモノ化しているような軽視で、自他未文化というより未だ人格として成り立っていないような無節操が、言葉の世辞だけを並べているのシャロームの特徴です。
2019/2/15(金) 午前 7:31st5402jp



(私)
シャロームが、今まで、散々滅裂であったり、矛盾していたり、奔逸誇大的妄想であったりしてきたのに、省みるでもなく、分かっているインテリ風味を付けようと、doing、being、などと言う言葉を使いたがるのは、今に始まったことではありません。これも、自らの欠陥を煙に巻いて、ごまかそうとする手段なのかもしれません。あるいは、もはや体質なのかも・・です。行いよりも、あり方を問う必要と書いていますが、シャローム自身は、問われたことに答えたことがないのです。身の毛が弥立ちます。
2019/2/15(金) 午前 7:32st5402jp



(私)
>「日本人はいつ、どのような問題に直面してもとても器用にその時、その場を乗り越えて今日の日本がある」<
今度は、何を考えて、あるいは、何を考えないで、日本人を、べた褒めしているのでしょう。そして月並みなグローバリズムのことを言ったのち、
>「統合化の道を模索しなければならない厚い壁に直面」<
具体的には、何も言ってないのと同じです。議論において、誰もが否定はしないが、何の全身にもならないことを、わざわざ書く必要はないのですが、シャロームは書いて、
>「いかに生きるべきか、善く生きるかということだ」
と言っています。何が・・でしょう。判断や結論に結び付くこともヒントになることも、シャロームは、何も言っていないのです。こんな馬鹿げた言辞に付き合わされるほうは、たまったものではありません。これに、また、安楽山は、優しさの強迫を自らに強いて、世辞を言って、なごむのでしょうか。
2019/2/15(金) 午前 7:32st5402jp



ここまでを記事にして、その後は、また{3}として記事にするでしょう。シャロームを素っ裸にする良い機会です。
2019/2/15(金) 午前 7:34st5402jp



全身(誤)→前進(正)
2019/2/15(金) 午前 7:46st5402jp