*つづき
 前記事の続き。
 ここでも、この問題に関連したツイートと、簡単な感想を書いてみたい。
 

*相違点

 モラハラされる側は内省的で自分に問題があるのではないかと考え、モラハラする側は自己の問題を相手に投影するということだろうか。

 この他に、モラハラする人の無視は相手を罰し、コントロールするためのもので、そうでない人の無視は相手と距離をとり、離れたいためのものだという話を読んだ記憶がある。
 両者の相違点を知るのは実に有意義だ。


*気をつけるべきこと
 残念ながら、これには思い当たるところがある…。すぐ人のことが可哀想になったり、怒って当然のときに「まあ、いいや」と思ってしまうのだ。
 とりあえずは判官贔屓の癖や、怒るべきときに怒れないところは直さねば。


 「とりあえず、この場を収めるために」というのは、すごく身に覚えがある。気が立ってる人を落ち着かせるために…相手に譲歩してみせるとか。
 これが大人の対応だと思って、そうできるように努力してたけど、とんだ見当違いだったようだ。まともな相手ならともかく、世の中には絶対そうしてはいけない相手もいるということか…。


*無警戒な共感
 この流れは目撃したことがあるし、中途までなら体験したこともあるのでよく分かる。
 無慈悲な結論かもしれないけれども、たとえ可哀想に見えた人であっても、無警戒に近づき、同情、共感してはいけないのだと思う。


*補足
・エンパス → 共感力の高い人
・フラモン → フライングモンキー、ナルシストに操られてる人
・スミアキャンペーン → 組織的中傷


*恥知らず
 ブーメラン発言を繰り返す人を見ていて、「なんで、こんな恥ずかしいことを繰り返すんだろう?」と不思議だったが、自分を守るために、自分の問題を相手に押し付けることに必死で、そんなことを考えてるどころじゃない状態だということか。
 こういう内面を知らされると、「すごく苦しいだろうなあ、可哀想に…」と思ってしまうのだが、こういう甘さが余計な面倒を背負い込む原因なのだろうな。気をつけねば。