四三一 わたくしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
(『ブッダのことば -スッタニパータ-』(岩波文庫)中村元訳)
このことばは気迫がこもっていて、我が身が引き締まる思いがする。
ただそうはいっても、自分の中にはまだ御利益に無関心ではいられない心があるのだから情けない。とほほ。善業の功徳を意識することなく、さらりと生きられるようになるのはいつのことやら……。
ヤフーブログから引っ越してきました。特にテーマは決めずに書いてますが、スピ系の文章が多めです。若気の至りでハマってしまった宗教についても書いてます。よろしくお願いします。ヤフーブログの楽山日記と区別するために、ブログタイトルの末尾にLDとつけていましたが、ヤフーブログはなくなったので、末尾のLDも削除することにしました。
四三一 わたくしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
(『ブッダのことば -スッタニパータ-』(岩波文庫)中村元訳)
ただねえ僕は、人間大川隆法を神とする人がいることをどうこういうつもりはないんだよね。人間の認識力には限界があるから、そういう信仰心の形を必要とする人もいるだろうから。[省略]観測所さんが、幸福の科学の一面を批判をするとしても他の人の信仰に対する配慮はするべきじゃないかなあ。
天国地獄があるか。わからないだって。それで、信仰は否定していないだって。ちゃんちゃらおかしいわ。
結局は、アンチや元会員を名乗っているアンチは、信仰の落ちこぼれよ。
そして、この禅宗の「大疑の下に大悟あり」か。これは、はっきり言えばこいつを言った奴は、悟ってないね。
一〇二八 (ゴータマは答えた)、「バーヴァリ・バラモンも、諸々の弟子も、ともに楽しくあれ。学生よ、そなたもまた楽しくあれ。永く生きよ。一〇三〇 バーヴァリにとっても、そなたにとっても、いかなる人にとっても、もしも疑問が起こって、心に問おうと欲するならば、何でも質問しなさい。」(『ブッダのことば -スッタニパータ-』(岩波文庫)中村元訳)