*大意
本書の前半は詔書の解説、後半はその感想といった構成になっている。より細かく書くとこうなる。
「大詔謹解」高須芳次郎(日本大学教授)
「大御稜威をいただき奉る」山田孝雄(神宮皇學館大学学長)
「御答へ申し上げる道」平泉澄(東京帝国大学教授)
「世界の穢を清める戦」澤瀉久孝(京都帝国大学教授)
「大君のへにこそ死なめ」久松潜一(東京帝国大学教授)
「肇国の精神に基く世界歴史の転換」大串兎代夫(文部省教学官、国学院大学教授)
大意としては、どの文章も大体同じであり、日本は東亜の平和を願うがゆえに、それを乱す蒋介石を放置することはできず、やむをえず膺懲を試みてきたのであるが、米英は己の利を貪りたいがためにこれを妨害し続けている、日本はこれまで米英の亜細亜に対する侵略、横暴に対して隠忍自重を心掛けてきたが、もはやことここに至ってはそれも困難となり開戦に踏み切った、幸いに緒戦の勝利を飾ることができたのは陛下の御稜威と皇軍の奮励努力の賜物であろう、しかしながら米英がこのまま引き下がることはなかろうから、長期戦を覚悟し、軍官民が一体となり、米英を完全に屈服させるまで気を抜くこと無く、努力を続けねばならない云々というものになっている。
*油断はあった? なかった?
本書の中で気になったところといえば、勝って兜の緒を締めよというような自戒が散見されるところである。日本は緒戦の勝利に浮かれて、油断したためにミッドウェーで大敗し、その後は一気に敗色濃厚となり、終戦となったという話があるが、上の自戒からすれば当時の人たちはそこまで油断はしていなかったのではなかろうか。
ただひょっとすると、国民の間に「米英、恐るるに足らず」という傲りが広まっていたからこそ、本書では油断大敵というようなことが説かれることになったこともあるかもしれない。とすると、当時の人たちは、相当に気の緩みがあったということになる。
さて真相はどうだったのだろうか? この辺りのことは自分には自信を持って判断できないのではあるが、ただ本書を見た限りにおいては、少なくとも緒戦の勝利を飾った段階では、米英は侮れないこと、長期戦になるだろうことを指摘し、それを活字にすることはできたということはいえそうである。寄稿者が皆同じようなことしか書いていないことからは言論統制のにおいを感じないではないけれども、奮戦努力を提示しておけば、明るくはない未来予測をすることは必ずしも不可能ではなかったということなのだろうと思う。